第124話 火山灰の奇跡
1781年、11月。
「……信じられないわ。こんなに立派に育つなんて!」
私はインディゴブルーのサロペットの裾をまくり上げ、ふかふかに温まった黒い土から、ゴロッとした黄金色の塊を引き抜いた。
それは、ただのジャガイモではない。
工場の排熱を利用した『地中温水暖房』と、あの日ジョゼフが無邪気にまぜまぜしてくれた『火山灰ミネラル肥料』の奇跡的な相乗効果によって育った、究極の特大・新じゃがである。
「うんとこ! どっこいしょー!」
私の隣で、ジョゼフも、泥だらけになりながら小さなスコップで土を掘り返している。
「まーま! おっきい、おっきいお芋!」
「えらいわ、ジョゼフ! ほら見て、皮がとっても薄くて、指でこするだけでツルンと剥けちゃうわよ! これが春の恵み、『新じゃが』の証拠よ!」
土から顔を出した新じゃがたちは、水分をたっぷりと含み、まるで磨き上げられた宝石のようにパーンと張って輝いていた。
「……王妃様。この新じゃがの収穫量、事前の計算値の三倍を軽く超えていますわよ。これをパリの高級レストランに『王立温室の奇跡の芋』として卸せば、一口で十リーブルは取れますわ……!」
温室の入り口で、銀縁眼鏡をクイッと押し上げた財務特別監査局長のジャンヌが、猛烈な勢いで皮算用を始めている。彼女の青い瞳は、ジャガイモを『金塊』として見定めていた。
「ダメよ、ジャンヌ。この一番美味しい初物は、絶対に売らないわ!」
私がドンッと胸を叩くと、ジャンヌは「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「今日集まってもらったのは、他でもない。国境封鎖の絶望の中で、私と一緒にこの温室を建ててくれたみんなへの慰労会……『ベルサイユ新じゃが収穫祭』を開くためよ!」
私の背後には、油まみれのルイ、ナポレオン、カトリーヌ率いる工場労働者の代表たち、そしてアーサーやロベスピエールといった『チュイルリー最強アベンジャーズ』の面々が、腹の虫を鳴らして待ち構えていた。
「さあ、ルイ! アレの出番よ!!」
「任せてくれ、アントワネット!」
ルイが布をバサァッと剥ぎ取ると、そこに現れたのは、ピカピカに磨き上げられた真鍮製の巨大な円筒形の機械だった。
「『高圧スチームロースター』だ! 普通に茹でると新じゃがの豊富なビタミンと旨味が水に溶け出してしまう。だから、この機械で圧力をかけながら高温の蒸気で一気に蒸し上げるんだ! そうすれば、薄い皮の食感を残したまま、中心部まで均一にホクホクに仕上がる!」
オタク王の熱弁とともに、綺麗に洗われた大量の新じゃががロースターの中へ放り込まれた。
シュゥゥゥゥッ!!
蒸気が吹き出し、数分後。
重厚な蓋が開けられた瞬間、温室の中に、大地の甘い香りが爆発的に広がった。
「まずは、一番シンプルな食べ方でいくわよ! ナイフで十字に切れ目を入れて……そこに、ノルマンディー産の『極上発酵バター』をドカンと乗せるの!」
熱々の新じゃがの熱で、黄金色のバターがジュワァァッと音を立てて溶け出し、断面の奥の奥へと染み込んでいく。
「仕上げに、ゲランドの粗塩をパラリと振って……完成! 『究極の丸ごとじゃがバター』よ!」
私は、一番大きなじゃがバターを、まだ売上の計算をブツブツと呟いているジャンヌの口元へ強引に押し付けた。
「ほら、四の五の言わずに食べなさい!」
「ちょっと王妃様! 私は今、利回りの計算を……あっつ! むぐっ……!」
ジャンヌは、熱さに顔をしかめながらも、そのホクホクの塊を咀嚼した。
――その瞬間。
冷徹な金庫番の目から、スゥッと険しい光が消え去った。
「……な、なにこれ。甘い……。サツマイモでも栗でもないのに、デンプンが口の中で弾けて、強烈な甘みに変わる……っ!」
ジャンヌは、銀縁眼鏡を曇らせながら、両手でジャガイモを包み込んだ。
「それに、この薄い皮! 全く口に残らないどころか、弾けるようなパリッとした食感が、溶けた発酵バターのコクと完璧に合わさって……!
……ダメ、これじゃ原価計算が狂うわ。こんな圧倒的な美味しさ、金貨十枚でも安すぎる……!」
「ふふっ、美味しいでしょう? 水分をたっぷり含んだ新じゃがだからこそ出せる、奇跡の食感よ!」
労働者たちも、次々とじゃがバターにかぶりつき、「美味えええ!」「生きててよかったァァ!」と絶叫しながら咽び泣いている。
「しかしマリー、これだけではありませんよね? あなたのことだ、ただ蒸しただけで終わるはずがない」
ナポレオンが、口の周りをバターだらけにしながら、期待に満ちた視線を向けてきた。
「ふふふ。ご名答よ、ナポレオン! 次は新じゃがの『水分量』と『火の通りやすさ』を極限まで活かした、見た目も最強のパーティーメニューよ!」
私は、まな板の上に小ぶりの新じゃがを並べ、下まで切り落とさないように、ミリ単位の細かさで無数の切れ目を入れていった。
「ジャガイモを蛇腹状にカットするの。そして、その隙間という隙間に、極薄のベーコンと、スライスしたニンニク、そしてハーブを挟み込んでいくわ!」
「おおっ! まるでアコーディオンのような美しい形状だ! アントワネット、これは熱力学的にも非常に理にかなっているぞ! 表面積を爆発的に増やすことで、オーブンの熱と脂が内部まで最速で浸透する!」
ルイの解説を背に受けながら、私はそのアコーディオンポテトの上から、オリーブオイルと粉チーズをたっぷりと回しかけた。
「これを高温のオーブンで、表面がカリッカリになるまで焼き上げるの! 名付けて『ハッセルバック・ポテト〜狂乱のベーコンチーズ風味〜』よ!!」
ジュワァァァァッ!!
オーブンから取り出されたそれは、無数の切れ目が花のように美しく開き、カリカリに焦げたベーコンと溶けたチーズが、ジャガイモの断面に完璧に絡みついていた。
「さあ、アーサー、カトリーヌ! 熱いうちにガブリといきなさい!」
アーサーがフォークで一切れを切り離し、口に放り込む。
「……ッ!! ザクッ、ジュワッ……ホロッ!! なんですかこの三段階の食感の波状攻撃は!! 外側はフライドポテトの最も美味しいカリカリの部分だけを集めたような香ばしさ! なのに、噛みしめると新じゃが特有の瑞々しいホクホク感が、ベーコンの暴力的な脂とともに溢れ出してくる!!」
「こいつぁビールだ! 酒が無限に飲める悪魔のツマミだよ!!」
カトリーヌが歓喜の雄叫びを上げている。
「あーうー! パリパリ、んまー!」
ジョゼフも、端っこの一番カリカリした部分を両手で掴み、嬉しそうに齧っている。
「フフフ、メインディッシュは完璧ね。……でも、これで終わりじゃないわ。最後は、別腹の『デザート』よ!」
私は不敵な笑みを浮かべ、最後の仕上げに取り掛かった。
「先日、北部のプラントで精製に成功した『甜菜糖』! これをたっぷりの水飴と醤油で煮詰めて、黄金色の『特製蜜』を作るの!」
フライパンの中で、純白の砂糖がグツグツと泡立ち、艶やかなキャラメル色へと変わっていく。
「そこに、あらかじめ低温の油でじっくりと素揚げにした新じゃがの乱切りをドーンと投入して、蜜を限界まで絡ませるのよ! 仕上げに、香ばしく煎った黒ごまをたっぷり振って……完成! 『新じゃがのキャラメリゼ』よ!!」
テカテカに光り輝く、黄金色のポテト。
外側は飴が固まってパリッと薄いガラスのようになり、中はホクホクの新じゃが。そして、甘さを引き立てる醤油の微かな塩気。
「……計算外です」
ナポレオンが、そのデザートポテトを口に入れた瞬間、手帳をパタンと閉じて天を仰いだ。
「軍用食糧の炭水化物が、これほどまでに洗練された完璧な『スイーツ』に化けるとは。……砂糖の甘みと塩気の無限ループ。これは兵士の士気を高めるどころか、食べ過ぎて行軍速度が落ちる恐れすらあります」
神童ですら陥落させる、圧倒的な「あまじょっぱさ」の暴力。
「やったわね、みんな! 火山灰にも寒さにも負けず、私たちはこの大地の恵みを勝ち取ったのよ!」
温室の中は、満腹感と幸福感に包まれ、誰もが笑顔で腹をさすっていた。
政治の重圧も、借金の計算も、この瞬間だけはすべて忘れ、ただ「美味しいものを、大切な仲間たちと一緒に食べる」という、最も原始的で最強の喜びに浸る。
「アントワネット。君が最初にベルサイユの庭園を掘り返した時、僕は君が狂ったのかと思ったけれど……今ならわかるよ。君は、この笑顔のために土を耕していたんだね」
口の周りをバターだらけにしたルイが、優しく微笑みかけてきた。
「ええ。最高の技術と、最高の健康、そして最高の美味しいご飯。これさえあれば、フランスは絶対に負けないわ!」
私はジョゼフを抱き上げ、パリの空を覆う雲の向こう側へと、高らかにグラスを掲げた。
マリー・アントワネット、25歳。
絶望の火山灰を最高のスパイスに変え、究極の新じゃがフルコースで仲間たちの胃袋を完全に制圧した彼女の「美味しいサバイバル」は、これからも力強く、ホクホクと続いていくのである。




