第110話 ナポレオンの野望 後編
「だ、だから違うと言っているだろうがァァァッ!! これは……これはただの……ッ!!」
チュイルリー宮殿の薄暗い地下室。
自作の恐ろしい拘束具に縛り付けられたまま、フランスの最高執行責任者であるナポレオンは、顔を真っ赤にして大声で喚き叫んだ。
「ただの……『身長を伸ばすための機械』だぁぁぁぁっ!!!」
「………………はい?」
私、ルイ、ジャンヌ、アーサーの四人は、武器を構えたままフリーズした。
「し、身長を……伸ばす……?」
アーサーが、持っていた短剣をカラン……と床に落とした。
「じゃ、じゃあナポレオン。あなたが夜な夜な怪しい商人から買っていた『謎の粉』と『謎の液体』って……」
「……牡蠣の殻や動物の骨を細かくすり潰した『カルシウム粉末』と、それを溶かして吸収しやすくするための『食用酢』だ!! 激マズだが、骨を急成長させるためにはこれしかないんだよ!!」
「じゃ、じゃあ……故郷の親族に送ったという『周囲の大人たちは私を見下している』『高みへと上り詰める』というあの手紙は……」
「文字通りの意味だ!! 大人は、いつもいつも私の頭の上から話しかけてきやがる! 視線が低いせいで、労働者たちに指示を出す時も威厳が出ないんだ! だから、物理的に『高み(高身長)』へ上り詰めようと努力していただけだ!!」
ナポレオンは、革ベルトで手足を引っ張られながら、ボロボロと悔し涙を流した。
「私はもう12歳だぞ! なのに、ちっとも背が伸びない! 同年代の奴らにも追い抜かれている! このままでは、一生『ちんちくりんの子供』扱いだ! そんなの絶対に嫌だァァァッ!!」
――シーン。
地下室に、気まずすぎる沈黙が降りた。
(……国家転覆でも、暗殺計画でも、マッドサイエンティストでもなかった。……ただの『身長コンプレックス』じゃないのォォォォッ!!!)
「……計算が、全く合いませんわ」
ジャンヌが、顔を覆って崩れ落ちた。
「私が徹夜で洗った裏帳簿と、暗殺ルートの予測……。まさか、カルシウムの密輸と背伸ばし機だったなんて……私の労力を返して……っ」
「い、いやぁ、参ったな! ハハハッ!」
アーサーも、冷や汗を拭いながら盛大にズッコケている。
「『歴史が覆るその時を待て』なんて書くから、てっきり皇帝にでも即位するのかと……! まさか『背が伸びるのを待て』って意味だったとはな!!」
「アーサー、笑うな! 私にとっては国家の命運より深刻な問題なんだぞ!!」
「ちょっと待って、ナポレオン君!」
ルイが、目をキラキラさせながら拷問台改め、背伸ばし機の滑車を覗き込んでいた。
「このウインチの牽引力、君の体重に対して強すぎるよ! これじゃあ骨が伸びる前に、関節が脱臼しちゃう! もし引っ張るなら、ここにコイルスプリングを噛ませて張力を分散させないと……!」
「バカッ! ルイ、技術的なアドバイスしてる場合じゃないでしょ!!」
私は、慌ててナポレオンの手足の拘束ベルトを外した。
「もう、ナポレオンったら! 男子の成長期なんて15歳を過ぎてから一気に来るものなのよ! 12歳で背が低いからって、無理やり関節を引っ張るなんてバカな真似、絶対にやめなさい!」
「うるさい! マリーには分からないんだ! 会議の時に毎回、踏み台を用意される私の屈辱が!!」
解放されたナポレオンは、赤い顔をしてそっぽを向いた。
いつもは冷徹で完璧な最高執行責任者。だが、今の彼は、ただの等身大の「背伸びしたい12歳の男の子」だった。
(……そうよね。いくら中身が大人でも、体はまだ成長期の子供。毎日夜遅くまで書類仕事をして、睡眠時間も削って……これじゃあ、背が伸びるわけないわ)
私は、ため息をついて彼の頭をポンッと撫でた。
「……触るな! 成長が止まる!」
「ふふっ、ごめんなさい。でもね、ナポレオン。骨っていうのは、外から無理やり引っ張っても伸びないの。骨は『内側』から育てるものよ!」
「内側から……?」
「そう! 身長を伸ばすための『成長の黄金トライアングル』! それはズバリ、『栄養』『睡眠』『運動』よ!! カルシウムの粉を酢で溶かして飲むなんて、マズくてストレスが溜まるだけ! 私が最高に美味しくて、骨の髄まで栄養がドッカンと届く成長期特化型の夜食を作ってあげるわ!!」
数十分後。
チュイルリー宮殿の厨房に、ナポレオンを引っ張ってきた私は、腕まくりをしてフライパンを握った。
「いい!? カルシウムだけ摂ってもダメなの! カルシウムの吸収を助ける『ビタミンD』や『ビタミンK』、そして骨の土台を作る『タンパク質』を一緒に摂らなきゃ意味がないのよ!」
私は、牛乳とチーズ、そしてバターを鍋に投入した。
「まずは、牛乳とチーズの海! ここに、タンパク質とコラーゲンたっぷりの『鶏ムネ肉』をドカンと投入! さらに、ビタミンKが豊富なブロッコリーとほうれん草、ビタミンDの宝庫『干しマッシュルーム』の出汁を合わせる!!」
グツグツと煮込まれる濃厚なホワイトソース。
「それだけじゃないわ! サイドメニューは、頭から尻尾まで丸ごと食べられる小魚のフリット! これに、太陽の光をたっぷり浴びたレモンを搾るの! レモンのクエン酸は、カルシウムの吸収率を劇的にアップさせる『キレート作用』があるんだから!!」
私は、完成した料理をドォォン! とナポレオンの前に置いた。
「名付けて、『超絶骨太ミルクシチュー』と『小魚のレモンフリット』よ!! さあ、冷めないうちに食べなさい!!」
「こ、これが……骨を育てる食事……」
ナポレオンは、ゴクリと唾を飲み込み、スプーンで濃厚なシチューをすくって口に運んだ。
「…………ッッッ!!」
彼の瞳孔が、極限まで見開かれた。
「う、美味い……!! 牛乳とチーズの濃厚なコクに、骨付き肉から出た強烈な旨味が溶け込んでいる! ブロッコリーの歯ごたえも最高だ! あのクソ不味いカルシウム酢とは天と地ほどの差だ……っ!」
「小魚も食べてみて! サクサクで美味しいわよ!」
ナポレオンは、小魚のフリットを指でつまみ、ワシャワシャと貪り食った。
「酸味がたまらない! 噛めば噛むほど、細胞の隅々にまで栄養が行き渡っていくのが分かる……! これなら、毎日でも……いや、毎食でも食べたい!!」
「ふふふ。いくらでもお代わりはあるわよ! でも、食べ終わったらすぐに寝ること! 骨を伸ばす『成長ホルモン』は、夜深く眠っている時に一番分泌されるんだからね。深夜の書類仕事も、地下での拷問器具も禁止よ!!」
私がピシャリと言うと、ナポレオンはシチューで口の周りを白くしながら、ポツリと呟いた。
「……マリー。私は、本当に大きくなれるだろうか」
いつもの自信に満ちた天才ではなく、不安そうな少年の顔だった。
「なれるわよ」
私は、今度は怒られないように、そっと彼の肩を抱いた。
「それにね、ナポレオン。あなたの本当の武器は、身長じゃないわ。その圧倒的な頭脳と、フランスを支えてくれているその両手よ。……たとえ身長が低かったとしても、私にとっては、あなたが世界で一番大きくて頼りになる『巨人』なんだから」
「…………ッ」
ナポレオンは、顔を真っ赤にして俯き、スプーンをカチャカチャと鳴らした。
「……ふん。お世辞を言っても何も出ませんからね。……ですが、このシチューの味に免じて、クーデターは起こさずにいてあげましょう」
「クーデターじゃなくて、ただの背伸ばしでしょ!」
厨房に、私たち五人の温かい笑い声が響き渡った。
翌朝。
チュイルリー宮殿の執務室には、いつものように冷静沈着に書類を裁くナポレオン・ボナパルトの姿があった。
「……ジャンヌ局長、この物流ルートはコストがかかりすぎます。アーサー部長、イギリスへの諜報予算をあと三パーセント削りなさい」
ピシャリと大人たちに指示を出すその姿は、やはり威厳に満ちた最高執行責任者だ。
ただ、一つだけ昨日までと違う点があった。
彼のデスクの上には、ブラックコーヒーではなく、特大のジョッキになみなみと注がれた「ホットミルク」が置かれていたのである。
(ふふっ。ちゃんと内側から育ててるみたいね)
私はそれを見て、こっそりと微笑んだ。
ちなみに、史実のナポレオンの身長は大人になって約168センチであり、決して極端な小男ではなかったと言われている。彼が「チビのコルシカ野郎」と揶揄されたのは、イギリスのプロパガンダや、周囲の近衛兵たちが大男ばかりだったからという説が有力である。
だが、この世界線の彼が、マリー特製の食事とたっぷりの睡眠によって、史実の身長を超える大男に成長するかどうかは……まだ誰も知らない。
マリー・アントワネット、25歳。
彼女は、フランスを揺るがす最悪のクーデター疑惑を、特製ミルクシチューと温かいお節介によって、平和的かつ超絶ハッピーに解決したのであった。




