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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第150話 革命のペンと裏切りのインク

 チュイルリー宮殿の執務室は、深夜の冷気に包まれ、文字通り氷のような静寂に支配されていた。


 机の上に投げ出された、一枚の『王室礼賛パンフレット』。

 光に透かせば浮かび上がる、精緻せいちな宮殿の地下見取り図と、書物庫の機密配置。


「……カミーユ・デムーランが運営する新聞社の口座資金の流れを徹底的に洗いましたわ」


 ジャンヌが、無機質な声で沈黙を破った。彼女の手には、インクで真っ黒になった分厚い帳簿が握られている。


「彼が新聞を無料でパリ中にばら撒き始めた時期と、カリオストロが裏で操るダミー会社から、彼の口座へ『匿名寄付金』が振り込まれた時期が、完全に一致しています。……カミーユは、カリオストロから金を受け取り、その見返りとして宮殿内の機密情報を『透かしインク』で印刷し、外部の工作員へ伝達していた。間違いありません」


 決定的な物証と、金の流れ。

 弁いようのない裏切りの証拠を前に、ルイは力なく椅子に座り込み、頭を抱えた。


「なぜだ……。彼は、僕たちの理念に共感してくれていると、信じていたのに……!」


「金に目が眩んだのでしょう。所詮、平民のチンピラ記者です」

 アーサーが短剣の柄を握りしめ、冷酷な目で吐き捨てた。


「……いいえ、違います」


 ナポレオンが、懐中時計の蓋をパチンと閉じて、静かに、しかし断固として否定した。


「彼は単なる金目当ての小悪党ではない。……彼の動機はもっと根深く、そして厄介な『狂った正義感』です」


「正義感……? 国家の機密を詐欺師に売ることが!?」

 私が問うと、ナポレオンは鋭い視線を私に向けた。


「マリー。彼が信奉するジャン=ジャック・ルソーの思想を思い出してください。……人民は自らの意志で立ち上がり、『社会契約』によって自由を勝ち取るべきであると。しかし、現在のフランスはどうですか。あなたがもたらした圧倒的な美味、ホワイトな労働環境、無料の教育。……民衆は王室に感謝し、満たされ、革命の熱など冷めきっている」


 ナポレオンの言葉に、私は息を呑んだ。


「カミーユにとって、王室が上から与える『トップダウンの幸福』は、民衆から自ら考える力と反逆の意志を奪う『見えない鎖』に映ったのでしょう。……さらに、ルイ陛下が次世代の産業技術まで手にしてしまえば、王権は未来永劫、誰にも覆せなくなる」


「だから……王室が絶対的な力を手にする前に、技術の中枢を他国へ破壊させてフランスの優位を崩し、あえて国を混乱に陥れることで、民衆を再び『革命の炎』に駆り立てようとしたのね……」


 私は、震える両手を強く握りしめた。

 国を売り、人々を再び飢えと戦乱の恐怖に突き落としてでも、自分の思い描く『理想の革命』を成し遂げたい。それが彼の、狂気に満ちた正義の正体だったのだ。


「……行きましょう」


 私は立ち上がり、深々と黒いマントを羽織った。


「彼がどんな高尚な理想を掲げていようと、私たちの愛するフランスと子供たちの未来を壊そうとするなら……絶対に許さない。私が直接、彼のその傲慢なペンをへし折ってやるわ」


 深夜のパリ。路地裏の暗がりにひっそりと佇む、カミーユ・デムーランの印刷所。


 アーサーが音もなく鍵を外し、私たちが薄暗い室内へと足を踏み入れると、そこにはインクと油の匂いが充満していた。


 部屋の奥。

 巨大な輪転機りんてんきの前に立ち、カミーユは一人、黙々と新しいパンフレットを刷り続けていた。


「……夜分遅くまでご苦労様ね、カミーユ」


 私の静かな、だが氷のように冷たい声が響くと、彼は輪転機を動かす手を止め、ゆっくりと振り返った。


 驚く様子はなかった。彼は手にべっとりとついた黒いインクをボロ布で拭いながら、どこか諦めたような、それでいて挑発的な薄笑いを浮かべた。


「……気づくのが遅かったな、王妃様。カリオストロの野郎がヘマをして聖剣を奪い返されたって聞いた時から、あんたたちがここへ来るのは時間の問題だと分かっていたさ」


「どうしてこんなことをしたんだ、カミーユ!」


 ルイがたまらず前に進み出た。


「君は、僕たちが作ろうとしている『誰も飢えない国』を支持してくれていたんじゃないのか! アカデミーの子供たちの笑顔を見て、共に歩んでくれると信じていたのに!」


「……『誰も飢えない国』か。反吐へどが出るほど甘ったるい言葉だな、陛下」


 カミーユは、刷り上がったばかりのパンフレットを一枚手に取り、クシャクシャに握り潰した。


「あんたたちがやってるのは、ただの『飼育』だ! 平民を掌握し、教育という名で都合よく従順な労働者を育て上げているだけじゃないか!民衆は今、あんたたちが与える餌に群がる豚と同じだ!」


「なんだと……!」


「俺は、人民が自らの手で、血を流してでも自由と権利を勝ち取る『真の共和国』を夢見ていた! だが、あんたたちがいる限り、この国に革命は永遠に起きない! 圧倒的な産業技術が王室の独占物になれば、民衆は未来永劫、王冠の奴隷のままだ!」


 カミーユの瞳には、狂信的な光が宿っていた。


「だから俺はカリオストロを利用した! 奴にベルサイユを襲撃させたのは、王室の目をそらすためのただの陽動だ! 奴が派手に立ち回っている隙に、俺はパンフレットの『透かしインク』を使って、パリ中の工場や研究施設へ侵入できる死角ルートを、ヨーロッパ中のスパイネットワークに一斉にバラ撒いたんだ!」


 カミーユは両手を広げ、狂ったように高笑いを上げた。


「各国の工作員が、今夜一斉にフランスの産業拠点を爆破する! 国が混乱の極みに達した時こそ、民衆は真の自由のために立ち上がるんだ!!」


「……狂っているわ」


 私は、彼の狂気に満ちた演説を冷たく切り捨てた。


「工場が爆破されて、無実の労働者たちが瓦礫の下敷きになる前で、あなたのその高尚な『理想』が何になるっていうの? 血を流して手に入れる自由より、お腹いっぱい食べて、安全なベッドで笑って眠れる今日の方が、何万倍も尊いわ!!」


 私が激しく一歩踏み込むと、カミーユは顔を歪めた。


「フン! なんとでも言え! だが、もう遅い! 俺が流した侵入ルートの地図はすでに各国のスパイの手に渡り、奴らは地下へと潜り込んだ! 産業の要を失えば、フランスの独占は終わりだ!!」


 彼が勝ち誇ったように叫んだ、その瞬間。


「……本当に、そう思っているのですか?」


 背後から、ナポレオンが呆れたような声で冷や水を浴びせた。


「な、なに?」


「カミーユ。あなたは新聞記者としては優秀ですが、『国家の防諜体制』を舐めすぎている。……アーサー部長、彼に『真実』を教えて差し上げなさい」


 アーサーは冷酷な笑みを浮かべ、カミーユの前に進み出た。


「俺の部下たちが、その安っぽい『透かしインク』の仕掛けに昨日今日気づいたとでも思っているのか? 君が怪しい動きをしていると察知した時点で、俺たちはとっくにこの印刷所に忍び込み、透かしの『原版』をすり替えていたんだよ」


「は……?」


 カミーユの顔から、一瞬で血の気が引いた。

 それに追い打ちをかけるように、ルイが静かに口を開く。


「カミーユ。君がスパイたちにばら撒いた侵入ルートは、ダミーだ。そのルートを進めば、工場の心臓部ではなく、四方を分厚い鉄扉で塞がれた行き止まりの空間……僕たちの用意したキルゾーンへ誘導されるようになっている」


「な……っ! ば、馬鹿な……!!」


 カミーユが後ずさり、印刷機に背中を打ち付けた。


「つまり」とナポレオンが冷酷に宣告する。

「あなたが他国に売った情報は、フランスの工場を爆破させるどころか、各国の優秀なスパイたちを自ら我々の牢屋へと案内する『最悪の道標』だったということです。……今頃、君の情報を信じて潜り込んだ工作員どもは、アーサーの部下たちによって一人残らず捕縛されている頃でしょうね」


「あ、あああ……っ!」


 自分がフランスを売ったつもりが、実は王室の完璧な防衛網の掌の上で踊らされ、結果的に『フランスの防衛に加担していた』という残酷な事実。


 カミーユのジャーナリストとしての、そして革命家としてのプライドは、この瞬間、根底から粉々に砕け散った。


「……やれ、アーサー」


 カミーユが崩れ落ちた隙を突き、アーサーが一瞬で距離を詰め、彼の腕を捻り上げて拘束した。


「はなせっ! 俺をどうする気だ! ギロチンにかけるか!? 望むところだ、俺を殉教者じゅんきょうしゃにすれば、民衆は必ず立ち上がるぞ!!」


 カミーユが血走った目で私を睨みつける。

 だが、私は彼を哀れむように見下ろし、ゆっくりと首を横に振った。


「処刑なんてしないわ。あなたのその薄汚い血で、私たちの『誰も死なせない歴史』を汚すのは真っ平ごめんよ」


「何……?」


「私は、あなたが一番恐れる方法で、あなたを社会的に抹殺するわ」


 私は、ジャンヌに向かって合図をした。

 ジャンヌは、カミーユの輪転機にセットされていた『王室打倒の扇動記事』の原版を容赦無く引き剥がし、代わりに、私たちが用意してきた『新しい原版』をガシャンとセットした。


「な、何を印刷する気だ!」


「あなたの新聞の『明日の朝刊』よ」


 私は扇子をパチンと開き、彼にその原稿を読み上げて聞かせた。


「『謝罪広告。私、カミーユ・デムーランは、王室に関する重大な誤報を流し、さらに詐欺師に騙されてでたらめな地下地図を高値で売り捌くという、ジャーナリストとしてあるまじき愚行を犯しました。この恥をすすぐため、私はペンを折り、自らの意志でパリを永遠に去ります』……どう? 完璧な引退宣言でしょう?」


「き、貴様ァァァッ!! ふざけるな! 俺の誇りを、俺のペンをそんな三文芝居で汚してたまるか!!」


「誇り? 仲間を裏切り、国を売ろうとした人間に、誇りなんて残っていないわ」


 私は、彼の顔のすぐ近くまで身をかがめ、氷のように冷たい声で言い放った。


「あなたのサイン入りで、この謝罪文をパリ中にばら撒くわ。……あなたは殉教者でも革命家でもなく、『詐欺師に騙されて偽の地図を売り捌いた、間抜けな三流記者』として歴史から退場するのよ」


「あああああァァァッ!! やめろ!! 殺せ! いっそ殺してくれェェッ!!」


 カミーユが絶叫するが、アーサーの拘束から逃れることはできない。

 ジャーナリストにとって、自らの名で致命的な「誤報と詐欺の謝罪」をさせられることは、肉体的な死よりも恐ろしい、完全なる社会的死であった。


「アーサー。彼を馬車に乗せなさい。……今夜のうちに国境まで運び、フランスから永遠に追放しなさい」


「イエス、マイ・マム」


 アーサーに引きずられていくカミーユの絶叫が、夜の闇に消えていく。


 私は、彼が残した印刷機を見つめ、深く、重い溜め息を吐き出した。


「……辛い決断でしたね、マリー」

 ナポレオンが、珍しく気遣うような声をかけてきた。


「……いいえ。これでよかったのよ。彼が私たちの元を去ったことで、革命の芽を一つ摘むことができた。……でも」


 私は、窓の外の暗いパリの空を見上げた。


「これで終わりじゃないわ。カミーユは社会的に死んだけれど、彼のあの『狂った正義感』は、国外でさらに危険な形に化けるかもしれない。……そして何より、あの『太陽王の契約書』を巡る各国の思惑が、これからもっと巨大な暴力となって私たちに牙を剥く日が、必ず来るわ」


 裏切り者を追放し、当面の危機を脱したフランス王室。

 だが、身近な人間の離反は、私たちが築き上げた「健康と経済のユートピア」のもろさを浮き彫りにした。


 マリー・アントワネット、26歳。

 内なる影を冷徹な論理で切り捨てた彼女は、これからやって来るであろう「真の歴史の激動」に向けて、さらなる強固な防衛線を構築する覚悟を固めたのである。

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