第180話 ベルサイユ・エクスプレス
パリの南西、セーヌ川のほとりに新設された広大な『パリ中央ターミナル駅』。
抜けるような青空の下、数千人の労働者たちとパリ市民が固唾を呑んで見守る中、巨大な機関庫の重厚な扉が、ギギギギ……と音を立ててゆっくりと開かれていった。
真っ暗な庫内から、シューゥゥゥ……という、まるで巨大な竜が深呼吸をしているかのような高温の蒸気が噴き出す。
そして。
「……さあ、お披露目だ! みんな、よく見てくれ!!」
油まみれの作業着姿のルイが、誇らしげに叫び、機関車を覆っていた巨大な天幕をバサァッと引き剥がした。
「「「おおおおおおおおっ!!!」」」
集まった数千の群衆から、地鳴りのような歓声とどよめきが巻き起こった。
朝日に照らされ、圧倒的な威容を現したのは、全長十五メートル、総重量三十トンを超える『超巨大な鉄の塊』だった。
幾重にも磨き上げられた漆黒のボイラー。足元で鈍い光を放つ、巨大な鉄の動輪。そして、車体の側面には、フランス王室の象徴である百合の花が黄金の装飾で誇らしく輝いている。
スミートンの強固なジョイント、ラプラスの完璧な熱力学計算、そしてルイの異常なまでの精密加工技術。
フランスが誇る天才アベンジャーズたちの叡智と、労働者たちの血と汗が結実した、人類史上初となる本格的・実用型蒸気機関車。
「……なんて美しいの」
私は、最前列でその黒鋼の巨獣を見上げながら、震える両手で口元を覆っていた。
ただの機械ではない。これは、私たちがこの時代で生き抜くために創り上げた、最強の希望の結晶だ。
「紹介しよう!」
ルイは、機関車の運転台に仁王立ちし、片手を天高く突き上げた。
「パリとベルサイユを繋ぎ、フランスの未来を最速で駆け抜ける無敵の鉄の馬!その名も——『ベルサイユ・エクスプレス』だ!!」
「「「うおおおおおおっ!! ベルサイユ・エクスプレス!!」」」
「すげええっ! 本当に鉄のバケモノが完成しちまった!!」
「俺たちが敷いたレールの上を、あいつが走るんだな!!」
ジャンやカトリーヌたち労働者が、抱き合って歓喜の涙を流している。
「さあ、アントワネット! 君も乗ってくれ! これからベルサイユまでの『最終試運転』を行う!」
ルイに手を引かれ、私はドレスのまま、ジョゼフを抱き抱えて機関車の運転台へと乗り込んだ。
運転台の中は、ボイラーの熱気でむせ返るように熱く、石炭の匂いが充満している。
「ナポレオン、アーサー、ジャンヌ! 君たちも後ろの客車に乗ってくれ! ロベスピエール先生、ラプラス先生、スミートン先生もだ!」
アベンジャーズの面々が、機関車の後ろに連結された、これまた王室特製の『豪華試運転用客車』へと次々に乗り込んでいく。
「では、ボイラー圧力、上昇! バルブ全開!!」
ルイが巨大なレバーを引いた瞬間。
シュゴォォォォォォォォォッ!!!!!
煙突から真っ黒な煙が勢いよく噴き上がり、足元の巨大なピストンが「ガシャン! ガシャン!」と重々しい音を立てて動き始めた。
「動いた……! 本当に、馬もいないのに鉄の塊が動いたぞ!!」
群衆がどよめく中、ベルサイユ・エクスプレスは、最初はゆっくりと、しかし確実にレールの上を滑るように前進し始めた。
「すごい……! パパ、すごいよ!!」
ジョゼフが、運転台の窓から顔を出して目をキラキラと輝かせている。
「まだまだこれからだよ、ジョゼフ! 石炭をくべろ! 一気に加速するぞ!!」
機関助士の労働者がスコップで石炭をボイラーに放り込むと、炎が激しく燃え盛り、ピストンの往復スピードが劇的に跳ね上がった。
ガタンゴトン! ガタンゴトン!!
「う、嘘でしょ……!? なにこのスピード!!」
私は、窓の外を流れる景色の速さに思わず目を見張った。
時速三十キロ、四十キロ……。現代の感覚からすれば決して速くはないが、馬車が最速だった18世紀の人間にとって、この巨体が振動も少なく、滑るように爆走していく様は、まさに『魔法』そのものだった。
「スミートン先生の板バネ(サスペンション)のおかげで、揺れも最小限だ! これなら貴族の婦人がお茶を飲んでもこぼれないぞ!!」
ルイが、風を顔に受けながら満面の笑みで叫ぶ。
「やった……! やったわね、ルイ!! 最高の乗り物よ!!」
私たちは、運転台の中で手を取り合って歓喜した。
……しかし、この歴史的な試運転を、遠くから憎悪の目で見つめている者たちがいた。
* * *
パリ郊外、ベルサイユへと続く平野部。
一直線に伸びるレールの先に、数十台の「巨大な荷馬車」が、線路を完全に塞ぐようにして横向きに配置されていた。
「……チィッ。工作員の奴、機関車を爆破しそこねた上に捕まりやがって。使えないゴミめ」
バリケードの前に立ち、忌々しげに葉巻を噛み砕いていたのは、パリ馬車組合の組合長だった。
その周囲には、マスケット銃や棍棒で武装した数百人のゴロツキたちが、殺気を放って待ち構えている。
「いいか、お前ら! あの鉄のバケモノが来たら、容赦なく一斉射撃を浴びせろ! 運転している国王もろともハチの巣にしてやる!」
組合長の血走った目に、理性の光はすでにない。
既得権益を奪われる恐怖が、彼を「王室への直接的なテロ行為」という一線を越えさせていた。
「あのバケモノは、レールの上しか走れない! だからこそ、この荷馬車のバリケードを避けられないのだ! 止まれば一斉射撃、突っ込んできても脱線して大破だ!! 我々馬車組合の勝利は揺るぎない!!」
彼らが狂気の高笑いを上げた、その時。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!
大地を揺るがすような重低音とともに、地平線の彼方から、真っ黒な煙を吐き出しながら猛スピードで突進してくる『黒鋼の巨獣』の姿が現れた。
「き、来たぞ!! 構えろ!!」
ゴロツキたちが一斉にマスケット銃を構える。
運転台から前方の異常に気付いたルイが、スッと目を細めた。
「……アントワネット。馬車組合の連中が、線路を塞いでいる」
「やっぱり、最後まで足掻くつもりね……! ルイ、ブレーキをかける!?」
「いや。かけない」
ルイは、ニヤリと最高に強気で不敵な笑みを浮かべた。
「スミートン先生のセメントで固めた強固な軌道と、僕が計算し尽くした三十トンの慣性エネルギーを舐めるなよ。……それに、機関車の先頭に、いざという時のための『アレ』を取り付けておいて正解だった」
ルイが指差した先。
機関車の最前部には、線路上の障害物を弾き飛ばすための、鋭角に尖った巨大な鋼鉄の排障器が、獰猛な牙のように突き出していた。
「モーツァルト君の作った『最高のご挨拶』を響かせてやれ!!」
ルイが、頭上にある真鍮のレバーを、力一杯下に引き下げた。
——その瞬間。
プァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!
空を、いや、世界そのものを震わせるような、圧倒的で、それでいて信じられないほどに美しい長三和音が、平野全体に轟き渡った。
「なっ……!?」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
馬車組合のゴロツキたちは、その聞いたこともないような巨大な音色と、一切スピードを緩めずに突っ込んでくる黒鋼の巨獣の威圧感に、完全にパニックを起こした。
「バ、バケモノだ!! 逃げろぉぉぉっ!!」
マスケット銃を放り出し、彼らは悲鳴を上げて四方八方へと散っていく。
「ま、待て貴様ら! 逃げるな!! 撃てぇぇぇっ!!」
組合長だけが恐怖で足がすくみ、バリケードの前に立ち尽くしていた。
そして——。
ドッッッゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!
ベルサイユエクスプレスの巨大な鋼鉄のカウキャッチャーが、線路を塞いでいた木造の荷馬車群に、時速四十キロのフルスピードで激突した。
結果は、火を見るより明らかだった。
バキバキバキィッ!! という凄まじい破壊音とともに、分厚いオーク材で作られていたはずの荷馬車が、まるで安物のマッチ棒のように一瞬にして粉砕され、木っ端微塵になって宙を舞った。
「あ、あああ……」
間一髪で線路脇の草むらに飛び込んで命拾いした組合長は、己の『時代の象徴』であった馬車が、鉄の馬の前でいとも容易く、一切の減速すらさせられずに木屑と化していく様を、ただ呆然と見送るしかなかった。
「すげえええええええっ!!!」
客車の窓から身を乗り出していた労働者のジャンたちが、狂喜の雄叫びを上げる。
「……信じられない。これほどの衝突でありながら、車内への振動が皆無に近いとは」
客車の中で、ナポレオンが自らの手に持つワイングラスを見つめ、驚愕の声を漏らした。
「スミートン殿のサスペンション技術、恐るべしです。グラスのワインが数滴こぼれただけだ」
「これで、馬車組合の妨害も完全にゲームオーバーですわね。壊した馬車の弁償はしてあげませんわよ?」
ジャンヌも、痛快そうに銀縁眼鏡を押し上げる。
「フフッ。さよなら、古い時代! こんにちは、新しい歴史!!」
私は、運転台の窓から顔を出し、遠ざかっていく馬車組合の連中に向かって、最高に優雅に手を振ってやった。
障害物を完全に蹴散らし、ベルサイユエクスプレスは一点の曇りもない青空の下を、真っ白な蒸気を吹き上げながらどこまでも滑らかに爆走していく。
窓から吹き込む風は心地よく、ジョゼフの金髪をサラサラと揺らしていた。
「ママン! パパ! すごいよ、お空を飛んでるみたい!!」
「そうだろう、ジョゼフ! これが、パパたちが創った『新しいフランスの心臓』だ!!」
ルイは、操縦桿を握りながら、かつてないほど誇らしげに胸を張った。
私たちは、旧時代という名のバリケードを、圧倒的な科学の力で粉砕した。
もはや私たちを縛るものは何もない。
マリー・アントワネット、27歳。
絶望のギロチンから逃れるために走り続けた彼女のサバイバルは、天才たちとの絆によって最強の『鉄の馬』を生み出し、ついに輝かしい勝利のプラットホーム——ベルサイユ宮殿へと、凱旋の汽笛を鳴らしながら滑り込もうとしていた。




