第117話 アカデミーの論理試験
基礎教育アカデミーが開校から数ヶ月が経ち、平民も貴族も入り混じった子供たちは、すっかりこの学校の「常識外れな熱気」に馴染んでいた。
そして今日、アカデミーはかつてないほどの緊張感と興奮に包まれていた。
「いいこと、みんな! 今日はアカデミー初の一斉テストの日よ!」
私がメガホンで呼びかけると、教室に整列した10歳から12歳の高学年クラスの子供たちが、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「でも安心して! 今日みんなに出す問題は、『1515年に起きた戦争の名前は?』とか『王様のフルネームを正確なスペルで書け』みたいな、退屈な暗記問題じゃないわ!」
私はメガホンを持ったまま、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「これから先の激動のフランスを生き抜くために必要なのは、知識の量だけじゃない。『考える力』よ! どんな理不尽な状況に置かれても、自分の頭で筋道を立てて最適解を導き出す論理的思考力! さあ、王室が誇る最強の教職員たちが用意した『3つの難問』に、全力で挑みなさい!」
「「「うおおおおおおっ!! やってやるぜ!!」」」
子供たちの熱狂的な歓声とともに、歴史上最も頭脳を使う、熱いテストの幕が上がった。
【第一問:毒入りワインとネズミ】
「やあ、未来のエンジニアたち! 第一問は理科担当の僕から出題するよ!」
白衣を翻し、チョークを片手に教壇に立ったのは、ルイだった。
「君たちは王室の検査官だ。明日の夜、つまり『24時間後』に開催される大晩餐会のために、王家のワインセラーから『1000本』のワインが用意された。……だが、不届きな暗殺者が、その中の『たった1本』だけに、無味無臭の猛毒を混入させたことが発覚した!」
ルイの物騒な設定に、子供たちが息を呑む。
「この毒は、飲んでから『ちょうど24時間後』に必ず死に至る遅効性の毒だ。君たちは、毒見役としてネズミを使うことができる。……さて、明日の晩餐会に間に合うよう、一回の検査で確実に『毒入りの1本』を特定するには、最低何匹のネズミが必要かな?」
教室がざわめいた。
「1000本から1本!? ネズミも999匹いるんじゃないか?」
「いや、半分ずつ飲ませて……でも24時間じゃ一回しか結果が分からないぞ!」
(……ふふふ。IT系企業の入社試験でも使われる、有名な『二進法』のパズルね!)
静まり返る教室の中で、スッと手を挙げた少年がいた。
パリの裏路地で孤児として育ち、スニーカー工場で働きながらアカデミーに入学した12歳の少年、ジャンだ。
「ルイ先生。……『10匹』だ。10匹のネズミがいれば、確実に特定できる」
「おお! 素晴らしい直感だねジャン君。理由は説明できるかい?」
ジャンは黒板の前に進み出ると、チョークで数字を書き出した。
「ネズミ1匹につき『生』か『死』の2パターンの状態がある。だから、ネズミの数ごとに組み合わせを掛け算していくんだ。10匹いれば、2×2×2……と10回掛けて、状態の組み合わせは『1024通り』になる。これはワインの数1000本より多い」
ジャンはさらに図を描き足す。
「ワイン1000本すべてに、1から1000までの番号を振る。そしてその番号を『2の倍数の足し算』に分解するんだ。例えば『ワイン7番』は『1+2+4』。そしたら、ネズミの1号、2号、3号にそのワインを一滴ずつ飲ませる」
「そして24時間後……死んだネズミの番号の数字を全部足し合わせれば、それがそのまま『毒入りワインの番号』になるってわけさ!」
――シーン。
教室中が、ジャンの圧倒的な論理に言葉を失った。
「大正解だ、ジャン君!!」
ルイが感動のあまり、ジャンの肩を強く揺さぶった。
「君は今、何もないところから、究極の論理構造を導き出したんだ! 君の頭脳は、いずれ歯車以上の機械を生み出すぞ!!」
【第二問:海賊の金貨分け】
「……フン。算数遊びができたからといって、調子に乗らないことですわ」
次に教壇に上がったのは、冷たい銀縁眼鏡を煌めかせたジャンヌだった。
「第二問。世の中は常に利害関係で動いています。他人の欲と心理を正確に読めなければ、交渉のテーブルでは身ぐるみを剥がされますわ。……究極のゲーム理論をお見せしましょう」
ジャンヌは黒板に、A、B、C、D、Eという5人の海賊の絵を描いた。
「5人の海賊が、『100枚の金貨』を山分けします。ルールは以下の通り。
1.A、B、C、D、Eの順で、金貨の分け方を提案する。
2.提案に対し、全員で多数決をとる。賛成が『半数(提案者含め、同数以上)』なら可決。
3.もし否決されたら、提案者は海へ投げ込まれて処刑され、次の者が提案する」
ジャンヌは、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
「海賊たちは極めて合理的で、以下の順番で優先して行動します」
『第一に、自分が生き残ること』
『第二に、自分の金貨を1枚でも多く得ること』
『第三に、金貨が同じなら、他人を処刑すること』
「……さあ、最初の提案者である海賊Aは、自分が生き残り、かつ金貨を最大化するために、どのような提案をすべきでしょうか?」
子供たちは頭を抱えた。
「Aが独り占めしたら即処刑だろ!?」
「均等に20枚ずつ? いや、海賊ならもっと欲張るはずだ!」
(……来たわね。後戻り推論の極致! 最悪の状況から逆算して、相手が絶対に『YES』と言わざるを得ない条件を割り出す問題!)
重い沈黙を破ったのは、数字にめっぽう強い11歳の少女・シャルロットだった。
「ジャンヌ先生。……答えは『Aが98枚、Cが1枚、Eが1枚、残りは0枚』ですわ」
「ほう? シャルロットさん、説明してごらんなさい」
シャルロットは立ち上がり、凜とした声で答えた。
「この問題は、最後まで生き残った場合から『逆算』しなければ解けません。
もしA、B、Cが死んで【DとEの2人】になった場合。Dが『D100枚、E0枚』と提案すれば、D一人の賛成(1/2)で可決され、Eは1枚も貰えません」
シャルロットは黒板の図を指差す。
「それを踏まえて【C、D、Eの3人】の場合。Cは『自分99枚、D0枚、E1枚』と提案します。Eは、これを否決すれば次のターンで0枚になることが分かっているので、必ずCに賛成します。これで可決です」
「さらに【B、C、D、Eの4人】の場合。Bは『自分99枚、C0枚、D1枚、E0枚』と提案します。Dは否決すれば次ターンで0枚になるため、必ずBに賛成します。これで可決です」
シャルロットは、最後にAを指差した。
「つまり【Aから始まる5人の場合】。Aは、自分が否決されたら『0枚』になってしまう2人……すなわち【CとE】に、1枚ずつ金貨を渡せばいいのです。そうすれば、CとEは確実にAの提案に賛成し、A自身の票と合わせて『3票』。見事、過半数で可決されますわ!」
――息を呑む音すら聞こえない静寂。
「……お見事! 大正解ですわ、シャルロットさん!!」
ジャンヌが惜しみない拍手を送った。
「その通り。人間の『損失への恐怖』を完璧に計算し尽くした逆算思考。……あなた、将来私の監査局で、悪徳商人から税金をむしり取るエースになれますわよ!」
「「「おおおおおっ!! シャルロット、すげえええ!!」」」
【第三問:情報伝達プロトコル】
「……素晴らしい。しかし、戦場においては、さらにシビアな『極限状態での協力と情報伝達』が求められます」
最後に教壇へ歩み出たのは、最高執行責任者・ナポレオンだった。彼の威圧感に、教室の空気が一気に張り詰める。
「第三問。あなた方は敵に捕らえられた『10人』の捕虜です。
あなた方は、縦一列に並ばされ、全員に『赤』か『白』の帽子をランダムに被せられました。自分自身の帽子の色は見えませんが、前方に並んでいる仲間の帽子の色はすべて見えます」
ナポレオンは冷酷にルールを宣告する。
「一番後ろの列の者から順に、自分の帽子の色を大きな声で当てさせられます。正解すれば釈放、間違えれば即座に処刑。……ただし、事前に10人で『作戦会議』をすることは許されています」
ナポレオンの鋭い視線が、子供たちを射抜いた。
「声のトーンを変えたり、暗号を使ったりすることは禁止です。発していい言葉は『赤』か『白』のみ。……さて、どうすれば『確実に9人の命を救う』ことができるでしょうか?」
(……出た!! 最凶の論理クイズ『捕虜の帽子』!!)
一番後ろの人間は、自分の帽子が見えないため完全に50%の運になる。だが、彼が発する「赤」か「白」という一言だけで、前の9人に完璧な情報を伝えなければならない。
教室の子供たちは沈黙した。
「前の人の色を教えてあげる? いや、それだと自分の色が分からないぞ……」
長い沈黙が続いた。
だが、その時。孤児のジャンと、貴族の娘シャルロットが顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
「ナポレオン長官。……作戦は一つです」
ジャンが口を開いた。
「一番後ろの奴は、自分より前に見えている『赤の帽子の数』を数えます。そして、それが【奇数】なら『赤』、【偶数】なら『白』と叫ぶと、事前に約束しておくんです!」
「ほう? それで?」
ナポレオンが、興味深そうに目を細める。
「後ろから2番目の人は、自分の前に見える赤の帽子の数を数えますわ」
シャルロットが引き継ぐ。
「もし、後ろの人が『赤(奇数)』と叫んだのに、自分の前に見える赤の帽子が『偶数』だった場合。……足りない一つの赤は、間違いなく【自分の頭の上に乗っている】と分かります! だから堂々と『赤』と答えればいい!」
「そして!」
ジャンが拳を握りしめる。
「その答えを聞いた3番目の奴は、後ろの2番目が『赤』だったか『白』だったかを記憶しておき、自分の前に見える帽子の数と照らし合わせる……。この『偶数と奇数の法則』をリレーしていけば、前方の9人は、全員確実に自分の帽子の色を特定できる!!」
――カチャン。
ナポレオンが、手に持っていたチョークを置いた。
彼の氷のような顔に、珍しく、隠しきれないほどの深い感嘆の笑みが浮かんだ。
「……完璧です。見事な論理の構築、そして何より、身分を超えた二人の『情報共有による生存戦略』。……マリー。どうやらこの国は、私が思うよりもずっと早く、無敵の帝国になりそうですよ」
「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」
教室中が、地鳴りのような歓声と拍手に包み込まれた。
ただの暗記ではない。自分の頭で考え、謎を解き明かした子供たちの顔は、世界中のどんな宝石よりも誇らしく輝いていた。
「ふふふ。みんな、よく頑張ったわね! これで高学年の論理テストは大合格よ!!」
私がテストの終了を宣言した、その時だった。
「ママン! パパ!」
教室の入り口から、隣の託児ルームで遊んでいたはずのジョゼフと、配管工の息子マルセルがトコトコと乱入してきた。二人とも、サロペットを泥だらけにして、手には木製のブロックを握りしめている。
「あら、二人ともお砂場遊びは終わったの?」
「うんっ! まるしぇるに、はい、どーぞ! したの!」
ジョゼフが満面の笑顔で、マルセルに積み木を手渡す。
「へへっ、サンキュー、殿下! オレの泥団子と交換だぜ!」
マルセルも、屈託のない笑顔で泥団子をジョゼフに渡している。
その、あまりにも平和で、論理も打算も一切ない「ただの三歳児の無垢なおともだち関係」を見て、極限まで頭脳を酷使していた教職員と高学年の生徒たちは、全員の毒気が一瞬で抜けてしまった。
「「「ああああぁぁぁぁっ! 尊いっ……!!」」」
計算も駆け引きも、この絶対的な「可愛さ」の前には無力である。
マリー・アントワネット、25歳。
ギロチンを避けるために始めた彼女の教育改革は、年長者たちの恐るべき論理的思考力を開花させつつも、未来の国王の無邪気な「はい、どーぞ!」によって、今日もフランスを愛と平和で包み込むのであった。




