第111話 最強の教職員集結
「『王立基礎教育アカデミー』の生徒数が、あっという間に三千人を突破したわ。無料の極上給食の威力は凄まじいわね」
執務室の黒板の前に立ち、私は教鞭という名の扇子をピシッと叩いた。
「ですがマリー、現在のカリキュラムには欠陥があります」
ナポレオンが冷静に指摘する。
「読み書きと、陛下の『蒸気機関の理科実験』、そしてあなたの『体育』だけでは、極端な理系オタクか肉体労働者しか育ちません。世界の覇権を握るため、砲兵戦術やロジスティクスなどの軍事教練を必修に……」
「ストップよ、ナポレオン!」
私は全力で両手でバツ印を作った。
「隙あらば子供たちを帝国軍人にしようとするわね! 私たちが育てるべきは、平和な社会を生き抜くための『教養ある市民』なの! 国語、算数、外国語、理科、社会! この『最強の五教科』を軸にした義務教育カリキュラムを確立するわ!」
「理念は立派ですが、高度な実学を何千人もの子供に教えられる『教師』が、今のフランスのどこにいるのです?」
「ふふふ。灯台下暗しよ。私たちの周りには、各分野における『世界最高峰のスペシャリスト』がすでに揃っているじゃない!」
私は不敵な笑みを浮かべ、新しい担当教師リストを黒板に書き出した。
数日後。
王立・基礎教育アカデミーの教室では、かつてないほど異様で熱気に満ちた授業が展開されていた。
このアカデミーには労働者のための『王立保育ルーム』も併設されており、そのボスとして君臨しているのが、三歳になった我が息子、王太子ルイ・ジョゼフだ。
「さあジョゼフ。今日はママと一緒に新しい授業の『視察』に行くわよ!」
「あー!しさつ! しさつ!」
デニムのミニ・サロペットに身を包んだジョゼフは、私の手を引いて廊下をトコトコと歩き出した。
まず覗き込んだのは『算数』の教室だ。
「いいこと、クソガキども! 1足す1は2じゃないわ。そこに『年利5パーセントの複利』を掛け合わせ、十年間運用すれば数字は魔法のように膨れ上がるのよ!」
教壇に立っていたのは、銀縁眼鏡をかけたジャンヌだった。
「ただ計算ができるだけじゃ一生搾取されるだけ! 学ぶべきは『複利の力』と『悪徳商人の二重帳簿を見抜く嗅覚』よ! さあ、この架空の帳簿から原価を誤魔化している箇所を五分以内に見つけなさい! 一番の班には今日のデザートを二倍にしてあげるわ!」
「「「うおおおおっ!! 絶対にプリンを勝ち取るんだ!!」」」
子供たちの目の色が変わる。ジャンヌの授業は、いかに騙されないかという生々しいサバイバル算数なのだ。
その白熱した教室の扉を、ジョゼフが「ばんばん!」と叩いて開けた。
「 じゃーん!」
ジョゼフは教壇まで走り寄ると、ポケットから取り出した木製の『おもちゃの金貨』をジャンヌの膝に乗せた。
「はい、どーぞ!」
「で、殿下!? なぜここに……」
冷徹な顔で「搾取と利回り」を説いていたジャンヌが、一瞬にして狼狽した。
「あーぃ! ニパッ!」
ジョゼフの100パーセント純粋な善意の笑顔。
「こ、これは見返りを求めない無償の贈与……!? ああっ、私の冷酷な計算式が、殿下の無垢な笑顔の前では狂ってしまうわ……ッ! ほ、本日の授業はここまで! 殿下、その金貨は私が大切に保管しておきますわ!」
悪魔の財務長官をもタジタジにする最年少の特別監査役。私はクスッと笑い、次の教室へ向かった。
続いては『外国語(英語)』だ。
「Listen carefully, everyone. イギリスの商人が笑顔で『前向きに検討します』と言った時、それは『絶対に買わない』という意味だ。そのまま待っていても商談は成立しない!」
元・英国人のアーサーが、流暢な英語で語りかけていた。
「言葉の裏の本音を読み取れなければ、国際貿易では一瞬で身ぐるみを剥がされる! 語学とは単なる翻訳ではない。相手の心理の裏をかく『諜報戦』なのだ!」
ただの文法ではない、超実践的ビジネス英語&交渉術だ。そこへジョゼフがひょっこり顔を出した。
「はろー!」
ジョゼフは覚えたての挨拶を披露し、両手を広げて駆け寄った。
「おお、殿下! Excellent pronunciationです!」
アーサーが抱き上げると、ジョゼフは彼の鼻をツンツンと突き、無敵の笑顔を炸裂させた。
アーサーは雷に打たれたように固まった後、生徒たちに向かって真剣な顔で解説を始めた。
「……諸君、よく見るのだ。どんなに言葉の壁があろうと、この『一切の悪意を持たない純粋な笑顔』の前では、冷酷なスパイの心も一瞬で武装解除される。……言語を超える最強の武器は、このスマイルなのだ!」
「「「おおおおっ!! さすが殿下だ!!」」」
子供たちからの拍手喝采に、ジョゼフは「えっへん!」と胸を張った。
さらに進むと『社会』の教室から、若き弁護士ロベスピエールの熱を帯びた声が響いてきた。
「社会を根底から支えるのは『法』と『契約』です。工場で不当な労働を強いられたなら、石を投げるのではなく『雇用契約書』という盾と『労働法』という剣で戦うのです!」
「「「はいっ、ロベスピエール先生!!」」」
その時、教室の隅で二人の生徒が一つしかない木製の歯車のおもちゃを取り合って喧嘩を始めそうになった。
「俺が先に見つけたんだ!」
「私がこれで遊ぶの!」
ロベスピエールが注意しようとした瞬間、ジョゼフがトコトコと二人の間に割って入った。
彼は自分のポケットからもう一つのおもちゃの歯車を取り出すと、女の子の手に握らせ、男の子の頭を「よしよし」と撫でた。
「……かちっ! どーぞ!」
ジョゼフの自然で公平な解決策に、二人はポカンとした後、「……ありがとう、殿下」と素直に仲直りをした。
「見ましたか、諸君……! これこそがルソーの説いた『自然法に基づく平和的契約』の体現です! 争いを暴力ではなく、共有と譲り合いで解決する……殿下の背中に、私はフランスの法秩序の未来を見ました……!」
ロベスピエールが感動の涙を拭う横で、私は「ただおもちゃをあげただけなんだけど……まあいっか」と心の中で苦笑した。
理科はルイが蒸気機関のミニチュアで物理法則を熱弁し、算数はジャンヌのサバイバル経済学。英語はアーサーの諜報術に、社会はロベスピエールの法学。
そして『国語』は私が「相手の心を掴むプレゼン術」を直伝する。
王室が総力を挙げた『教職員アベンジャーズ』による授業は、子供たちの脳に恐ろしいスピードで最先端の知識を吸収させていった。
数週間後の給食の時間。
私は食堂の隅で、驚くべき光景を目にする。
「……ねえ、この甜菜糖のプリン、原価率を計算すると、あと5パーセントだけ卵の比率を下げても食感を維持できるんじゃないか?」
「確かに。でもタンパク質が不足して、午後の体育の筋肉の修復効率が下がるよ。ロベスピエール先生の言う『健康の権利』を損なわない?」
「なら豆乳を増やして大豆タンパクで補い、浮いた予算で明日のパンの小麦のグレードを上げようぜ。アーサー先生の英語資料で読んだ最新のパン焼き機を使えば……」
八歳や九歳の子供たちがプリンを食べながら、原価計算、栄養学、法学、海外の技術書をベースに、論理的なディスカッションを繰り広げていたのだ。
「んまー! ぷりん、んまー!」
その高度な議論の中心で、ジョゼフは口の周りをカラメルだらけにして純粋にプリンを頬張り、笑っていた。その笑顔が、張り詰めがちな子供たちの議論を平和な着地点へと導く最高の緩衝材になっていた。
「ナポレオン……! 私たちの学校、とんでもないバケモノたちを育てているんじゃないかしら!?」
「ええ。数年後、この子供たちが社会に出た時……フランスは他国が束になっても敵わない、圧倒的な『知の超大国』になりますよ」
ナポレオンすらも、未来のフランス国民のポテンシャルに不敵な笑みを浮かべていた。
マリー・アントワネット、25歳。
彼女の設立した義務教育アカデミーは、各界の天才と狂人たちが教鞭をとり、最年少の現場監督ジョゼフが癒しを提供する「世界最強の英才教育機関」と化していた。
剣や大砲ではなく、論理と数字と表現力で武装した新しい世代の子供たち。
彼らこそが、革命の血を流すことなくフランスを真の黄金時代へと導く、最強の「無血の軍隊」となるのである。




