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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第185話 建国の父が見た未来

 パリの朝は、活気と喧噪、そして何より「希望の匂い」に満ちていた。


 ジョージ・ワシントンは、滞在先であるチュイルリー宮殿の窓から、眼下に広がる街並みを見下ろしていた。


 彼の脳裏には、祖国アメリカの荒野と、そこで血を流した兵士たちの姿が焼き付いている。


 凍えるような冬のバレーフォージの野営地で、靴すらなく雪を血に染めて行軍した兵士たち。圧倒的な物量と訓練度を誇るイギリス軍を前に、飢えと寒さに耐えながら、ただ「自由」という二文字だけを支えにして戦い抜いた日々。


 それに比べて、このフランスはどうだ。

 美しく舗装された石畳の道路。下水道が完備され、悪臭一つない清潔な街路。行き交う市民たちの顔には、かつて彼が聞いたような「重税と貧困に苦しむ旧体制の悲壮感」など微塵もない。誰もが豊かに働き、笑い、未来を信じて歩いている。


「……信じられん。我々が独立戦争で血を流している間、この国は莫大な支援を海を越えて送り続けていたはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに国が潤っている?」


 ワシントンは、低い唸り声を漏らした。

 国家の財政において、他国への軍事支援というものは「ただの出血」に他ならない。史実通りであれば、フランスはこの時点で致命的な財政破綻に陥り、革命の足音が聞こえ始めているはずだった。ワシントン自身、同盟国としての恩義は感じつつも、内心では「フランスはすでに体力を使い果たした瀕死の老国だろう」と高を括っていた部分があった。


 だが、現実は彼の予測を裏切っていた。瀕死どころか、この国はかつてないほどの若々しい生命力に満ち溢れている。


「おはようございます、ワシントン将軍」


 背後からかけられた声に振り返ると、そこには純白のドレスに身を包み、優雅な微笑みを浮かべたマリー・アントワネットの姿があった。その後ろには、漆黒の軍服を着たナポレオンと、白衣のルイ、そしてジャンヌが控えている。


「よく眠れましたか? さあ、お約束通り、今のフランスの『とっておきの場所』へご案内いたしますわ。フランクリン特使もすでにお待ちです」


 私は扇子をパチンと開き、ワシントンを伴って馬車へと乗り込んだ。


 数十分後。

 パリの南西、巨大なガラス張りのドーム屋根を持つパリ中央ターミナル駅。


 馬車を降りたワシントンとフランクリンは、その圧倒的な近代建築を前にして、言葉を失って立ち尽くした。


「な……なんだ、この巨大なガラスと鉄の建造物は……!」


 フランクリンが、丸眼鏡を落としそうになりながら上を見上げる。


「ただの『駅』よ。さあ、こちらへ」


 私が案内したプラットホームの先には、黒煙と白い蒸気を吐き出しながら、巨大な黒鋼の巨獣——『ベルサイユエクスプレス』が停車していた。


「っ!?」

 ワシントンは、戦場で大砲の弾が飛んできても決して動じなかったその屈強な体を、無意識のうちにビクッと震わせた。


「将軍、これは……生き物ですか!? まるで巨大な鉄の竜だ!」


「生き物ではありません、フランクリン特使。純然たる『科学と物理の結晶』です」


 ルイが、誇らしげに胸を張って機関車の横に立った。


「石炭の熱で水を沸騰させ、その蒸気の圧力で巨大なピストンを動かし、三十トンの鉄の塊を自走させる。……名付けて『蒸気機関車』。我がフランスが世界に誇る、新しい時代の移動手段です」


「じょ、蒸気で、この鉄の塊が自走するのか……!?」


 天才科学者であるフランクリンは、驚愕のあまり目を剥き出しにして機関車に駆け寄り、その複雑なシリンダー機構を食い入るように見つめ始めた。


「信じられん! 定置式の蒸気機関を車輪に乗せるなど……! これほどの圧力を制御する技術が、すでに実用化されているというのか!?」と、手帳を取り出してスケッチを始める。


 だが、科学者として純粋な知的好奇心に目を輝かせるフランクリンとは対照的に。


 ワシントンの背筋には、氷のような冷たい汗が滝のように流れ落ちていた。


 彼は軍人だ。科学者ではない。

 ゆえに、この「鉄の馬」を見た瞬間、彼の脳裏で弾き出されたのは、学術的な感動ではなく、極めて冷酷で絶望的な『軍事ロジック』であった。


(馬を必要とせず、疲れも知らず、天候にも左右されずに、この巨大な鉄の塊がレールの上を走り続けるだと……?)


 ワシントンの視線が、機関車の後ろに長く連結された客車と貨車に向けられる。


「もし……もし、あの巨大な貨車に『兵士』と『大砲』を満載して走らせたらどうなる? 馬車での行軍ならば、一日に進める距離などたかが知れている。補給線を維持するだけで莫大な労力がかかる。……だが、この鉄の馬を使えば、数万の軍隊と重火器を、食料の消費も疲労もなしに、たった数日で国境の果てまで展開できるということではないか!」


「……その通りです、ワシントン将軍」


 不意に、ナポレオンがワシントンの隣に並び立ち、冷徹な声で囁いた。


 彼には、ワシントンが何を想像して戦慄しているのかが、手に取るように分かっていたのだ。


「戦争とは、究極的には『兵站』と『機動力』の戦いです。どれほど勇敢な兵士がいようと、戦場に到着する前に飢え、疲弊すれば勝てない。……しかし、この鉄道網が完成したフランスにおいては、空間と時間という制約は消滅しました。我が軍は、敵が国境に軍を集結させるよりも早く、圧倒的な物量をもって敵の喉元に大砲を突きつけることができる。……これが、我々の描く『新しい戦争の形』です」


 ナポレオンの言葉に、ワシントンはギリッと奥歯を噛み締めた。


 アメリカ独立戦争において、ワシントンは神出鬼没の機動戦と、ゲリラ的な戦術でイギリス軍を翻弄した。だが、ナポレオンの提示する「鉄道を使った機動戦」の前では、自分の戦術などまるで子供の駆けっこに過ぎないと思い知らされたのだ。


「……恐ろしい兵器だ。だが、これほどの巨大な鉄の道と機械を造り上げるには、国家の財政が破綻するほどの費用がかかるはずだ」


 ワシントンは、必死にフランスの弱点を探ろうと、絞り出すように言った。


「破綻? まさか」


 今度は、ジャンヌが分厚い帳簿を小脇に抱え、妖艶な笑みを浮かべて前に出た。


「この鉄道は、ただの軍事兵器ではありません。平時には、パリ市民や外国の富裕層をベルサイユまで運ぶ『最高の観光ビジネス』として稼働していますのよ。すでに、機関車の初期投資額は、チケットの売上と周辺地域の地価上昇による税収で回収済み。……つまり、この鉄の馬は走れば走るほど、我が国の金庫に無限の金貨をもたらす『最強の錬金釜』なのですわ!」


「なっ……! 軍事兵器でありながら、自ら利益を生み出しているだと!?」


 ワシントンの強靭な精神が、ガラガラと音を立てて崩れかけていた。


 軍事力、技術力、そして経済力。どれをとっても、今のフランスは彼の理解の範疇を超越している。


「さあ、将軍。立ち話もなんですし、実際に乗ってみましょう。……次の『とっておきの場所』は、車窓からご覧いただきますわ」


 私が案内し、ワシントンたちは豪華な客車へと乗り込んだ。


 シュゴォォォォォォッ!! という轟音とともに、ベルサイユエクスプレスが発車する。滑るような加速。窓の外を飛ぶように流れていく景色。ワシントンは座席に深く身を沈め、言葉を失ったまま外を凝視していた。


 やがて、列車がパリの郊外——かつてはただの荒地だった地帯を通過した時。


「……あれは、なんだ?」

 ワシントンが、信じられないものを見るように窓ガラスに顔を近づけた。


 車窓の向こうに広がっていたのは、見渡す限りの広大な『工業地帯』だった。


 何十本もの巨大な煙突から黒煙が立ち上り、規則正しく並んだ同じ形の巨大な建屋が、地平線の果てまで続いている。


「あれは、我が王室が誇る『プレハブ建材工場』と『ガラス工場』、そして『銃器・大砲の大量生産ライン』ですわ」


 私が微笑みながら解説する。


「プレハブ……? 大量生産……?」


「ええ。かつては職人が一つ一つ手作りしていた建物の壁や、銃の部品を、すべて『規格化』したの。同じサイズ、同じ形の部品を、蒸気機関の力で無限に作り続ける。……そうすれば、熟練の職人がいなくても、素人の労働者を集めるだけで、恐るべきスピードで家が建ち、武器が完成するわ」


 ワシントンの顔から、血の気が引いた。

 彼の中に、氷のように冷たい記憶が蘇る。アメリカ独立戦争の泥沼で、彼の率いる大陸軍がどれほど銃の調達に苦労したか。職人が手作りした銃は部品のサイズがバラバラなため、戦場で撃鉄や銃身が壊れれば修理は不可能に近く、使い捨てにするしかなかった。


 壊れた銃を握りしめ、丸腰のままイギリス軍の銃弾に倒れていった若き兵士たちの姿が、鮮明にフラッシュバックする。


「……部品を規格化し、工場で大量生産する。それが意味することは……」

 ワシントンの震える唇から、絶望的な結論が漏れる。


「ええ。損耗した部品を、戦場で即座に交換できるということです。そして、兵士の数だけ、無限に均質な武器を供給できる」

 ナポレオンが、冷酷なトドメを刺すように言い放った。


「我が国は『家』を工場で量産したように、『戦争』そのものを工業化し、大量生産するシステムを確立したのです。……もはや、個人の武勇や気合で勝敗が決まる時代は終わりました。これからの戦争は、国家の『生産力』がすべてを蹂躙するのです」


 ワシントンは、シートの背もたれに深く寄りかかり、目を閉じた。


(……化け物だ。この国は、国家という皮を被った、世界を食い尽くす怪物だ)


 彼がアメリカ大陸で戦っていたイギリスなど、まだ人間の範疇だった。


 だが、今彼の目の前にあるフランスという国は違う。


 インフラで民心を掌握し、鉄道で空間を圧縮し、工場で物資と兵器を無限に産み出し、それを完璧な経済システムで黒字化して回し続けている。


 もし、こんな怪物が大西洋を越えてアメリカ大陸に牙を剥いたら?


 独立したばかりの脆いアメリカ合衆国など、赤子の腕をひねるように、たった数週間で地図から消し飛ばされるだろう。


「……王妃殿下」

 ワシントンは、目を開け、絞り出すような声で私を呼んだ。


「これほどの力……これほどの巨大な暴力の装置を、あなた方は一体、何のために創り上げたのですか。ヨーロッパ全土を、いや、世界を征服するためにですか?」


 彼の目には、確かな「恐怖」が宿っていた。

 建国の父と呼ばれる偉大な英雄に、そこまで言わせたのだ。私の目的は、すでに十二分に達成されていた。


「世界征服? そんな面倒くさいこと、誰がやるもんですか」


 私は、扇子を閉じ、最高に優雅で、そして一片の隙もない冷徹な王妃の顔で彼を見据えた。


「血を流して他国の領土を奪うより、自分たちの国で美味しいパンを焼き、ワインを飲む日常の方が何百万倍も価値があるわ。……私たちがこの力を作ったのは、ただ一つ。『絶対に誰も、フランスのその日常を脅かさないようにするため』よ」


「……脅かさないため」


「ええ。国家間に永遠の友情なんて存在しない。あるのは国益だけ。……だからこそ、私たちは『フランスに手を出せば、国が消滅する』という圧倒的な抑止力を見せつける必要があったの」


 私は、ワシントンの目を真っ直ぐに見つめ返した。


「ワシントン将軍。私たちは、自由のために戦うアメリカを愛しているわ。だから支援した。……でも、もし将来、あなたたちが私たちの平和を脅かすようなことがあれば。その時は、この鉄の馬と工場の生産ラインが、すべてあなたたちへ向けられることになる。……お分かりかしら?」


 それは、同盟国に対する感謝の裏に隠された、最も強烈で、絶対的な『不可侵の警告』であった。


 ワシントンは、息を呑み、そして静かに、深く頭を下げた。


「……重々、承知いたしました。王妃殿下。……アメリカ合衆国は、決して、フランスという『眠れる獅子』の尾を踏むような愚行は犯しません。未来永劫に渡って」


 彼のその言葉には、嘘偽りはなかった。

 同時に、彼の胸の中では、ある冷徹な決意が固まっていた。


(この国とは、絶対に関わってはならない。アメリカは、大西洋という巨大な防壁の向こう側で、静かに、誰にも気づかれないように力を蓄えるしかない。……この化け物と同じ土俵に立つには、我々にはあと一世紀の歴史が必要だ)


 ワシントンの「恐怖」が、アメリカという国の未来の外交方針を決定づけた瞬間だった。史実における「孤立主義」は、奇しくもマリー・アントワネットの圧倒的な力の誇示によって、より強固なものとして彼の中に刻み込まれたのである。


 窓の外を流れる、美しいフランスの田園風景。

 その光り輝く景色の中で、新時代の怪物たちを乗せた鉄の馬は、高らかに勝利の汽笛を鳴らしながら走り続けていた。


 マリー・アントワネット、27歳。

 アメリカ建国の父の目に圧倒的な「絶望と恐怖」を刻み込み、未来の裏切りに対する最強の心理的防壁を構築した彼女の、血を流さない外交戦における大勝利であった。

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