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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

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第131話 甘き代償

 フランス産『甜菜』から抽出された純白の砂糖と、揚げ菓子ベニエ。

 王立パティスリーが巻き起こした「甘き革命」は、パリの平民たちの胃袋と心を掌握していた。


 労働者たちは仕事終わりに甘いベニエを頬張ってエネルギーを補給し、王立アカデミーの子供たちは給食のデザートを楽しみに勉強に打ち込む。フランスの街角には飢餓の陰惨さは消え失せ、甘く香ばしい匂いと活気ある笑い声が溢れていた。


 ……だが、歴史と人体の仕組みは、そう都合よくハッピーエンドだけを与えてはくれない。


 ある冬の朝。


「……王妃様。最近、王立アカデミーの児童たちの『欠席率』が、異常なペースで上昇しています」


 チュイルリー宮殿の執務室で、ナポレオンが忌々しげにバインダーの数字を叩いた。


「欠席? どうして? インフルエンザか何かの伝染病!?」


「いえ、伝染病ではありません。……欠席理由のほとんどが、強烈な『歯の痛み』、および激しい腫れによる発熱です。子供だけでなく、地下工場の労働者たちにも同じ症状が蔓延し、生産ラインの稼働率が先週比で八パーセントも低下しています」


「は、歯の痛み……っ!?」


 私は雷に打たれたように硬直した。


(……しまったァァァァッ!! 砂糖を大量にばら撒いておいて、一番肝心な『アレ』の啓蒙活動を完全に忘れていたわ!!)


 そう、現代人なら誰もが知っている絶対の真理。

『糖分の過剰摂取は、虫歯菌の最大のエサになる』という事実だ。


 これまで、硬いパンと薄い野菜スープしか食べてこなかった平民の口内環境に、突如として「純度九十九パーセントの砂糖」が毎日投下されたのだ。おまけにこの時代、食後に歯を磨くという習慣は、平民の間には全く存在しない。


 結果として、パリ市民の口の中で、虫歯菌が前代未聞のパンデミックを引き起こしてしまったのだ。


「た、大変よ! すぐに治療しないと!!」


「ご安心を、王妃様。すでにパリ市内の広場には、大勢の『歯抜き師』たちがテントを張り、盛大に治療を行っておりますよ」


 カトリーヌが呑気に教えてくれた瞬間、私の背筋は凍りついた。


「歯抜き師……!? まさか、あの……ッ!?」


 私はサロペットのまま宮殿を飛び出し、パリの広場へと猛ダッシュした。

 そこで目にしたのは、まさに「中世の地獄絵図」そのものだった。


「ギャアアアアアアッ!! 痛い! 痛いいいいいっ!!」


 広場の中央に置かれた粗末な木の椅子に縛り付けられた少年が、絶叫を上げていた。

 その傍らで、小汚いエプロンを着けた大男が、錆びついた巨大な『鉄のペンチ』を握りしめ、少年の口の中に無理やり突っ込んでいる。


「ほら、動くんじゃねえ! すぐにこの腐った虫歯を引っこ抜いてやるからな!」


 バキボキィッ!


 麻酔など一切ない。ただ力任せに、歯茎ごと歯を引きちぎり、抜歯するのだ。さらに恐ろしいことに、少年の悲鳴をかき消すためだけに、男の背後では楽団が、太鼓とラッパを爆音でドンチャカと鳴らし続けていた。


(……思い出した! 18世紀の歯科治療は、ただの『見世物』であり『拷問』! 虫歯を削って治す技術なんてなく、痛くなったらペンチで無理やり引き抜くしかないんだわ!)


「ストップゥゥゥゥッ!!!」


 私は群衆をかき分け、猛烈なタックルで歯抜き師の巨体を吹っ飛ばした。


「な、何をしやがるこのアマ……って、お、王妃様!?」


「あなたたち、不潔なペンチを子供の口に突っ込むなんて正気の沙汰じゃないわ! 傷口からバイ菌が入って敗血症になったらどうするの!!」


 私は痛みに泣き叫ぶ少年を抱きしめ、即座にチュイルリー宮殿へと保護した。


 その日の午後、宮殿の執務室には、教職員アベンジャーズとルイが集結し、緊急の国家防衛会議が開かれていた。


「私の失態よ。民衆に甘いお菓子を与えながら、その後の『ケア』を怠っていた。このままじゃ、フランス国民全員が歯を失ってしまう!」


 私が頭を抱えると、王室の専属医師となったシャルル=アンリ・サンソンが、重々しい声で同意した。


「王妃様の仰る通りです。口腔内の虫歯を放置すれば、最悪の場合は脳や心臓に回って命を落とします。あの抜歯も、感染症のリスクが極めて高い野蛮な行為です」


「でも、サンソン先生。今の医学に、虫歯を痛くなく『治す』技術はあるの?」


「初期の虫歯であれば、鋭利な刃物で患部を削り、金箔などを詰めることは可能です。……しかし、すでに数万人規模で発生している患者を、数少ない医師の手作業だけで治療するのは物理的に不可能です」


 ナポレオンが、冷静にストップウォッチをカチカチと鳴らした。


「その通りです。どんなに優れた道具や麻酔を発明したところで、患者の数が医者のキャパシティを超えれば医療崩壊を引き起こす。……国家の損失を防ぐには、虫歯の治療ではなく、社会全体での予防へと舵を切る必要があります」


「ええ。その通りよ、ナポレオン」


 私は、ドンッと机を叩いて立ち上がった。


「そもそも、虫歯になってから慌てるのが間違っているのよ。絶対に虫歯を作らせない『国民皆歯磨き制度』を確立するわ!」


「王妃様。お言葉ですが、パリの平民が毎日口をゆすぐことなど不可能です」

 ナポレオンが冷酷な事実を指摘する。


「パリのセーヌ川は生活排水でドブのように濁っています。あんな水で毎日口をゆすげば、虫歯の前に『コレラ』や『赤痢』で死人が出ますよ」


 ハッとした。現代日本のような「ひねれば綺麗な水が出る水道」など、この時代には存在しない。衛生的な水がなければ、歯磨きという文化自体が根付かないのだ。


「……なら、僕が『綺麗な水』を用意しよう」


 その時、地図を広げていたオタク王・ルイ16世が、静かに、しかし絶対的な自信を湛えた瞳で顔を上げた。


「アントワネット。僕はこれまで、機械や工場の設計ばかりしてきたけれど……王として最も成すべき『土木建築』を忘れていたよ」


 ルイは猛烈な勢いで、パリの都市計画図に線を弾き始めた。


「郊外の綺麗な水源からパリ市街へ、密閉された『鋳鉄製の地下水道管』を張り巡らせる! そして、各広場や学校、工場に、砂と炭の濾過システムを備えた『公共洗面台』を建設するんだ!これなら、いつでも誰でも、安全で清潔な水で口をゆすぐことができる!!」


(……す、すごいわルイ! 奇抜な発明品じゃなくて、王様としての権力と資金、そして得意の『建築・流体力学』をフル活用して、パリの公衆衛生インフラそのものをアップデートする気ね!!)


「素晴らしいわ、ルイ! それなら、歯磨きに必要な道具はこちらで揃えるわ! アーサー、すぐにベルタンに注文を回して! 豚や馬の硬い毛を切り揃え、持ちやすい木や竹の柄にしっかりと植え込んだ『専用歯ブラシ』よ!」


「それから、ただ磨くだけじゃ汚れは落ちないわ。サンソン先生、薬草の知識を使って『歯磨き粉』を開発してちょうだい!」


「承知いたしました。研磨剤として細かい『塩』と『重曹』を用い、痛みを和らげ爽快感をもたらす『クローブ』と『ハッカ油』を練り合わせましょう。これなら口内の酸性を中和し、虫歯菌の繁殖を抑え込めます」


「完璧よ!!」


「……ふふふ。王妃様、これはまたとない『極上のビジネスチャンス』の匂いがいたしますわね」


 部屋の隅で黙々と計算をしていた財務局長のジャンヌが、妖しく眼鏡を光らせた。


「『甘くて美味しいお菓子』を売り、その裏で『虫歯を防ぐための歯ブラシと歯磨き粉』を毎月定期購入させる。消費者は、お菓子を食べるたびに歯磨き粉を消費するのですから、需要は未来永劫、絶対に尽きません。まさに、入り口から出口まで富を吸い上げる『悪魔の永久機関エコシステム』の完成ですわ!」


「ジャンヌ……あなた、本当に転んでもただでは起きない最凶の金庫番ね……」


 数ヶ月後。ルイの主導する凄まじい突貫工事により、王立アカデミーや主要な工場には真新しい「公共洗面台」が完備され、完成したばかりの『歯ブラシ』と『ミント歯磨きペースト』が、何千人もの子供たちの前にズラリと配られた。


「さあ、みんな! 今日から給食の甘いデザートを食べた後は、必ずこの魔法のブラシで『シャカシャカ』するのよ!」


 私が教壇で手本を見せようとした、その時。


「まーま! ぼくも! ぼくもシャカシャカする!」


 ジョゼフが、短い足をトコトコと動かして、私の足元に駆け寄ってきた。彼の手には、特別に作られた『子供用ミニ・歯ブラシ』がしっかりと握られている。


 最近、ジョゼフの口の中には、可愛らしい乳歯がしっかりと生え揃い始めていた。おやつにベニエの端っこを齧る彼にとっても、虫歯予防は絶対の急務である。


「ええ、ジョゼフ! あなたが一番最初のお手本よ。さあ、ママのお膝にゴロンして、お口を『あーん』してちょうだい!」


 私が椅子に座り、膝の上にジョゼフを寝かせる。

 当時の子供たちにとって、「口の中に棒を突っ込まれる」というのは、あの恐ろしい歯抜き師のペンチを連想させる恐怖の体験だ。周りの子供たちも、息を呑んでジョゼフの様子を見守っている。


「あー!」


 だが、ジョゼフは全く怖がる様子もなく、私を100パーセント信頼しきった瞳で、無防備に小さな口を大きく開けた。


(……可愛い! 乳歯がチョコンと並んでる! 絶対にこのピカピカの歯を、虫歯菌なんかから守り抜いてみせるわ!)


「いくわよー、ジョゼフ。まずは上の歯からね。シャカシャカシャカ……」


 私は、ペーストを少しだけつけた柔らかい豚毛のブラシで、ジョゼフの小さな歯を優しく、小刻みに磨き始めた。


「んーっ! あう!」


 最初こそ、口の中にブラシが入るくすぐったさに身をよじっていたジョゼフだったが、重曹とハッカの爽やかな刺激が気に入ったのか、くすぐったそうに笑いながら、されるがままに「あーん」を続けてくれた。


「きゃははっ! シュワシュワするー!」


 そのリラックスしたジョゼフの笑顔を見て、周りで怯えていた子供たちも、次々と安堵の表情を浮かべ始めた。


「なんだ、痛くないんだ!」


「歯抜き師のオッサンとは大違いだ! いい匂いがするし!」


「すげえ! ルイ陛下の作った水道、冷たくて気持ちいいぞ!」


 教室中が、一斉に「シャカシャカ、シャカシャカ」という軽快な音に包まれた。


 それを見守りながら、私はジョゼフの口元を柔らかい布で拭ってあげた。


「よくできました、ジョゼフ! ピッカピカのいい匂いよ!」


「ニパッ! はー、すっきり!」


 ジョゼフは、満足げに自分の白い歯を指差して、私とルイに向かって最高のドヤ顔をキメてみせた。


 ルイの圧倒的な『水道インフラ整備』と、サンソン先生の『薬学知識』、そしてジョゼフの『シャカシャカ・スマイル』による啓蒙活動。これらが完璧に噛み合ったことで、パリの街から虫歯による欠席者や労働力低下は劇的に消滅した。


 マリー・アントワネット、25歳。

 彼女は、自らが引き起こした「甘き革命の代償」を、奇抜な発明品ではなく、国家としての公衆衛生のアップデートという真っ当かつ強大な力で完璧にねじ伏せた。


 健康と美味、そして予防医学。

 フランスは今、内側からも外側からも、一切の死角を持たない最強の健康超大国として、その盤石な土台を揺るぎないものにしたのである。

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