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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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175/201

第167話 亡霊の最期

 1782年、冬。

 歴史の教科書に「血塗られた惨劇」として刻まれるはずだったその日は、雲一つない抜けるような青空とともに夜明けを迎えた。


「……終わった。本当に、終わっちまったぞ」


 パリ東部。

 かつて、分厚い石壁で太陽の光を遮り、王室の恐怖と圧政の象徴としてパリの街を見下ろしていた巨大な要塞、バスティーユ監獄。


 その威容は今や跡形もなく消え去り、見渡す限りの真っ白な瓦礫の山へと変貌していた。


 一晩中、ツルハシを振るい、ハンマーを叩きつけた一万人の市民たちは、土埃で顔を真っ白にしながらも、その表情にはかつてないほどの爽快感と達成感が満ち溢れていた。彼らは王室から支給された極上の赤ワインとバゲットを頬張りながら、朗らかに笑い合っている。


「……離せ! 私に触れるな!! 私は、こんな幕引きなど断じて認めんぞ!!」


 その陽気な瓦礫の山の中腹へと、近衛兵のアーサーに両腕を拘束され、無様に引きずり出されてきた男がいた。


 すべての陰謀の黒幕――元宰相・デギュイヨン公爵である。


 彼は、血塗られた革命の指導者として君臨するはずだった己の野望が、単なる日給付きの陽気な土木作業によって粉砕された現実を受け入れられず、血走った目で私を睨みつけた。


「マリー・アントワネット!! 貴様は王族の誇りというものがないのか! なぜ、暴徒どもに金を払い、自らの城を壊させた! こんなものは政治ではない、ただの道化の茶番劇だ!!」


「誇り? そんなものでお腹が膨れるかしら。それに、茶番劇のおかげで誰の血も流れずに済んだわ」


 私は、扇子で口元を隠し、土まみれの元宰相を見下ろした。


「……ならば私を殺せ!! 今すぐここで、私を処刑台へ送るがいい! 私は旧体制の殉教者となる! 私の流す血が、いずれ必ず貴様らを呪い殺す毒となるのだ!!」


 デギュイヨンは、己の敗北を悟りながらも、歴史の闇に名を刻む「悪の殉教者」としての最期を望み、狂気に満ちた笑声を上げた。


 しかし。


「……処刑? しないわよ。私はあのギロチンってやつが、世界で一番嫌いなの」


 私が冷たく言い放つと、デギュイヨンの笑いがピタリと止まった。


「王妃様の仰る通りですわ、デギュイヨン公爵。あなたごときを殉教者にしてやるほど、我が国の司法と財政は甘くありませんのよ」


 私の背後から、分厚い帳簿と書類の束を抱えた財務長官ジャンヌが、妖艶な、しかし氷のように冷酷な笑みを浮かべて歩み出てきた。


「未明に捕縛したあなたの代理人・モローを尋問し、我が財務局の総力を挙げて彼が持っていた無記名手形の資金ルートを追跡いたしました。……結果、あなたがスイス銀行をはじめとする欧州各地に分散させていた隠し口座の全貌を特定いたしましたわ」


「なっ……!?」


「その総額、なんと五千万リーブル! いやはや、旧体制の宰相様は、随分と民の血税を溜め込んでいらしたのですね。すでにスイス銀行団のベルグ頭取には特使を走らせました。万博で結んだ絶対的な金融ネットワークの力で、あなたの口座は数日内にすべて凍結され、国家反逆罪の『損害賠償金』として王室が全額没収いたします」


 ジャンヌの宣告に、デギュイヨンの顔面から一瞬にして血の気が引いた。

 己が監獄の中から世界を操るための唯一の武器であった「莫大な資金」が消滅したのである。


「さ、さらに……!」


 続いて、銀縁眼鏡を鋭く光らせたロベスピエールが一歩前に出て、法務顧問としての絶対の判決を下した。


「デギュイヨン。貴様を国家反逆および内乱教唆の罪で特別法廷へ告発する。新憲法に基づき、厳正なる法の手続きが行われるが……その証拠の数々を前に、判決は火を見るより明らかだ。貴様が持つ貴族としての身分、特権、称号の一切は永久に剥奪されるだろう。貴様はもはや伯爵ではない。ただの大罪人だ!」


「私の、称号が……。金も、名誉も……」


 デギュイヨンはガクガクと震え出し、その場に崩れ落ちた。


「あなたは、影から人を操り、労働者たちから搾取するのが好きだったわね」


 私は、彼の前に屈み込み、その耳元で冷酷に囁いた。


「だから、特別にふさわしい罰を用意してあげる。あなたにはこれから、パリの地下深く――かつてあなたが軽蔑した労働者たちが掘り抜いた暗闇の、さらにその奥底で、下水道拡張のための『最前線のモグラ』として働いてもらうわ」


「ち、地下で……労働だと……!?」


「ええ。終身労働よ。光の届かない地下で、一生泥と岩を相手にツルハシを振り続けなさい。誰もあなたの言葉など聞かないし、操る相手もいない。……あなたが望んだ『影の世界』の底で、自分の罪の重さを岩の重さとして味わいながら、せいぜい長生きすることね」


「やめろ……。やめろぉぉぉっ!! 私を殺せ!! 労働など、私の美学が……私を誰だと思っている!! 私はフランスの宰相だぞ!!」


 デギュイヨンは発狂したように叫びながら暴れたが、アーサーと近衛兵たちによって無情に拘束され、地下深くの坑道へと引きずられていった。


 己の誇りも、金も、殉教者としての名誉すらも完全に剥奪され、単なる一人の「名もなき囚人労働者」へとおとしめられる。


 それこそが、影の権力者にとっての、ギロチンよりも遥かに残酷で、最も『しかるべき』社会的処刑であった。


 こうして、パリを覆おうとした不動産戦争の闇は払拭され、解体されたバスティーユ跡地には、新たな都市開発のための平和な風が吹き抜けていった。


 デギュイヨンの姿が暗い坑道の奥へと消え、その叫び声が土砂の重みに吸い込まれて消えたとき、私の胸には言いようのない安堵と、かすかな疲労感が込み上げていた。


 歴史という巨大な歯車を、私は力ずくで止め、別のレールへと押しやった。

 断頭台の凶刃は錆びつき、憎悪の連鎖は美味しいワインと焼きたてのパンによって霧散した。かつては絶望の象徴だったバスティーユの瓦礫を見渡せば、そこには石材の搬出を競い合う市民たちの、汗と笑いに満ちた活気が満ちている。


「……勝ったのね、ルイ」


 隣に立つ夫の肩に、私はそっと頭を預けた。

 彼の作業着はススと土に汚れ、鼻先には油までついている。決して優雅な王の姿とは言えないけれど、今の彼ほど、王として、そして一人の人間として輝いている存在を私は知らない。


「ああ。君が信じた未来が、僕たちの手で現実になったんだ」


 ルイは大きく息を吐き出すと、冬の澄んだ空を見上げた。その瞳には、かつて私が恐れた「エンジニアとしての冷徹な執着」ではなく、愛する家族と、この国を生きるすべての人々を見守る、温かな慈愛が宿っていた。


 デギュイヨンという毒を排除し、都市の癌であった要塞を解体し、私たちはようやく、真の意味で「新しいフランス」をスタートラインに乗せることができたのだ。


 パリの街には、今夜も柔らかいガス灯の光が灯るだろう。

 人々は明日を不安に怯えることなく、温かな団地の部屋で家族と食事を囲む。そのささやかで、かつては贅沢すぎた「当たり前の日常」こそが、私たちが何よりも守りたかった、最高に美しいフランスの姿だった。


 権力も、陰謀も、血なまぐさい革命の火種も、すべては遠い過去のものとなりつつある。


 今はただ、この凍てつく冬の夜の静寂を、噛みしめるように味わいたい。


 冷たい風が、瓦礫の山を吹き抜けていく。

 それは、血の匂いを運ぶ死神の息吹ではない。これから始まる、科学と理性、そして人々の幸福な営みが織りなす、長く穏やかな春を予感させる、希望のそよ風だった。


 パリの街を愛おしそうに眺めるルイの背中を、私はただ静かに見つめる。

 明日になれば、また新たな問題が持ち上がるかもしれない。世界は常に流転し、私たちの想像もつかない困難が、またどこかで牙を剥いているかもしれない。


 けれど——今夜だけは、この夜の空気を、ただ心ゆくまで堪能することにしよう。

 街の灯りは優しく揺らぎ、人々の笑い声が遠くから聞こえてくる。それは、私たちが確かに守り抜いた、かけがえのないフランスの日常だ。

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