第133話 サンタクロース作戦 後編
深夜零時。
雪が深々と降り積もり、パリ中が静寂に包まれる中。
私たち「サンタ特殊部隊」は、アカデミー寄宿舎の裏口に音もなく集結していた。
「アーサー。状況は?」
「……異常なし。見張りの教員は熟睡しています。しかし、建物が木造のため、不用意に歩けば床板が『ギシッ』と悲鳴を上げます。子供たちを起こさぬよう、極限の足さばきが要求されます」
トナカイの着ぐるみをすっぽりと被ったアーサーが、真剣な目で扉の鍵穴に針金を差し込んだ。
カチャリ、という極めて小さな音すらも雪に吸い込まれ、扉がゆっくりと開く。
「よし、潜入開始よ。絶対に音を立てちゃダメよ」
サンタの衣装を着た私が小声で指示を出すと、エルフ姿のナポレオンが、暗闇の中でストップウォッチを構えた。
「第一目標、一階の低学年用大部屋。……さあ、陛下。まずはあなたの『計算』の出番です」
「任せておけ! この建物の構造設計図は、事前に僕の頭の中に完璧にインプットしてある!」
大きな白い袋を背負ったメインサンタ・ルイ16世が、自信満々に頷いた。
「床板の梁が通っている部分だけを正確に踏み抜けば、木材のたわみは発生せず、軋み音は出ない。……歩幅は正確に78.5センチ! 僕のステップに寸分違わずついてくるんだ!」
オタク王の異常なまでの建築・物理知識が、まさかの「忍び足」で火を吹いた。
ルイは、その体躯からは想像もつかないほど軽やかに、まるでチェス盤の上を飛ぶように「音の鳴らない床のポイント」だけを踏んで前進していく。
私たちも一列になり、ルイの足跡をピタリとトレースして廊下を進んだ。
「目標の部屋に到着しました」
アーサーが音もなくドアノブを回し、少しだけ扉を開ける。
部屋の中には、十数台のベッドが並び、子供たちの穏やかな寝息が響いていた。彼らの枕元には、手作りの不格好な靴下が、期待に膨らんだ口を開けて吊るされている。
「……眠っています。ですが、何人かはサンタを待つあまり興奮状態で、眠りが極めて浅い。少しの物音で覚醒する危険域です」
「ナポレオン、出番よ!」
「了解。エルフの高速仕分け、お見せしましょう」
小柄なナポレオンが、素早い動きでベッドの間を縫うように移動し始めた。
彼は袋の中から『手編みの手袋』と『ジンジャークッキー』を取り出すと、子供たちの顔に一切風を当てることなく、流れるような手さばきで次々とプレゼントを靴下に滑り込ませていく。
「配置完了。所要時間、一人あたり1.2秒。次の部屋へ向かいます」
「す、すごすぎる……」
私は、軍事の天才がその異常な情報処理能力を「プレゼント配り」に全振りしている姿に、謎の感動を覚えていた。
私たちは、一階、二階と順調に部屋を制圧し、ついに最後のターゲットである「マルセルたちの部屋」へと到達した。
「ここが、あの手紙を書いたマルセルの部屋ね」
そっと部屋に入ると、マルセルのベッドの横の小さな机には、手紙の通りに『グラスに入ったミルク』と『ニンジン』が置かれていた。
「……本当に用意してくれている。アントワネット、僕は感動で前が見えないよ」
ルイが白い付けヒゲを震わせながら、ミルクの入ったグラスを手に取った。
そして、子供の優しさが詰まったミルクを一気に飲み干した。
「ぷはぁっ……。世界中のどんな高級ワインより、最高に美味しいミルクだ!」
「ルイ、声が大きいわよ! ……って、アーサー? あなた何してるの?」
ふと見ると、トナカイの着ぐるみを着たアーサーが、机の上のニンジンを手に取り、真顔でかじり始めていたのだ。
「私はトナカイ役ですから。子供たちの厚意を無碍にするわけにはいきません」
「いや、生のニンジンなんてボリボリ音が鳴っちゃうでしょ!?」
「ご安心を。秘伝『無音咀嚼』です。奥歯の摩擦をコントロールし、繊維を粉砕する音を口腔内で密閉・減衰させます」
アーサーの口元はモゴモゴと動いているが、確かに「ボリッ」という音は一切聞こえない。
(この男、どれだけハイスペックな殺しの技術をサンタのミッションに無駄遣いしてるのよ……!)
私が呆れていると、ナポレオンがマルセルの靴下にプレゼントと、手紙にあった「お母さんのための風邪薬」をそっと入れ、サンタからの返事の手紙を添えた。
「ミッション・コンプリート。全室への配置が完了しました。撤収します」
ナポレオンが親指を立て、私たちが静かに部屋を出ようとした、まさにその時だった。
――ガサッ。
「…………んぅ……」
背後で、毛布の擦れる音がした。
振り返ると、マルセルがベッドの上で身をよじり、ゆっくりと目をこすりながら身を起こしていたのだ。
「……だれ……?」
(っ!! しまった、起きちゃった!?)
私は心臓が口から飛び出そうになった。
マルセルの寝ぼけた目が、月明かりに照らされた私たちの「赤い服」を捉える。
「……サンタ……さん……?」
絶体絶命のピンチ。
もしここでパニックになって逃げ出せば、ただの「赤い服の不審者」だ。かといって言葉を発すれば、正体が国王と王妃だとバレてしまう。
どうすればいい!? と私が顔を青ざめさせた瞬間。
「……ブルルルルルッ、フシュルルルルッ」
突如、私の隣で、極めてリアルな「獣の鼻息」が鳴った。
「えっ?」
見れば、トナカイの着ぐるみを着たアーサーが、床に四つん這いになり、野生のトナカイそのものの完璧な骨格の動きで、首を振りながらマルセルを見つめていたのだ!
(ア、アーサー!? いくらなんでも本物のトナカイすぎるわよ!?)
その暗殺者の圧倒的な「擬態能力」に、マルセルは目を奪われた。
「ほんとに……トナカイさんだ……! じゃあ、そっちにいる大きい人は……」
マルセルの視線が、ルイに向いた。
するとルイは、慌てるどころか、スッと背筋を伸ばし、フランス国王としての「圧倒的な威厳」を、サンタクロースの「神聖なるオーラ」へと変換してみせた。
「……ホゥ、ホゥ、ホゥ」
深く、優しく、そしてどこまでも包み込むようなバリトンボイス。
「メリー・クリスマス、心優しき少年よ。君が私とトナカイのために用意してくれたミルクとニンジン、ありがたくいただいたよ」
「サンタ、さん……っ!」
マルセルの瞳が、信じられないものを見るようにキラキラと輝き始めた。
「君の願いは、しっかりとこの袋の中に届いている。……自分のことよりも、お母さんを想う君のその優しい心こそが、世界で一番美しい『クリスマスの魔法』なのだよ」
ルイの堂々たるサンタの演技というか、民を愛する王としての本音に、マルセルはポロポロと涙をこぼした。
「ありがとう、サンタさん……! ぼく、これからもずっと良い子にする! 勉強もがんばって、いつかフランスの役に立つ人間になるよ!」
「ああ。君の未来が、光り輝く雪のように白く、明るいものであることを、私も遠い北の国から祈っているよ。……さあ、夜はまだ明けない。素敵な夢の続きを見るんだ」
ルイが優しく手をかざすと、私はとっさに、ポケットに忍ばせていた「キラキラ光る金平糖」を、魔法の粉のようにパラパラと宙に撒いた。
「……わぁっ……綺麗……」
月明かりに反射してキラキラと落ちていく光の粒。
その幻想的な光景に安心しきったのか、マルセルはふにゃりと笑顔を浮かべ、再びベッドに倒れ込んでスヤスヤと深い眠りに落ちていった。
「…………」
マルセルの寝息が安定したのを確認し、私たちは全員、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。
「(……危機は去りました。今のうちに完全離脱を!)」
四つん這いのアーサートナカイが小声で急かす。
「(ええ、撤収よ! ルイ、最高のサンタだったわ!)」
私たちは音もなく部屋を飛び出し、パリの雪の夜空へと、足早に消えていった。
翌朝。
王立アカデミーの寄宿舎は、朝から鼓膜が破れんばかりの大歓声と熱狂に包まれていた。
「うおおおおっ!! 来た!! 本当にサンタさんが来たぞ!!」
「靴下の中に、すっげぇいい匂いのクッキーが入ってる!! それに、すんごくあったかい毛糸の手袋も!!」
「俺なんか、手紙の返事が入ってたんだ! 『君の優しさに感謝する』って、本物の妖精の文字で!!」
パジャマ姿の子供たちが、プレゼントを両手に掲げて廊下を飛び回っている。
視察に訪れていたロベスピエールは、その光景を目の当たりにして、眼鏡をズレ落としたまま絶句していた。
「ば、馬鹿な……。寄宿舎の扉の鍵は内側から閉まっていたはず。一体どうやって、数百人の子供たちの枕元に、誰にも気づかれずに大量の贈り物を……?」
「ロベスピエール先生!!」
マルセルが、興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってきた。
「先生、サンタさんは本当にいたんだよ!! 俺、夜中に目が覚めて、赤い服のサンタさんと、本物のトナカイさんを見たんだ!! すっごく大きくて、優しくて、魔法使いみたいだった!!」
「マルセル君……君は、夢でも見ていたのでは……?」
「夢じゃないよ! ほら、俺が用意したミルク、ちゃんと空っぽになってるし、サンタさんがくれたお母さんのお薬もここにあるんだから!! 奇跡は、本当に起こったんだ!!」
満面の笑みで飛び跳ねるマルセルを見て、ロベスピエールはついに言葉を失い、やがて敗北を悟ったように、フッと優しく微笑んだ。
「……ええ。本当に、奇跡は起こったのですね。……神学の歴史が、今日、覆ってしまったようです」
一方、チュイルリー宮殿の執務室。
「あーっ、疲れたぁぁぁ……! 寿命が十年は縮んだわ……!」
徹夜の極限ステルス・ミッションを終えた私は、ソファにドサッと倒れ込んでいた。
「しかし、作戦は大成功だ! 子供たちの純粋な夢と信じる心を、僕たちは完璧に守り抜いたんだ!」
ルイはサンタの服を着たまま、誇らしげに胸を張っている。
「ええ。ですが、この任務は極めて心臓に悪い。来年からは、煙突から侵入できる超小型の無人ドローン気球を開発するべきです」
ナポレオンがエルフの帽子を脱ぎながら、早くも来年の改善策を練り始めた。
「無音咀嚼の技術が、まさかニンジンに役立つ日が来るとは思いませんでした」
アーサーも、トナカイの着ぐるみを脱ぎながら少しだけ口角を上げている。
そこへ、財務局長のジャンヌが、何やら帳簿を抱えて入ってきた。
「皆様、お疲れ様ですわ。……先ほど、アカデミーの視察から戻りましたけれど、子供たちのあの異常なまでの熱狂ぶり! 『サンタクロース』という概念は、とてつもないビジネスのポテンシャルを秘めていますわね!」
ジャンヌは眼鏡をギラつかせながら、バンッと帳簿を広げた。
「来年のクリスマスは、王立パティスリーで『サンタクロースの特製ケーキ』を大々的に売り出しましょう! さらにベルタンの店で『サンタのコスプレ衣装』を貴族向けに販売すれば、莫大な利益が……!!」
「こらジャンヌ! クリスマスの朝からソロバン弾かないの!! 今日くらいは、お金のことなんて忘れて夢を見なさい!」
私がジャンヌのおでこをペチッと叩くと、執務室に大きな笑い声が響き渡った。
フランス史上初となる「サンタクロース作戦」。
それは、教職員アベンジャーズの持てるすべての異常なスキルが、ただ「子供たちの笑顔」というたった一つの目的のために全振りされた、最高に優しくて、最高に馬鹿げた、とびきりの聖夜の奇跡であった。
マリー・アントワネット、25歳。
彼女の撒いた温かい愛の魔法は、これからもフランスの子供たちの心を、雪よりも白く、そして太陽よりも温かく照らし続けるのであった。




