第112話 純白の結晶
「シュゴォォォォン……! 遠心分離機、回転数を最大へ! 糖蜜を完全に飛ばすんだ!」
新設された『王立精糖プラント』
作業着姿のルイが、巨大な真鍮製の機械のレバーを力強く押し込んだ。
フランス北部の平原で収穫された大量の『甜菜』は、洗浄され、細かく裁断され、ルイ設計の「真空蒸発缶」で焦げることなく煮詰められる。
そして最終工程。ドロドロの糖蜜から純粋な砂糖の結晶だけを取り出すための、凄まじい回転力を持った『蒸気式・遠心分離機』が唸りを上げた。
「……回転、停止! ハッチを開けるぞ!」
サラサラサラ……。
「「「おおおおおおっ!!」」」
真冬の新雪のような、純白の結晶が巨大な銀のボウルへと滝のように降り注いだ。
「完璧だ……! 純度九十九パーセントの精製ショ糖! 西インド諸島からの輸入に頼らなくても、フランスの大地と蒸気機関だけでこんな美しい砂糖を作り出せる!」
ルイが歓喜の声を上げる。
これまで「砂糖」は、熱帯の植民地で奴隷労働によって生産される超高級品だった。その「甘味の特権」が、今、私たちの手で破壊されたのだ。
「さあ、ルイ! ただの白い粉のままじゃつまらないわ! あれの出番よ!」
「任せてくれ、アントワネット! 砂糖を熱して遠心力で細い糸状に押し出す……僕の最新型・娯楽用機械の力を見せよう!」
ルイが小さな円筒形の機械に火を入れ、出来立ての甜菜糖を流し込む。
ウィンウィンウィン……!
機械が高速回転すると、中心部から蜘蛛の糸のような白い繊維が無数に飛び出してきた。
「ジョゼフ、出番よ!」
「あうー!」
ヘルメットとサロペット姿のジョゼフが、木の棒を握りしめてトコトコとやってきた。
「そう、その棒をくるくる回して巻き取るのよ!」
私が手を添えると、あっという間に彼の顔よりも巨大な「白い雲」が完成した。
現代のお祭りの大定番――『綿菓子』の爆誕である。
「はい、どーぞ!」
ジョゼフは完成した巨大な綿菓子を私に差し出し、自分もその端っこに「ぱくっ」と齧りついた。
「んまっ! ふわー!」
口に入れた瞬間、シュワッと溶ける不思議な食感と圧倒的な甘さ。ジョゼフは目をまん丸にして驚き、「きゃはははっ!」と全身で喜びを表現した。口の周りがベタベタだが、防水スタイのおかげで服は無事だ。
「美味しいわね、ジョゼフ! これがフランスの子供たちの『当たり前のおやつ』になるのよ!」
労働者たちにも次々と綿菓子を振る舞うと、「美味ぇ……! 疲れが吹っ飛ぶ!」と大歓声が上がった。甘味の民主化は、労働者のモチベーションを極限まで引き上げる最強の福利厚生として機能し始めていた。
――しかし。
このフランスの「甘き革命」を、ギリギリと歯ぎしりをして憎悪している者たちがいた。
チュイルリー宮殿の奥、『財務特別監査局』。
その執務室に、豪奢なベルベットのコートを着込んだ初老の男が足を踏み入れた。西インド諸島からのサトウキビ輸入を独占してきた大資本家、デュモン商会の会長である。
「……失礼するよ、マダム・ジャンヌ。いや、財務特別監査局長殿」
デュモンが分厚い革のソファにどっかりと腰を下ろす。
机の向こう側では、銀縁眼鏡をかけたジャンヌ・ド・ヴァロワが、書類から視線を上げることなく羽根ペンを走らせていた。
「アポイントのない面会は受け付けておりませんわ。上司のナポレオンにバレたら監査ノルマを増やされてしまいますの。……用件は手短に」
ジャンヌの素っ気ない態度に、デュモンは忌々しげに眉をひそめた。
「単刀直入に言おう。王妃が始めた甜菜の安物砂糖のせいで、我が商会の『本物の高級砂糖』の価格が暴落している。あなたにお願いに来たのだよ」
デュモンは懐からずっしりと重い『革袋』を取り出し、ジャンヌの机にコトンと置いた。
チャリン、と金貨が擦れ合う魅惑的な音が鳴る。
「あの甜菜糖に『特別消費税』という名目で重税を課していただきたい。そうすれば市場の競争は公平になる。……もちろん、この袋はその『手間賃』だ。法案が通れば、毎月この倍額をあなたの個人口座へお振り込みしよう」
賄賂。最も古典的で強力な資本家の武器である。
ジャンヌは羽根ペンの動きを止めた。青い瞳が、机の上の革袋に注がれる。
かつての彼女――極貧の中で詐欺を働き、金に執着していた「泥棒猫のジャンヌ」であれば、喜んで飛びついていただろう。
「……なるほど。甜菜糖に重税をかけ、あなた方の既得権益を守る。その見返りに、私に巨額の裏金を渡すと」
ジャンヌはゆっくりと革袋に手を伸ばし、その重さを確かめるように弄んだ。
「いかにも。あなたは『現実的な数字』の重みを知っているはずだ。我々と手を組むのが一番賢い生き方ですよ」
デュモンが下卑た笑いを浮かべた、その時だった。
「……バカにしないでちょうだい」
「え?」
ジャンヌは金貨の袋を、デュモンの顔面すれすれに思い切り投げ返した。
ドサッ! と鈍い音が響き、金貨がこぼれ落ちる。
「こんな端金で、国家予算を管理する『最強の金庫番』を買収できるとでも思ったの? あなたの商会の年間利益なんて、私が一日で動かす帳簿の誤差にも満たないわ!」
「な、なんだと!?」
「私は確かに金が大好きよ。でも、自分の権限を切り売りして小銭を稼ぐようなみみっちい真似はもう卒業したの。……今の私の最大の快楽はね」
ジャンヌはゾクッとするような妖艶な笑みを浮かべ、机の下から分厚い『黒いファイル』を取り出した。
「あなたたちのような脱税資本家から、合法的に、そして根こそぎ全財産をむしり取ることなのよ!!」
「き、貴様……!」
「デュモン商会、過去十年間における西インド諸島からの輸入関税申告書。……船の積載量を三割少なく偽装し、密輸同然に砂糖を持ち込んでいましたわね。脱税総額は利子も含めてざっと『三千万リーブル』」
「ば、馬鹿な! その帳簿は裏の金庫に……!」
「アーサー部長の諜報網を舐めないことね。……さあ、どうする? 巨額脱税の罪で全財産を没収され、地下で一生キノコの堆肥を混ぜるか。それとも、三千万リーブルを明日までに耳を揃えて国庫に納めるか」
ジャンヌの容赦のない追及に、デュモンの顔から血の気が引き、ブルブルと全身が震え出した。
その時、執務室の奥の扉が開き、私とナポレオン、ジョゼフが姿を現した。隣の部屋のペリスコープからすべてのやり取りを監視していたのだ。
「ご機嫌よう、デュモン会長。随分と気前よくジャンヌに『お小遣い』をくれようとしたみたいね」
私が扇子を広げて微笑むと、デュモンは腰を抜かして床にへたり込んだ。
「お、王妃殿下……! これは誤解で……!」
「あうー!」
すると、ジョゼフがトコトコとデュモンの前に歩み寄った。彼の手には、作ったばかりの大きな『綿菓子』が握られている。
ジョゼフは震える大富豪を見上げると、綿菓子をちぎって小さな手でデュモンの口元に突き出した。
「はい、どーぞ!」
「え……?」
あまりの予想外の行動に、デュモンは無意識に口を開け、そのフワフワの砂糖の塊を含んでしまった。
シュワッ……。
雪のように溶ける、極限まで純度の高い甘味。熱帯の奴隷労働で絞り出された血の滲むような砂糖とは違う。フランスの大地と科学の力が生み出した、圧倒的で純粋な『暴力的なまでの甘さ』。
「……なんだ……これは……。甘い。ただ甘いだけでなく……混じり気のない、完璧な結晶……」
デュモンの目から資本家としての狡猾な光が消え、純粋な驚きと敗北感が広がった。
「……負けた。私が何十年もかけて海を渡って運んできた砂糖より、この赤ん坊が持っている綿菓子の方が、遥かに美しく、美味い……」
彼は膝をついたまま、ポロポロと涙を流し始めた。
「デュモン会長」
私が静かに声をかける。
「あなたの流通網と船を動かすノウハウは本物よ。……脱税の罰として三千万リーブルはきっちり払ってもらうけれど、もし心を入れ替えて、この甜菜糖をヨーロッパ中に輸出する『王立貿易会社の支社長』として働くなら、罪は不問にしてあげるわ」
「……王妃様。私に、この白い魔法の粉を世界に売らせていただけるのですか……?」
「もちろんよ。ただしこれからは『完全ホワイト労働』と『ガラス張りの帳簿』が絶対条件だけどね。……ナポレオン、契約書の準備を」
「用意できています」
ナポレオンが無表情で分厚い雇用契約書を差し出す。
「きゃははっ! あまーい!」
ジョゼフが残りの綿菓子を顔中につけて笑っている。
マリー・アントワネット、25歳。
甘い砂糖の利権を巡る賄賂の罠を、ジャンヌの『悪の美学』とジョゼフの『無垢な綿菓子アタック』で粉砕し、強欲な資本家すらもフランスの甘き革命を支える強力なコマへと変えてしまったのである。




