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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第137話 学び舎の亀裂

 基礎教育アカデミー。

 その見学用回廊から中庭を見下ろし、弁護士であり本校の社会科教師でもあるマクシミリアン・ロベスピエールが、眼鏡のブリッジを押し上げながら深く感嘆の息を漏らした。


「……平民の子供たちが、貴族の子供たちと肩を並べて物理法則を議論している。かつてのフランスでは、絶対にあり得なかった光景です」


「ええ。身分なんて、美味しい給食と夢中になれる実験の前では、ただの飾りよ」


 私は腕を組み、誇らしげに胸を張った。

 アカデミーでは、当初懸念されていた「貴族と平民の身分闘争」は驚くほど起きていなかった。なぜなら、ルイによる理科実験や、私が指導する徹底的な体育の前に、子供たちは家柄をひけらかす余裕など全くなかったからだ。


 彼らは同じ釜の飯を食い、共に泥だらけになって学んでいる。

 この学び舎こそが、私が思い描いた「血を流さない革命」の最も美しい結晶だった。


 ――だが。

 何百年も続いてきた『階級社会』の呪縛が、そう簡単に消え去るわけがなかったのだ。


「……きゃあああああっ!!」

「誰か! 先生を呼んで!! 血が出ているわ!!」


 突如、中庭の奥――木製のアスレチック遊具が設置されている体育エリアから、子供たちの悲鳴が上がり、静寂が引き裂かれた。


「な、何事よ!?」

「マリー様、こちらへ!」


 私とロベスピエールは顔を見合わせ、猛ダッシュで階段を駆け下りた。

 人だかりをかき分けて中心に飛び込むと、そこには血の気が引くような凄惨な光景が広がっていた。


「い、痛いぃぃっ! 父上ぇぇっ!!」


 地面に倒れ込み、腕を不自然な方向に曲げて号泣しているのは、大貴族ロシュフォール伯爵の嫡男、九歳のジュリアンだった。その額からはタラリと赤い血が流れ、インディゴブルーの制服を汚している。


 そして、そのジュリアンを見下ろすように、荒い息を吐きながら立ち尽くしている少年がいた。

 チュイルリー工場作業員の息子、同じく九歳のジャンだ。


「ジャン! 一体何があったの! ジュリアン君のその怪我は……!」


 私が駆け寄ると、周囲の子供たちが青ざめた顔で口々に叫んだ。


「ジャ、ジャンが……ジュリアン君を、高い足場から突き飛ばしたんです!」

「ジュリアン君が落ちて、腕の骨が折れる音がしました……!」


 私は絶句した。

 突き飛ばした? この高さから? 一歩間違えれば、首の骨を折って死んでいてもおかしくない。


「ジャン……本当なの?」


 私が問いただすと、ジャンは泥だらけの拳をギリッと強く握りしめ、泣きそうな顔を必死に堪えながら、しかし決して目を逸らさずにハッキリと言った。


「……俺が、突き飛ばしました。でも……俺は……っ!」


「そこまでだ、下賎なゴミ屑め!!!」


 ジャンが何かを言いかけたその瞬間。

 鼓膜を破るような怒号とともに、取り巻きの護衛兵を引き連れた豪奢な身なりの大男が、群衆を乱暴に押しのけて現れた。


 ロシュフォール伯爵その人である。彼は今日、息子の授業参観のためにアカデミーを訪れていたのだ。


「ジュリアン! おお、なんという事だ、私の跡取り息子が……! 腕が、腕が折れているではないか!」


 血を流す息子を抱き起こしたロシュフォール伯爵の顔が、怒りでどす黒く染まり上がった。

 彼はギリィッと首を巡らせ、ジャンを……いや、私を憎悪に満ちた目で睨みつけた。


「……王妃殿下。これが、あなたが提唱した『身分不問の教育』の成れの果てですか!!」


「ロシュフォール伯爵、落ち着いてください! まずはジュリアン君の治療が先です! すぐにサンソン先生を……」


「触るな! これ以上、平民の薄汚い手で私の息子を汚されてたまるか!」


 伯爵は自らの護衛兵に息子を預けると、腰に帯びた細身の剣をチャキッと抜き放ち、ジャンの鼻先にその鋭い切っ先を突きつけた。


「ひっ……!」

 ジャンが小さく後ずさる。


「伯爵! 子供相手に剣を抜くなど、正気ですか!」

 私が間に入ろうとすると、伯爵は狂気に満ちた目で叫んだ。


「正気だと!? 貴族の体に傷をつけた平民は、その場で手首を切り落とすか、絞首刑に処される。それが我がフランス王国が何百年も守ってきた『絶対の掟』だ! 王妃殿下といえど、この神聖な階級の法を曲げる権限はないはずだ!!」


 ――特権階級の法。

 この時代、平民が貴族を傷つけることは、いかなる理由があろうとも「国家反逆」に等しい大罪として裁かれるのだ。


「衛兵!! この薄汚い平民のガキを直ちに捕縛し、バスティーユの地下牢へぶち込め! 明日の朝一番に、特権裁判所で『死刑』の判決を下してやる!!」


「やめて!! ジャンはまだ九歳の子供よ! 事情も聞かずに……!」


「事情など関係ない! 突き飛ばしたと自白したではないか!」

 伯爵の冷酷な命令により、武装した衛兵たちがジャンを取り押さえようと迫る。


「……待て!!」


 その時。

 衛兵たちの前に、一人の小柄な青年が両手を広げて立ちはだかった。

 黒いフロックコートを翻し、銀縁眼鏡の奥で知的な瞳を鋭く燃やした男――マクシミリアン・ロベスピエールである。


「ロベスピエール先生……!」

 ジャンが、震える声で彼を見上げる。


「何だ貴様は! どけ! 平民の教師風情が、大貴族たる私の決定に逆らう気か!」


「私は本校の教師であり……パリ高等法院に籍を置く『弁護士』です」


 ロベスピエールは、一歩も退かずに伯爵を真っ向から見据えた。


「伯爵。確かに古代からの慣習法において、貴族への傷害は重罪とされています。……しかし! 現国王ルイ十六世陛下の御代において、いかなる罪人であろうと『正式な弁護と審理を受ける権利』は保障されているはずだ!」


「小賢しい理屈を……! 現行犯だぞ! このガキが息子を殺そうとしたのは明白だ!」


「それは『あなたの主観』に過ぎない。……ジャン君は先ほど『俺が突き飛ばした、でも……』と、言葉を続けようとした。そこには間違いなく、彼なりの『正当な理由』が存在する!」


 ロベスピエールの言葉に、伯爵は鼻で笑った。


「正当な理由だと? 平民が貴族を突き落とすことに、正当な理由など天地がひっくり返っても存在しない!……いいだろう、弁護士気取りの青二才。そこまで言うのなら、明日の特権裁判所で貴様がこのガキの弁護人として立つがいい」


 伯爵は、残酷な笑みを浮かべて宣告した。


「だが、忘れるな。裁判長を務めるのは我がロシュフォール家の息のかかった高等法院の貴族たちだ。貴様がどれほど吠えようと、判決は覆らん。……もし貴様が敗訴した時は、このガキの首が飛ぶだけではない」


 伯爵は、私の方へ忌々しげに視線を向けた。


「平民の凶悪性を証明し、王妃殿下が推し進めるこの『基礎教育アカデミー』という不愉快な施設そのものを、王室の権威において完全に閉鎖・解体していただく! ……貴族の誇りに懸けてな!!」


 アカデミーの閉鎖。

 それは、私たちが血と汗を流して築き上げてきた「身分なき未来」が、根底から破壊されることを意味していた。


 中庭にいるすべての子供たち、そして駆けつけてきた労働者の親たちが、絶望と恐怖に顔を青ざめさせている。


 圧倒的に不利な、完全なアウェーでの裁判。

 負ければ、ジャンの命も、学校の未来も、すべてが終わる。


 だが、マクシミリアン・ロベスピエールは、微塵も怯まなかった。

 彼は眼鏡を中指でクイッと押し上げ、静かに、しかし絶対的な自信に満ちた声で言い放った。


「……お受けしましょう」


「ロベスピエール……!」


「ただし伯爵。法廷に立つ前に、一つだけ忠告しておきます」


 彼は、懐から取り出した六法全書の分厚い本を、大理石のベンチの上にバンッ! と力強く叩きつけた。


「私は、不条理な権力には絶対に屈しない。……私が武器とするのは剣ではない。貴族であるあなた方が、最も大切にしているはずの『法』と『論理』です。……明日、その絶対の法廷で、あなたの傲慢な常識を木端微塵に論破して差し上げましょう」


 静まり返る中庭。

 冷たい秋の風が吹き抜ける中、一人の平民の弁護士が、フランスの絶対的な階級社会という名の巨大な怪物に対し、真っ向から宣戦布告を叩きつけたのである。


 マリー・アントワネット、26歳。

 筋肉と健康で乗り切ってきた彼女のサバイバルは今、「法廷」という全く新しい戦場へと舞台を移した。

 

 果たして、ジャンが口を閉ざす「怪我をさせた本当の理由」とは何なのか?

そして、ロベスピエールは、貴族だらけのアウェー裁判で、いかにしてこの絶望的な逆境を覆すのか!?

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