第134話 神童の初恋
1782年、1月。
チュイルリー宮殿の執務室は、今日も『超絶ホワイト国家・フランス』を回すための活気に満ちた議論で熱を帯びていた。
「……マリー。オーストリア方面から、一人の求職者があなたへの謁見を求めてパリに到着しています。どうやら彼も、我がフランスの『景気の良さ』を嗅ぎつけてきたようですね」
ナポレオンが手紙を仕分けながら、冷徹な声で報告を上げた。
「オーストリアから求職者? 誰かしら」
私がハーブティーを啜りながら首を傾げると、ナポレオンは一枚の推薦状をパラリと広げた。
「職業は音楽家。『故郷ザルツブルクで大司教と大喧嘩して辞表を叩きつけてきたので、ぜひともフランス王室で高給で雇ってほしい』……とのことです。名前は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」
「ブフォッ!!?」
私は危うくハーブティーを吹き出しそうになり、盛大にむせた。
「も、もーつぁるとぉぉぉぉっ!?」
「ご存知ですか。各国の宮廷を回っていた神童だそうですが、素行の悪さと浪費癖でも有名な男です。素性の知れない者を宮殿に入れるのは反対ですが……」
(……知ってるも何も! 音楽の授業で絶対に習う超絶歴史的チート音楽家じゃない! 交響曲とかオペラとか、名曲を残す天才中の天才!)
私はガタッと立ち上がり、机をバンッと叩いた。
「通しなさい! 今すぐ通してちょうだい!!」
数分後。
謁見の間に通されたのは、派手な赤いベルベットのコートを着こなし、いかにも「自信家」といった風情でニヤニヤと笑う、私と同い年の青年だった。
「おお、麗しのマリー・アントワネット様!!」
モーツァルトは部屋に入るなり大げさに膝をつき、両手を広げてみせた。
「あの日の約束を、ついに果たす時が来ました! ザルツブルクの窮屈な田舎を飛び出し、あなたに最高の音楽と愛を捧げるために参上いたしましたよ!」
「……約束?」
私がポカンとしていると、モーツァルトは熱っぽく語り始めた。
「忘れたとは言わせませんよ! 私が六歳の時、シェーンブルン宮殿で転んだ私を、優しく助け起こしてくれたじゃないですか! あの時、私は言いましたよね。『大きくなったら、僕のお嫁さんにしてあげる』って!!」
(――ッ!! 史実のモーツァルトの『プロポーズ逸話』!!)
「さあ! フランス国王よりも、この私の方があなたを音楽で幸せにできるはずです! いや、まずは私を首席音楽家として雇ってくれませんか? 今のフランスは莫大な外貨を稼いでめちゃくちゃ景気がいいって噂ですからね! 給料は金貨で弾んで……」
「ちょっと待って!!」
私は全力でストップをかけた。
(……ごめんモーツァルト。私がこの体に入ったのは18歳の時だから、その頃の記憶は全ッッッく無いのよ!!)
「えっと……ごめんなさい、私、度重なるサウナの熱波で昔の記憶が蒸発しちゃったみたいで……。プロポーズの件は初耳だわ」
「えええええっ!? 僕の人生で一番ロマンチックな思い出が、サウナで蒸発!?」
ショックでよろけたモーツァルトの背後で、重厚な扉がガチャリと開いた。
「――おや。僕の妻に、随分と大胆な『約束』を突きつける男がいると聞いてね」
現れたのは、油まみれの革エプロンを纏い、巨大な『特殊鋼のモンキーレンチ』を握りしめた、筋肉隆々のフランス国王・ルイ16世だった。
「ひっ!?」
「僕はルイ。……君が天才音楽家だということは知っているが、妻の過去を掘り起こして口説こうというのなら、まずはこのレンチの重みを味わってからにしてもらおうか」
ルイがレンチを手のひらにポンポンと叩きつけると、天才音楽家はあっさりと白旗を揚げ、土下座の勢いで平伏した。
「ご、誤解です陛下! 本命は『就職活動』です! ザルツブルクで借金を作りすぎて、パリで一発当てようと……!」
「はぁ……。まあ、いいわ」
私は苦笑いしながら彼を立たせた。
「あなたの腕が確かなのは知っているわ。でもね、モーツァルト。悪いけれど、今のフランス王室には特権階級のBGMを弾く『宮廷音楽家』を雇う枠はないの」
「そ、そんな! これだけ儲かっているのに!?」
「だからダメなのよ」
私はピシャリと扇子を閉じた。
「私が欲しいのは、工場で汗水流して働く労働者たちの疲れを吹き飛ばし、脳内に『最高にハッピーなドーパミン』を分泌させる、全市民のための『大衆娯楽』よ! 数千人の平民たちが、ジョッキを片手に熱狂できる最強の『ライブ音楽』を作りなさい!!」
「平民数千人を熱狂させる……?」
モーツァルトはポカンとした。当時の楽器は、そもそも広場のような場所で大音量を出す構造になっていないのだ。
「王妃様、それは無理です! 今のピアノでは、何千人も騒ぐ広場では音がかき消されてしまいます!」
「……音が小さいなら、大きくすればいいじゃない」
私が不敵に笑って視線を送ると、横で黙って聞いていたルイの『オタク・スイッチ』が、カチリと入った。
「……なるほど。音響工学と、楽器の構造改良だね?」
「ル、ルイ陛下……?」
ルイはレンチを握りしめたまま、モーツァルトにぬっと顔を近づけた。
「ピアノのハンマーの軸に僕の『特殊鋼スプリング』を組み込み、先端に『パラゴム』を被せれば、打鍵の速度と反発力は劇的に向上する! さらに音量を上げるために弦の張力を数倍に引き上げ、木の枠が耐えきれないなら……工場の高炉で『一体型・鋳鉄製フレーム』を流し込んで骨格をすげ替えるんだ!!」
(……出たわね!! 19世紀以降に登場する現代の『グランドピアノ』の構造を、ここでも前倒し開発しちゃうのね!!)
「そ、そんなバケモノみたいな楽器、僕の繊細な指で弾きこなせるでしょうか……」
「弾きこなすのよ、天才なんでしょう?」
私は彼の肩をガシッと掴んだ。
「お上品な貴族のご機嫌取りはおしまい。あなたの天才的なメロディを、腹の底に響く『縦ノリのアップテンポ』に乗せて爆発させなさい! それができたら、あなたをフランスの『総合音楽プロデューサー』として破格のギャラで雇ってあげるわ!」
「は、破格のギャラ……!」
借金まみれのモーツァルトの目に、金貨のマークが輝いた。
「やります! 僕の音楽で、パリの平民どもを全員、熱狂の渦に叩き込んでみせますよ!!」
――数日後。
チュイルリー宮殿の中庭には、極秘裏に開発された『魔改造グランドピアノ』が鎮座していた。
「さあ、モーツァルト! 試運転よ!」
集まった数百人の労働者たちの前で、モーツァルトは恐る恐る鍵盤に指を置いた。
――ジャァァァァァァァンッ!!!
「「「うおおおおっ!?」」」
軽く和音を叩いた瞬間、圧倒的な音圧と重低音が中庭全体にビリビリと響き渡った。
「な、なんだこれは……! 鍵盤の反発力が指に吸い付くようだ……! しかも、この凄まじい音の伸び……!」
モーツァルトの瞳孔が極限まで見開かれる。天才の脳内に、未曾有のインスピレーションが雷のように落ちた。
「これだ……! これなら、圧倒的な『ビート』を生み出せる!!」
彼の指が鍵盤の上で狂ったように踊り始めた。特殊鋼の弦が叩き出すアタック感の強い音色が、まるで現代のロックのように強烈なアップテンポのリズムを刻み始める。
「あーうー! シャカシャカ!」
その時、小さな影が飛び出した。ジョゼフだ。彼は手作りの木製マラカスを両手に持ち、完璧な裏打ちのリズムで「シャッ! シャッ!」と合いの手を入れ始めたのだ。
「殿下! そのリズム、最高です! いただきだァァァッ!!」
モーツァルトはジョゼフのリズムに合わせて強烈なベースラインを叩き出し、キャッチーなメロディを爆発させた。
「すげえ……! 体が勝手に動き出しちまうぞ!!」
「踊れ! 歌えェェッ!!」
仕事終わりの労働者たちが、モーツァルトの奏でる音楽に引き込まれ、ジョッキを片手に肩を組み、地響きを立ててジャンプし始めた。
「ふふっ……完璧ね。音楽が、全市民の『最高のストレス解消ツール』へと解放された瞬間よ」
私が満足げに頷くと、隣でナポレオンが手帳を開いて冷徹に計算を始めた。
「……マリー。休日に巨大な広場で『音楽フェスティバル』を開催し、入場チケットを販売しましょう。会場内の飲食屋台の売上は、我々の国庫を大幅に潤すはずです」
「それだけじゃありませんわ」
財務監査局長のジャンヌが、眼鏡を妖しく光らせてナポレオンの言葉を引き継ぐ。
「モーツァルトの肖像画を入れた『応援用タオル』や楽譜の独占販売権。……これらをグッズ展開すれば、平民たちが喜んでお小遣いを差し出す『究極のエンタメ課金システム』が完成いたしますわ!」
「あなたたち、本当に息ぴったりな悪魔のコンビね……!」
私は苦笑いしながらも、中庭で労働者たちと一緒に飛び跳ねて熱狂しているモーツァルトとジョゼフの姿を見つめた。
マリー・アントワネット、26歳。
史実の天才音楽家を『フランス初代・総合エンタメプロデューサー』として見事にスカウトし、18世紀のパリに「ロックフェスと物販」の概念を叩き込んだ。国民のドーパミンを爆発させ、国庫の黒字化へ向けた最高にハッピーな一歩を踏み出したのである。




