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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第148話 太陽王の遺言

 国境の石橋での激闘から、丸一日が経過した深夜。


 冷たい雨がパリの石畳を黒く濡らす中、轟音を響かせて爆走してきた漆黒の馬車『マリー・エクスプレス号』は、チュイルリー宮殿の裏門へと滑り込んだ。


 パラゴムのタイヤがキュルルッ! と鋭い摩擦音を立てて停止する。


「到着しました。王妃様、陛下。……長時間の強行軍、お疲れ様でした」


 御者台から軽やかに飛び降りたアーサーが、馬車のドアを開けた。

 極限のチェイスと物理的な大立ち回りを終え、不眠不休で駆け抜けてきたというのに、彼の息は全く乱れておらず、漆黒のフロックコートには微かな泥が跳ねている程度だ。


「お疲れ様、アーサー。最高のドライビングだったわ。あなたがいなければ、今頃どうなっていたか」


 私が疲労で重くなった身体を引きずって馬車から降り立つと、宮殿の奥から凄まじい勢いでヒールの音を響かせて駆け寄ってくる人影があった。


「王妃様!! 陛下!!」


 財務特別監査局長・ジャンヌである。

 彼女は徹夜で報せを待っていたのだろう、目の下に微かな隈を作っていたが、私たち――とりわけアーサーの姿を認めた瞬間、安堵に大きく肩を撫で下ろした。


「皆様、ご無事で……! 本当に、本当によかったですわ! 」


「ええ、ジャンヌ。留守を任せて悪かったわね。……でも、私たちにはすぐに確認しなければならない『最重要機密』があるの」


 私の言葉に、ジャンヌも表情を引き締めた。

 私たちは足早に、誰の目にも触れないチュイルリー宮殿の最奥、国王の専用執務室へと向かった。


 重厚なマホガニーの扉が閉ざされ、部屋には私、ルイ、ナポレオン、アーサー、そしてジャンヌの五人だけが残された。


 ルイは、机の上に「それ」をそっと置いた。


 カリオストロの手から奪い返した、フランス王権の象徴たる聖剣『ジョワユーズ』。

 そして、その剣のつかに仕込まれた特殊なシリンダー機構から取り出された、古びた羊皮紙の束と、一枚の謎の契約書である。


「……これが、太陽王ルイ14世が残した、真実というわけか」


 ルイが、震える手で羊皮紙の束の一枚を広げる。


 そこに描かれていたのは、莫大な金塊の隠し場所を示すような宝の地図などではなかった。

 緻密な線で描かれた、複雑怪奇な歯車、シリンダー、そして熱の循環を計算した数式の羅列。


「これは……」

 覗き込んだナポレオンが、息を呑んだ。


「蒸気機関……いや、それ以上の何かです。熱エネルギーをロスなく運動エネルギーに変換し、半永久的にピストンを駆動させようとする試み……『永久機関』の原型とも呼べる超高度な動力設計図だ」


「……百年以上も前に、こんなものを考えていたのか」


 ルイは呆然と呟き、設計図の下に重なっていた別の羊皮紙を手に取った。

 それは、太陽王ルイ14世自身の手による、後世の王へ宛てた『手記』だった。


 インクは色褪せているが、流麗で力強い筆致のフランス語がそこに綴られている。

 ルイは、一つ一つの言葉を噛みしめるように、ゆっくりと読み上げ始めた。


『……私は太陽王と呼ばれた。富の象徴、絶対権力の化身、フランスの栄光そのものとして、民の視線と、他国の羨望せんぼうを一身に浴びてきた。しかし、私が真に望んだのは、黄金で飾られた宮殿でも、他国をひざまずかせる軍事力でもなかった』


 読み進めるルイの声が、次第に細く、微かに震えを帯びていく。


『贅沢は、国民との距離を広げた。権力は、真実を語る声を遠ざけた。私は、ベルサイユという黄金の鳥籠の中で、輝けば輝くほどに、国民から切り離されていく孤独な太陽であった。……それでも、私はこの国の、そしてこの国の民の未来だけは、何としてでも繋ぎたかったのだ』


 ページをめくる音が、静寂に包まれた部屋に響く。


『未来の王よ。貴方が私の時代を振り返る時、きっと私の浪費や傲慢を呪うだろう。だが、この設計図を手に取ったのなら、私の本心を知ってほしい。私は、富がなくても民が豊かに暮らせるための、無尽蔵の「動力」を求めた。冷たい石炭を掘るために地下で命を落とす労働者や、過酷な手作業で背骨を曲げる農民たち。彼らの苦労を少しでも減らし、自らの手で運命を切り開けるだけの「力」を、この国に与えたかった。……機械の歯車に魅了されたこの探求心こそが、私という一人の人間の誇りであり、私のたった一つの償いなのだ』


「……償い」


 私は、胸の奥がギュッと熱く締め付けられるのを感じた。


 太陽王ルイ14世。「ちんは国家なり」と豪語し、ベルサイユ宮殿という人類史上最大の贅沢を具現化させた男。


 彼はただ傲慢に富をむさぼっていたわけではなかった。栄華の裏で、その巨大な権力を維持しなければならないという重圧と、民との間に広がる深い溝に、生涯を通じて苦しんでいたのだ。


「……ルイ14世は、孤独な技術者だったんだ。……僕と、同じだ」


 ルイが、ぽつりとこぼした。

 彼の目から、大粒の涙がポロポロと流れ落ち、古い手記のページをわずかに濡らした。


「僕は……僕は、ずっとこの王冠が重くて、怖くて仕方なかった。いつか君たちを不幸にしてしまうんじゃないか、国を滅ぼしてしまうんじゃないかと。……だから僕は、錠前や機械をいじっている時だけが、唯一、王としての重圧から解放される時間だった。誰も僕の本当の気持ちなんて理解してくれないと、ずっとすねていたんだ」


 ルイの肩が、ヒック、ヒックと小さく震える。


「でも、太陽王も同じだったんだね。彼もまた、誰にも理解されない孤独の中で……この国の未来のために、必死で『設計図』を書いていたんだ。……彼を浪費家だと軽蔑していた自分が、ひどく恥ずかしいよ」


 私は、ルイの隣に歩み寄り、その大きく分厚い背中を優しく撫でた。


「ルイ。泣くことはないわ」


 私は、彼の手を両手でしっかりと包み込んだ。


「太陽王様は、この手記を『未来の王』であるあなたに託したのよ。……お母様が私にサウナハットを遺してくれたように。先祖たちが不器用に残してくれた想いを、私たちが完成させればいいの」


「アントワネット……」


「あなたはフランスの民衆を飢えから救い、空飛ぶ船まで作ってしまった、世界で一番かっこいいエンジニア王よ。……太陽王様が夢見た『民を豊かにする力』を、あなたなら絶対に実現できるわ」


 私の言葉に、ルイは涙を袖で乱暴に拭い、力強く頷いた。


「ああ……! 僕は、この設計図に込められた14世の想いを、必ず現代の技術で甦らせる! 君が導いてくれた『人道的な産業』を、この技術でさらに発展させてみせるよ!」


 その瞳には、かつての弱々しさは微塵もなく、王としての、そして一人の技術者としての、揺るぎない覚悟が宿っていた。


 だが。

 その感動的な空気を、氷のような冷徹な声が一刀両断した。


「……陛下。先祖との対話に水を差すようで申し訳ありませんが、感傷に浸る時間は終了です。……この図面と共に残された、もう一枚の『契約書』を見てください」


 ナポレオンが、机の端に置かれた契約書の羊皮紙を指で弾いた。


「契約書……?」


「ええ。カリオストロが本当に狙っていたのは、この図面そのものではなく、こちらの方でしょう。……これは、フランスを内部から合法的に崩壊させる、最悪の『呪い』です」


 ナポレオンの言葉に、ジャンヌが眉をひそめてその契約書を覗き込んだ。


「これは……王家の古い公印が押されていますわね。ラテン語で書かれていますが……なっ!?」


 ジャンヌの顔から、サッと血の気が引いた。


「どうしたの、ジャンヌ! 何て書いてあるの!?」


「……『太陽王ルイ14世は、スペイン継承戦争における莫大な戦費の借入の担保として、将来フランス国内において革新的な動力技術が開発・実用化された場合、その技術特許および関連するすべての鉱山・産業利権の50パーセントを、債権国であるイギリスおよびプロイセンの指定する資本に譲渡する』……!!」


「「「な、なんだってぇぇぇっ!?」」」


 私とルイは、同時に悲鳴を上げた。


「ば、馬鹿な! そんな理不尽な契約が……!」


「戦争で国家が首の皮一枚で繋がっているような極限状態では、未来の不確かな技術利権など、いくらでも切り売りしてしまうものです。……太陽王は、国を即死から救うために、苦渋の決断で『未来』を担保に差し出したのでしょう」


 ナポレオンが、極めて冷酷に事実を分析した。


「この契約書は、長年『実現不可能な夢物語』として忘れ去られていたはずです。……しかし現在、我々は実際に蒸気機関を稼働させ、産業革命を起こし、莫大な富を生み出し始めている。……もしカリオストロが、この『秘密条約の原本』と『動力の設計図』をセットでイギリスやプロイセンに売り飛ばしていたら、どうなるか」


 ナポレオンの瞳が、恐ろしいまでの危機感をはらんで光った。


「敵国は、武力を使わずとも、この契約書を『国際法的な正当性』として突きつけ、フランスの工場や鉱山を合法的に差し押さえる大義名分を得ていたのです。……まさに、首の皮一枚のところで我々は国家滅亡を防ぎました」


 私は、ゾッと背筋が凍るのを感じた。

 単なる宝探しではない。私たちは、フランスの国家主権そのものを奪い合う、最も危険な外交の爆弾を取り扱っていたのだ。


「……でも、取り返したわ。原本はここにある。カリオストロの野望は潰えたのよ」


 私が自分に言い聞かせるように言うと、部屋の隅で沈黙を保っていたアーサーが、低く、重苦しい声で口を開いた。


「王妃様。……問題は、カリオストロの目的ではありません。彼が『どうやって』この密室の構造を知り得たか、です」


「え?」


「考えてみてください。密室トリックを実行するには、標的である剣が展示台の『どの位置』に置かれているか、正確に把握していなければ不可能です。さらに、網の目のように入り組んだ下水道のどこを通れば金庫室の真下へピンポイントでたどり着くのか、そして何より……我々国民衛兵の『警備の死角』と『交代時間』を、1秒の狂いもなく熟知していなければならない」


 アーサーの言葉が、部屋の温度を急激に下げていく。


「カリオストロは外部の人間です。彼が単独で、これほど正確な宮殿内部の機密情報を集められるはずがない」


 ナポレオンが、アーサーの言葉を引き継ぎ、冷徹な結論を叩きつけた。


「ベルサイユの金庫室や、陛下が敷設された最新の下水道構造を記した極秘の設計図は、我々が移り住んだこのチュイルリー宮殿の書物庫にのみ厳重に保管されています。……つまり、このチュイルリー宮殿の内部に、設計図やスケジュールを盗み見てカリオストロに情報を流し、計画を手引きした『内通者』がいるということです」


 ――シーン。


 執務室に、重く、息の詰まるような沈黙が降りた。


「う、裏切り者……!? 私たちの、中に!?」


 私は思わず周囲を見渡した。

 ここにいるメンバーは絶対にあり得ない。だが、宮殿内には数え切れないほどの労働者、衛兵、そして私たちがスカウトした「仲間たち」がいる。


 全員が、フランスの健康と経済のために、共に汗を流してきた仲間のはずだ。

 一緒に笑い合ってきた。彼らの中に、王室を裏切り、国を売ろうとする者がいるというのか。


「……信じられない。誰が、何のために……」


 ルイが青ざめた顔で首を振る。


「動機は金か、それとも政治的イデオロギーか。……いずれにせよ、この内通者を放置すれば、我々の技術も命も、常に刃に晒されているのと同じです」


 ナポレオンは手帳を開き、素早い手つきで何かを書き込み始めた。


「アーサー部長。この一ヶ月間の、宮殿内における全職員の行動記録、特に『書物庫』『工房』『陛下の執務室周辺』への出入り記録を洗い直してください。ジャンヌ局長は、外部からの不審な資金流入がないか、全職員の口座と手紙のやり取りを監査してください」


「……承知いたしましたわ。私の目を誤魔化して裏金を受け取っているネズミがいるなら、吐き出させてやります」


 ジャンヌが、底冷えのするような声で応じた。


「マリー。あなたは普段通りに振る舞ってください。裏切り者に警戒されていると悟らせてはいけません。……我々が、必ず尻尾を掴み出してみせます」


 ナポレオンの言葉に、私はただ無言で頷くことしかできなかった。


 窓の外では、冷たい雨音が静かにパリの街を叩き続けていた。


 私の心の中に広がっていたのは、温かい光ではなく、得体の知れない「疑心暗鬼」という名の黒い影だった。


(……誰なの? 誰が、私たちのこの温かいユートピアを、裏から食いつぶそうとしているの……?)


 輝かしい物語の裏側で、かつてないほど濃密で、そしてあまりに切ない「密室の疑心暗鬼」という嵐が、チュイルリー宮殿を飲み込もうとしていた。


 マリー・アントワネット、26歳。

 彼女は、自分が作り上げた最強の幸福な空間に、取り返しのつかない亀裂が入り始めていることに、胸を締め付けられるような恐怖を覚えながら、静かに戦いの準備を始めるのであった。

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