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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第172話 小さな王の盾

 パリ東部、城壁の外に広がる灰色の新興スラム。

 私が五歳の息子ジョゼフに「王の仕事とは、システムを創ることだ」と語り聞かせ、彼が涙を拭って力強く頷いた、まさにその直後だった。


「おい! さっさと荷物をまとめろ! ここから出て行け!!」


 突如として、スラムの入り口付近から荒々しい怒号と、馬のいななきが響き渡った。


 何事かと振り返ると、十数人の屈強なならず者たちが、太い棍棒や鞭を振り回しながら、労働者たちの粗末なバラック小屋を次々と蹴り倒しているところだった。


「な、なんだお前らは!? やめてくれ、ここは俺たちがパリを追い出されて、やっと見つけた寝床だぞ!」


 スラムの男たちが抗議の声を上げるが、ならず者たちは容赦なく彼らを殴りつけ、泥の中へと蹴り飛ばした。


「黙れ、薄汚いゴミども! 今日からこの土地は、我々『パリ都市開発信託』の正当な私有地となったのだ!」


 ならず者たちの奥から、豪奢な毛皮のコートを着込んだ、恰幅の良いブルジョワの男が進み出てきた。


(……パリ都市開発信託!?)


 私は、その名を聞いてハッと息を呑んだ。

 それは、すでに失脚し強制労働を送っているはずの元宰相、デギュイヨン公爵が設立したダミー会社だ。


 デギュイヨン本人は無力化された。しかし、彼が資本主義のルールを悪用して立ち上げたこの「不動産ギルド」は、創設者を失った後も、利益を追求するだけの『頭のない怪物』として法人のまま生き残り、独立して暴走を続けていたのだ。


「私はデュラン。この土地の新たな地主だ」


 男は、冷酷な笑みを浮かべて分厚い権利書を見せつけた。


「貴様らは、他人の私有地に勝手に住み着いた不法占拠者だ。今すぐ出て行け。……ただし、これまでの『無断滞在費』として、一人につき十リーブルを払ってもらおうか」


「じゅ、十リーブル!? そんな大金、俺たちにあるわけないだろうが!!」


「だろうな。だから、慈悲深い私が仕事を与えてやろう。この近辺に、巨大な皮なめし工場を建設する。貴様らは今日から、借金を返し終わるまでそこでタダ働きだ。逃げれば警察に突き出すからな」


 それは、合法を装った「奴隷狩り」以外の何物でもなかった。


 ジェントリフィケーションによってパリの中心部から貧民を追い出し、行き場を失ってスラムに吹き溜まったところを、今度は土地ごと買い上げて超低賃金の労働力として使い潰す。資本主義の最もおぞましいバグが、何のストッパーもなく牙を剥いた瞬間だった。


「……ふざけるな!!」


 その時。デュランに殴りかかっていった小さな影があった。

 先ほど、ジョゼフの金貨を叩き落とした、あの『アンリ』という名の少年だった。


「俺たちは誰の奴隷にもならねえ! 自分たちの力で生きるんだ!!」


 アンリはデュランの足にしがみつき、力一杯噛みついた。


「痛ッ!? このクソガキ!! 離せ!!」


 デュランは激怒し、持っていた重い樫の木のステッキを高く振り上げた。先端には真鍮の飾りがついており、子供の頭に当たればひとたまりもない。


「死ね、ネズミめ!!」


 ステッキが、アンリの小さな頭に向かって無慈悲に振り下ろされる。


「――やめろぉぉぉっ!!!」


 私が叫ぶよりも早く。

 私の横から、ジョゼフが、弾かれたように飛び出した。


「ジョゼフ!?」


 ジョゼフは、ステッキが振り下ろされる寸前でアンリを庇うように飛び込み、その小さな背中を思い切り広げて、凶器とアンリの間に立ちはだかったのだ。


「なっ……!?」


 ステッキを振り下ろそうとしたデュランが、突然飛び出してきた別の子供の姿に驚き、わずかに動きを止めた。


「あ……お前……なんで……」

 背中で庇われたアンリが、信じられないものを見る目でジョゼフを見上げた。


 つい先ほど、金貨を恵もうとしたジョゼフの手を叩き落とし、泥の中に突き飛ばしたのは自分なのだ。それなのに、なぜ見ず知らずの他人のために、自分の命を投げ出せるのか。


「……金貨じゃダメなんだ!!」


 ジョゼフは、恐怖でガタガタと膝を震わせながらも、デュランを真っ直ぐに睨みつけ、涙声で、けれどありったけの勇気を振り絞って叫んだ。


「この子は……この子は、乞食なんかじゃない! 泥だらけになっても、自分の手で働いて家族を助けたいんだ!!」


 五歳の少年の、悲痛で、どこまでも気高い咆哮。


「人の誇りを奪って、奴隷にするのは間違ってる!! 王様は……そういう悪い奴らから、みんなの『胸を張って生きる場所』を守るんだ!!」


「ハッ! なにが王様だ、どこから紛れ込んだ泥棒ガキか知らんが……まとめて潰してやる!!」


 デュランが嘲笑い、再びステッキを高く振り上げた。


 ――ヒュンッ。


 その刹那。

 暗闇を引き裂くような銀色の閃光が走り、デュランの手からステッキが弾き飛ばされた。


「がっ!? な、なんだ!?」


 デュランが悲鳴を上げて手首を押さえる。

 地面には、彼のステッキを真っ二つに叩き割った、柄に王室の紋章が刻まれた純銀製のナイフが突き刺さっていた。


「……よく言いました、ジョゼフ。百点満点……いえ、一万点の答えよ」


 私は、震える声を必死に抑え、顔に塗っていた炭の汚れをエプロンの裾で無造作に拭き取りながら、ゆっくりと彼らの前へと歩み出た。


 息子が殺されかけた恐怖で足がすくみそうだった。けれど、王として命懸けで他者を守ろうとした我が子の誇りを、母親の私がここで汚すわけにはいかない。


「な、なんだお前は! 汚い女が、引っ込んでいろ!!」


「汚い女、ね。……アーサー、ナポレオン」


 私が静かに名を呼ぶと。

 スラムの周囲を取り囲んでいたボロボロのテントの陰から、漆黒のフロックコートを着たアーサーと、軍服に身を包んだナポレオン、そして銃剣を構えた数十名の王室近衛連隊が、一斉に姿を現した。


「なっ……!? こ、近衛兵だと!?」


 ならず者たちが、圧倒的な殺気を放つ正規軍の包囲網に顔を青ざめさせ、次々と武器を取り落とす。


「対象の武装解除を確認。王妃様、いつでも制圧可能です」

 アーサーが、氷のように冷たい目でデュランを見据える。


「お、王妃……!? まさか、あなたがマリー・アントワネット殿下……!?」


 デュランはガクガクと震えながら、泥の中に座り込んだ。


「ええ。そして、あなたが今ステッキで殴り殺そうとしたその泥だらけの少年は、フランス王太子・ジョゼフ殿下よ」


「ひぃぃぃぃッ!!?」


 デュランは、あまりの恐怖に白目を剥きそうになりながら、地面に額をこすりつけて平伏した。王位継承者への暴行未遂。それは言い逃れの余地のない「国家反逆罪」であり、即刻ギロチン行きの重罪である。


「お、お待ちください、王妃様! 私は知らなかったのです! それに、この土地の権利は正当に私が……!」


「ええ、分かっているわ。あなたたちは法律に守られている。だから、武力であなたから土地を奪うような『野蛮な真似』はしないわ」


 私は扇子をパチンと開き、デュランに向かって、最高に冷酷な「資本主義の死刑宣告」を突きつけた。


「ただ、あなたのその会社を『経済的に』完璧にすり潰してあげる」


「け、経済的にすり潰す……? な、何を仰っているのです。我々『都市開発信託』の資金力は莫大です。王室といえども、自由市場のルールをねじ曲げることは……!」


 デュランは必死に虚勢を張ったが、私は哀れむような目で彼を見下ろした。


「ええ、だからこそよ。あなたのビジネスモデルは、『労働者がほかに逃げ場がないこと』を前提にしている。なら、その大前提を壊せばいいだけじゃない」


 私はデュランから視線を外し、スラムの広場に集まってきた数百人の労働者たちに向けて、高らかに宣言した。


「パリを追われた市民たちよ!! よく聞きなさい!!現在、王室は新たな国家プロジェクトとして、郊外に巨大なプレハブ建材工場と工場の増設事業を立ち上げているわ!!今日、今この瞬間から、ここにいる全員を『生産部門』の正規職員として雇用します!!」


「「「ええええええええっ!?」」」


 驚愕の声が上がる中、私はさらに言葉を紡いだ。


「あなたたちには、施しはしないわ。その代わり、誇りを持って働ける『仕事』と、その対価に見合う『真っ当な生活』を約束する!お給料はこの男が提示した額の三倍! さらに、住む場所を失ったあなたたちのために、プレハブ団地の『新街区』を即座に建設し、無償で提供するわ!」


 私が一息つくと、今度は作業着姿のルイが一歩前に出た。


「泥水をすすり、理不尽に耐える生活は今日で終わりだ!新しい団地には温かい暖炉と清潔な水洗トイレがある! 悪徳商人に搾取されないよう、王室直属の配送網で新鮮な野菜や肉が安価で届く仕組みも作った! 労働で疲れた体を癒やすための栄養満点な発酵食品も、特別な日には職人が焼いた極上のスイーツも支給しよう!僕たちは、君たちの『人としての尊厳』を、何があっても守り抜く!!」


「「「うおおおおおおおおっ!!」」」


 それは、ただの好条件な雇用ではない。人間としての尊厳と、温かい生活を取り戻すための、本気の愛に満ちた救済だった。


 スラムの労働者たちは、割れんばかりの歓声とともにボロボロと涙を流し、一斉に私とルイにひれ伏した。


「なっ……!? ば、馬鹿な!! そんな法外な好条件を出されたら、私の工場で働く人間が一人もいなくなってしまうではないか!!」


 デュランが、顔面を土気色にして絶叫した。


「ええ。労働者がいなければ、工場は動かない。工場が動かなければ、あなたはこの土地を買うために背負った莫大な借金を返せない。……お分かりかしら?」


 その時、近衛兵の列を割って、分厚い帳簿と書類の束を抱えた財務長官ジャンヌが、底冷えのするような妖艶な笑みを浮かべて進み出てきた。


「お生憎様ですわね、デュラン氏。あなたが資金管理に利用している複数の銀行との『企業間取引』のデータを差し押さえ、債権はすべて王室が買い取らせていただきました。あなたのビジネスモデルは、労働力の消失によりたった今『破綻』しました。よって、貸付金の即時一括返済を求めますわ」


 ジャンヌは銀縁眼鏡をキラリと光らせ、デュランの目の前に一枚の書類を突きつけた。


「払えないのであれば、担保として設定されているこの土地の『不動産権利の引き渡し書類』に、今すぐサインをなさい。……逆らえば、債務不履行の詐欺罪として、全財産を差し押さえた上で監獄行きですわよ」


「あ、あああぁぁぁ……っ!!」


 デュランは白目を剥いて泡を吹き、その場に崩れ落ちた。

 銃弾一発撃つことなく。ただ圧倒的な「資本の暴力」と「制度の力」によって、悪徳不動産企業を消し飛ばした瞬間だった。


「……ママン。パパ」


 私の足元で、ジョゼフが目をキラキラと輝かせてその光景を見上げていた。


「これが……王様のお仕事。ルールと仕組みで、弱い人を助ける力……!」


「そうよ、ジョゼフ」

 私は、泥だらけの息子を強く、強く抱きしめた。こらえていた涙が、頬を伝って彼の肩に落ちる。


 怖かった。けれど、この子は逃げなかった。私の自慢の、世界で一番立派な息子だ。


 ジョゼフは私の腕の中で小さく頷き、そして、先ほど彼を突き飛ばした少年・アンリの元へと駆け寄った。


「アンリ!」


「お前……。さっきは、突き飛ばしたりして、ごめん……。それに、庇ってくれて……本当に……っ」


 アンリは、泥だらけの王太子を前に、すっかり萎縮しながらも、ボロボロと大粒の涙をこぼして深く頭を下げた。


「ううん、僕の方こそごめんね。君の気持ち、全然分かってなかった」


 ジョゼフは、泥だらけの右手を差し出した。


「僕、もっともっとお勉強するよ。そして大きくなった時……君が、君のお父さんやお母さんが、誰にも頭を下げずに、自分の力で稼いだお金で胸を張って生きられる国を創る。……だから、君はそこで、一番立派な職人になってよ!」


 五歳の少年の、不器用で、けれどどこまでも真摯な『契約』。


 アンリは、大きく目を見開き、そして声を出して泣きじゃくりながら、ジョゼフの泥だらけの手を、両手でしっかりと握り返した。


「……ああ、約束だ! 俺、お前が創る国で、一番すげえ職人になってみせるからな……!!」


 二人の小さな子供が、泥の中で固く手を結び合う。それは、身分も階級も超えた、フランスの「新しい未来」が産声を上げた瞬間だった。


 数日後。

 チュイルリー宮殿の庭園には、かつてないほど生き生きとしたジョゼフの姿があった。


「ロベスピエール先生! 今日の憲法の授業、もっと早く始めて! 僕、法律がどうやって人を守るのか、もっと知りたいんだ!」


「ジャンヌ! 不動産の権利譲渡の仕組みと、帳簿の書き方を僕にも教えてよ! パパの工場の生産効率を、数字で計算してみたいんだ!」


 あのスラムでの強烈な原体験を経て、ジョゼフの学習意欲は爆発的に跳ね上がっていた。


 彼はもはや「受け身の王子」ではない。自らが国を創るという明確なビジョンを持ち、各分野のアベンジャーズたちから貪欲に知識を吸収するスポンジと化していた。


「……王妃様。殿下のあの眼差し、もはや一端の『帝王』のそれです。私の法律論を、自ら実体経済に結びつけて質問してこられるとは……末恐ろしい」


 ロベスピエールが、嬉しい悲鳴を上げながら額の汗を拭う。


「ふふっ。それに、私の金融ロジックを五歳で理解し始めるなんて、将来は恐るべき王様になりそうですわね」

 ジャンヌも、分厚い帳簿を抱えながら誇らしげに目を細めている。


「ええ。子供の成長なんて、あっという間ね。……私もうかうかしていられないわ」


 私はバルコニーから、力強く未来へ向かって走り出した息子の背中を見つめ、静かに微笑んだ。


 かつて、玉座が持つ「白紙の意味」に怯えていた小さな少年は、もういない。

 彼は自らの目で現実の厳しさを知り、自らの意志で王冠の重さを背負うことを決意したのだ。


 マリー・アントワネット、27歳。

 王冠の教育は、ジョゼフの心に決して消えない熱い炎を灯し、これ以上ないほど美しく、そして完璧な形で幕を下ろした。


 未来の王という、国家にとって最強の後継者を手に入れたフランスは、ここからさらなる輝ける黄金時代へと、確かな足取りで進んでいくのである。

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