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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第141話 狂う秒針

「……だめですわ。計算が、全く合いませんの……」


 チュイルリー宮殿、財務特別監査局の長官室。

 普段なら猛烈な勢いでペンの音を響かせているはずのジャンヌが、今日ばかりは帳簿に突っ伏し、深々とため息を吐いていた。


 先日の地下金庫での襲撃事件。

 あのアーサーから告げられた『貴女こそが、何に代えても守り抜くべき最優先防衛目標だ』という言葉が、呪いのように頭の中をグルグルと駆け巡り、ソロバンの思考回路をバグらせていたのである。


「彼が視界に入るたびに、心拍数が異常な数値を叩き出しますわ。……これは由々しき事態。私の心臓の減価償却が早まってしまいます」


 ジャンヌは熱を持つ頬を両手で挟み、ブツブツと呟いた。


「ですが……彼は私を『最高の資産』と評価してくれました。ならば金庫番として為すべきことは一つ! この最強の防衛システム、アーサーに対する『適切な投資とメンテナンス』ですわ!!」


 ジャンヌはガバッと顔を上げ、メガネをクイッと押し上げた。

 そう、彼女は自分の中に芽生えた「恋心」という非合理な感情を、どうにかして「ビジネスの論理」で正当化しようと試みたのだ。


 彼女はすぐさま立ち上がり、扉の外で直立不動の警備に就いているアーサーのもとへ向かった。


「ア、アーサー! ちょっとよろしいかしら!」


「はい、ジャンヌ殿」


「 あの、その……本日の午後、パリ市内の紳士服店および、レストランの市場価格調査に向かいます! つきましては、あなたに護衛と……その、調査の協力を命じますわ!」


 顔を真っ赤にして早口で捲し立てるジャンヌ。

 要するに「服を買ってあげるから一緒にご飯を食べに行こう」という、不器用極まりないデートの誘いであった。


「……市場調査ですか」


 アーサーは少しだけ首を傾げたが、すぐに軍人の顔に戻り、胸に手を当てた。


「承知しました。ジャンヌ殿の特別任務とあらば。……ただちに武装を点検し、市街地での隠密・警護フォーメーションを構築します」


「武装はいりませんわ! あくまでお買い物……いえ、視察ですのよ!!」


「……ねえ、ナポレオン」


「はい、マリー」


 廊下の曲がり角から、私とナポレオンは、その一部始終を双眼鏡を覗きながらニヤニヤと見守っていた。


「ジャンヌのやつ『デートの誘い』を『業務命令』にすり替えたわね」


「自己正当化の極みですね。しかし、アーサーもそれを純粋な軍事ミッションとして受諾している。ある意味で需要と供給は一致しています」


「これは見逃せないわね。ナポレオン、今日の午後のスケジュールはオールキャンセルよ! 」


「……非生産的極まりないですが、部下の心理状態を把握するのも上司の務め。お供しましょう」


 午後。パリの中心部、サントノーレ通りの高級紳士服店。


 貴族御用達の煌びやかな店内に、ジャンヌとアーサーの姿があった。


「さあ、アーサー。今日はあなたの服を新調しますわ。いつも黒のフロックコートばかりでは、王室警護長としての威厳が……いえ、たまには明るい色も着てみてはどうかしら?」


 ジャンヌは、上質なシルクで仕立てられた、美しいネイビーブルーのジャケットをアーサーの肩に当てた。


(……ふふっ。やっぱり私の目に狂いはありませんわ! この人、顔立ちが整っているから、上質な服を着せたらパリの貴族なんて目じゃないくらいカッコいい……!)


 ジャンヌが内心で悶絶していると、アーサーは鏡に映る自分の姿を冷徹な目で見つめ、口を開いた。


「……不採用です」


「へっ? な、なぜですの!?」


「まず、生地の光沢が強すぎます。夜間の任務において、月の光を反射し敵に位置を悟られる。さらに、肩周りのカッティングがタイトすぎて、腕の可動域が制限されます。命取りです」


「ここは戦場じゃありませんわ!!」


 ジャンヌは思わず叫んだ。


「大体、あなたは常に黒い服ばかり! それじゃあ目立たないというか、暗殺者そのものじゃありませんか!」


「ええ。血の汚れが目立たないという最大のメリットがあります。返り血を浴びるたびに着替えていては、無駄ですから」


「っ~~!! この……っ、超実践的合理主義者!! 少しはファッションという非合理なロマンを理解しなさいな!!」


 ジャンヌは頭を抱えた。この男を「普通の恋人」のように着せ替えるのは、不可能だと悟ったのだ。


「……分かりましたわ。服は諦めます。ですが、何か一つくらい……私の『投資』を受け入れなさい」


 ジャンヌはショーケースの中から、煌びやかな銀細工が施された懐中時計を取り出した。


「これならどうですの? あなた、いつも時間を気にして空の太陽や街の時計塔ばかり見ていますわよね。これがあれば、手元で正確な時間が分かります。……つまり、視線を逸らさずに、ずっと前を見ていられるということですわ」


 ジャンヌは少し顔を赤らめながら、懐中時計をアーサーの胸元に押し付けた。


 アーサーはその懐中時計を手に取り、静かに秒針の音を聞いた。


「……狂いのない正確な鼓動。それに、蓋の裏側が鏡面仕上げになっている。これなら、後ろを振り返らずとも、背後の敵の動きを察知する『後方確認用ミラー』として機能します」


「ッ……!!もうそれでいいですわ!!」


「感謝します、ジャンヌ殿。貴女からのこの優れた『戦術装備』、私の命に代えても大切に扱わせていただきます」


 アーサーは恭しく一礼し、懐中時計を大事そうに胸のポケットにしまった。

 言い回しはミリタリーだったが、彼がジャンヌからの贈り物を「命に代えても大切にする」と言った事実に嘘はない。その真摯な瞳に見つめられ、ジャンヌの怒りは風船がしぼむように消え去り、代わりにドクンと心臓が高鳴った。


(……ずるいですわ。そういう真っ直ぐなところ……本当に、ずるいですわ)


 夕刻。

「市場調査」の締めくくりとして、二人はシャンゼリゼ通りにオープンしたばかりの最高級レストランを訪れた。


 シャンデリアの輝く豪華な店内。キャンドルが灯るテーブル席。

 ジャンヌは、今日こそロマンチックな雰囲気を作ろうと意気込んでいた。


「……あの、アーサー。なぜあなたは、私の椅子の後ろで直立不動で立っていますの?」


 テーブルに向かい合って座るはずが、アーサーはジャンヌの背後にピタリと立ち、周囲の客を鋭い鷹の目で監視していた。


「私は護衛です。対象者の食事中、360度の警戒を怠るわけにはいきません」


「目立って仕方がありませんわ!! いいから向かいの席に座りなさい! これも業務命令です!」


 ジャンヌに無理やり席に座らされたアーサーは、背筋をピンと伸ばしたまま、微動だにしなかった。


 やがて、ギャルソンが美しく盛り付けられた料理と、デザートの『木苺のソルベ』を運んできた。


「まあ、美味しそうですわね。このソルベ、冷たくて甘酸っぱくて……」


 ジャンヌが銀の小さなスプーンを手に取り、ソルベをすくおうとした、その瞬間だった。


 スッ……。


 アーサーの手が伸び、ジャンヌの持っていたスプーンを、彼女の手ごとふわりと包み込むように握ったのだ。


「ア、アーサー……っ!?」


 突然のスキンシップに、ジャンヌの心臓が爆発しそうになる。


「お待ちください。……毒物の可能性があります」


 アーサーはジャンヌの手からスプーンを滑り取ると、そのままソルベをすくい、躊躇なく自分の口へと運んだ。


「……ッ!?」


 ジャンヌは目を見開いた。

 今、彼が使ったスプーンは、自分がさっきまでスープを飲んでいたスプーンである。


(かかか、間接……間接、キスゥゥゥゥッ!!?)


 ジャンヌの脳内で、未曾有の金融パニックが引き起こされた。

 顔は沸騰したヤカンのように真っ赤になり、口からはパクパクと音のない悲鳴が漏れている。


 一方のアーサーは、ソルベを飲み込むと、真剣な顔で数秒間自身の体調を確認し、コクリと頷いた。


「……異常なし。痺れ、味覚の違和感、消化器系の異常は確認できません。安全な補給物資です。どうぞ、ジャンヌ殿」


 アーサーは、毒見という名の間接キスを終えたスプーンを、事も無げにジャンヌへと返した。


「ど、どうぞって……! あ、あなた、自分が今、何をしたか分かっていますの!?」


「はい。毒見です」


「そうじゃなくてっ! そのスプーンは、私が……っ!」


「? 気になさることはありません。私は戦場で泥を食べた経験もあります。少々の汚れなど、任務の妨げには……」


「汚れてませんわーーーッ!!! 乙女の純情を泥と一緒にするなバカァァァッ!!」


 ジャンヌの悲鳴が、高級レストランのフロアに響き渡った。


 帰りの馬車の中。

 ジャンヌは顔を真っ赤にして、窓の外を向いたまま一言も喋らなかった。


「……ジャンヌ殿。怒っていらっしゃるのですか」


 向かいの席に座るアーサーが、不思議そうに尋ねる。


「怒っていませんわ。ただ、自分の『投資対効果』の計算が、根本から間違っていたと反省しているだけですわ」


 ジャンヌは唇を尖らせた。

(この朴念仁ぼくねんじんにロマンチックを求めた私がバカでしたわ……。彼はずっとこのまま。私だけが、勝手にドキドキして、振り回されて……)


 その時。

 馬車が石畳のくぼみにハマり、ガコンッ! と大きく揺れた。


「きゃっ!?」


 ジャンヌの体が座席から投げ出されそうになる。

 だが、それよりも早く、アーサーの逞しい腕が伸び、ジャンヌの肩をしっかりと抱き止めた。


「……失礼。姿勢制御が遅れました」


 アーサーはジャンヌの体をそっと座席に戻す。

 その際、彼の胸元で、先ほどジャンヌが贈った『銀の懐中時計』がカチャリと鳴った。


「……アーサー」


「はい」


「あなた、その時計……本当に使ってくださるの?」


「ええ。ジャンヌ殿からの『下賜品』ですから。……それに、これを見るたびに、貴女の『資産を守り抜く』という私の任務の重みを、再確認できます」


 アーサーは、どこまでも真面目に、そして少しだけ……本当に少しだけ、口角を柔らかく上げて微笑んだように見えた。


 ドクンッ。


 ジャンヌは、自分の胸の奥で、もう絶対に抗えない『恋の確定申告』が完了したのを悟った。


(……ああ、もうダメですわ。このポンコツの笑顔一つで、私の全財産を投げ出してもいいと思えてしまうなんて……)


「……アーサー」


「何でしょうか」


「次の休日も、パリの『市場調査』に行きますわよ。……今度は、あなたの意見も取り入れた『装甲率の高いドレス』を見立ててもらいますわ」


 ジャンヌが顔を真っ赤にしながらそっぽを向いて言うと、アーサーは力強く頷いた。


「承知しました。最高水準の防弾性能を持つ絹布を探しましょう」


 ロマンチックは皆無。

 すれ違いは絶賛継続中。


 しかし、二人の距離は、ミリ単位で、しかし確実に縮まっていた。


 そして、その後ろの馬車から双眼鏡で覗き込んでいた私とナポレオンは、「じれったい!!」と叫びながら、二人の不器用すぎる恋路に盛大なツッコミを入れ続けるのであった。

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