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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第99話 救世主たち

 水を循環させる『復水器コンデンサー』と、気化熱を利用した『ラジエーター』の概念。

 私の前世における「車のボンネットの中身」という素人知識が、18世紀の天才オタク王と流体力学の専門家たちの脳内に、革命的な閃きをもたらした。


 だが、理論が完成したからといって、それがすぐに目の前に出来上がるほど、現実のモノづくりは甘くはなかった。


「……ダメだ。これでは使い物にならない!」


 チュイルリー宮殿の地下、極秘の航空機格納庫の片隅。

 深夜のオイルランプの灯りの下で、ルイが血の滲むような叫び声を上げ、手にした真鍮のパイプを床に投げ捨てた。


 ガランッ、と虚しい金属音が石畳に響く。


「どうしたの、ルイ!? 昨日まであんなに図面を引いて興奮していたじゃない!」


 私が駆け寄ると、ルイは目の下に濃いドス黒い隈を作り、両手で頭を抱え込んでいた。彼の足元には、ひしゃげたり、破裂したり、あるいは繋ぎ目から水が漏れ出している無数の金属パイプの残骸が散乱している。


「理論は完璧なんだ、アントワネット。蒸気を一瞬で水に戻すには、極細の銅管を数百本、それも網の目のように束ねて『表面積を極大化』させる必要がある。……だが、それを実現するための『加工技術』が、今のこの工場には存在しないんだ!」


 ルイが震える指で、失敗作のパイプを指差した。


「高圧の蒸気が通るんだ。極細の管の厚みが1ミリでも不均一になれば、そこから破裂する。さらに、その数百本の細い管を、一つの太いパイプに寸分の隙間もなく溶接して繋ぎ合わせなければならない。……僕の集めた腕利きの鍛冶屋や配管工たちでも、ハンマーとヤスリではこの『ミクロン単位の精密作業』は不可能なんだ!」


 金属の太い塊を削り出す大雑把な工業技術はあっても、髪の毛のように細く、かつ高圧に耐えうる緻密な金属パーツを何百と量産し、水漏れ一つなく組み上げる技術がない。


「動力部だけではありません、王妃殿下」


 隣で、モンゴルフィエ兄弟の兄、ジョゼフ=ミシェルが、分厚いパラゴム・シルクの生地を握りしめながら絶望的な顔を上げた。


「全長五十メートルに及ぶ巨大な気嚢きのうの縫製。……これも、現在の労働者たちのミシン掛けでは限界があります。何万針という縫い目の一つ一つから、わずかながらガスと熱気が漏れ出してしまうのです。空中の強風による絶大な張力がかかれば、縫い目から布が引き裂かれ、空中で空中分解する危険性が極めて高い……!」


 ラジエーターを作るための「極小の金属加工技術」。

 巨大な気嚢を絶対に破れず、漏れないように縫い合わせる「究極の縫製技術」。


 イギリス海軍の頭上から「飯テロ空爆」を行うという前代未聞の作戦は、大空へ飛び立つ前に、18世紀の『製造技術の壁』に激突し、頓挫しようとしていた。


「……マリー。タイムリミットです」


 ナポレオンが懐中時計をカチリと閉じて冷徹に告げた。


「イギリス艦隊の封鎖により、国内の備蓄は限界を迎えています。一ヶ月以内にこの飛行船を完成させ、ドーバー海峡を越えて敵の士気を崩壊させなければ……フランスは干上がり、暴動が起きてすべてが終わります。……ですが、この精度を要求されるパーツを、現在の労働者のスキルで一ヶ月で仕上げるのは、物理的・数学的に不可能です」


 冷たい現実。

 ルイの目からは光が失われ、モンゴルフィエ兄弟も膝から崩れ落ちた。


 だが、私は深く被っていた白いサウナハットのツバをクイッと上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「……諦めるのは早いわ、三人とも。あなたたちは重大なことを見落としているのよ」


「見落としている……?」


「ええ。確かに、大砲や鉄骨を作る『工業職人』には、そんな繊細な作業は無理かもしれない。でもね、このパリには、顕微鏡のような精度で金属を扱い、人間の身体を締め上げるほどの強靭な布を縫い上げる『魔法使い』たちが、昔から山ほどいるじゃないの!」


 私が言い放つと、ルイがハッと息を呑んだ。


「ま、まさか……アントワネット、君は……!」


「そうよ! かつて私が『無駄な贅沢は敵よ!』と冷遇して仕事を奪ってしまった、パリが世界に誇る最強の職人たち……『高級宝飾・時計職人』と、『オートクチュールのコルセット職人』たちよ!!」


 ――数時間後。

 チュイルリー宮殿の大広間に、パリ中から集められた数百人の職人たちが、不安と困惑の入り混じった顔で整列していた。


 彼らはかつて、王侯貴族のために何千万リーブルという宝石を加工し、息が止まるほど美しいドレスやコルセットを仕立てていた、正真正銘のトップ・クリエイターたちである。

 しかし、私の「質素倹約&サロペット大流行」の煽りを受け、さらにイギリスの海上封鎖で高級素材の輸入が止まったことで、彼らは完全に仕事を失い、その神業を持て余して路頭に迷いかけていたのだ。


「皆様、急な呼び出しに応じてくれて感謝しますわ!」


 私がバルコニーに立ち、メガホンを構えると、職人たちからはヒソヒソと恨み言のような囁きが聞こえてきた。


「王妃様だ……。我々の仕事を奪った張本人が、今更何の用だ」

「どうせまた、泥臭い芋の収穫でも手伝えと言うのだろう。我々の繊細な指を泥で汚してたまるか」


 彼らの冷ややかな視線を浴びながら、私はメガホンを握る手に力を込めた。


「あなたたちが私を恨んでいるのは知っているわ! 私が贅沢を禁じたせいで、あなたたちが何十年も磨き上げてきた最高の技術が、日の目を見なくなってしまったのだから!……本当にごめんなさい!!」


 私は、メガホンを置き、何百人もの平民の職人たちに向かって、深く、深く頭を下げた。

 一国の王妃が、平民に向かって謝罪の頭を下げる。そのあり得ない光景に、広間は水を打ったように静まり返った。


「でもね、聞いてちょうだい! 今、フランスはイギリスの封鎖で飢え死にする寸前なの。これを打破するためには、私たちが作っている『空飛ぶ船』を完成させるしかない! ……そして、その船の心臓部を作るには、あなたたちの持つ『極小の金属を扱う神の指先』と、『絶対に破れない布を縫い上げる魔法の針』が必要不可欠なのよ!!」


 私は顔を上げ、彼らの目を真っ直ぐに見据えた。


「あなたたちの技術は、ただ貴族の見栄を飾るためのものじゃない! 数十万のフランス国民の命を救い、歴史を覆すための『最強の武器』なのよ!! どうか、もう一度そのプライドと技術を、フランスのために貸してちょうだい!!」


 静寂。

 誰もが言葉を失う中、一人の初老の男が一歩前に出た。

 パリのヴァンドーム広場に店を構える、最高峰の時計・宝飾ギルドの長である。


「……王妃様。我々は、歯車を作るために腕を磨いたわけではありません。我々が作るのは、美しく、正確で、芸術的な代物だけです」


 老職人が静かに告げると、その後ろから、ローズ・ベルタンに連れられた、パリ随一のコルセット職人の女将が進み出た。


「アタイたちも同じさ。何十キロもの圧力で女のウエストを締め上げても、絶対に糸がほつれない完璧な縫い目。それがアタイらの誇りだ。ただの袋を縫うなんて、御免だね」


 拒絶か。

 私が唇を噛み締めたその時、彼らはニヤリと、誇り高き職人特有の不敵な笑みを浮かべた。


「……ですが」

 時計職人の長が、懐から愛用のルーペを取り出した。


「その『空飛ぶ船』の心臓とやらが、我々の作る芸術品よりも精密で、美しいというのなら。……そして、この凍えそうなパリの空に、我々の技術で一矢報いることができるというのなら。……この老いぼれの指先、限界まで酷使してご覧に入れましょう!」


「アタイらもだ! 空の強風なんざ、貴婦人たちの『もっと細く締め上げろ』っていう無茶な圧力に比べたら、そよ風みたいなもんさ! 絶対に破れない、最高の空飛ぶドレスを仕立ててやるよ!!」


「「「うおおおおおおおおっ!! やってやろうじゃねえか!!」」」


 大広間を揺るがすような、職人たちの怒号にも似た歓声が爆発した。

 失われていた彼らのプライドが、「国家の命運を懸けたオーバーテクノロジーの創造」という最高の舞台を与えられ、凄まじい熱量となって蘇ったのだ。


「……素晴らしい。これが、マリーの真の力ですか。利益や恐怖ではなく、人間の『誇り』を燃料にして組織を駆動させる。……これほどのモチベーション、いかなる軍隊の規律でも生み出せませんよ」


 ナポレオンが、驚愕と感嘆の入り混じった声で呟き、猛烈な勢いで新しい生産スケジュールの再構築を始めた。


 ――その日から、チュイルリーの地下格納庫は、人類史上かつてない「異種格闘技戦」のようなモノづくりの現場へと変貌した。


「おい! 銅管の厚みが0.01ミリずれているぞ! これでは蒸気の圧力で破裂する! ルーペを貸せ、私がヤスリで極限まで調整する!」


 かつてダイヤモンドを削っていた宝飾職人たちが、片目にルーペを嵌め、息を殺して極細の銅管を削り出していく。

 彼らは、銀ロウを用いた高度な宝飾溶接技術を駆使し、数百本の銅管を一つの真鍮マニホールドに、寸分の隙間もなく、そして芸術的なまでに美しく接合していった。


「見ろアントワネット……! これが、パリの宝飾技術の結晶だ!」


 ルイが震える手で掲げたのは、ただの機械部品を超越した、まさに黄金の芸術品――『超高効率・気化熱式マイクロ・ラジエーター』だった。


「す、凄いわ……! パイプの並びが、まるで貴婦人のネックレスみたいに均等で美しい!」


 一方、気嚢の縫製エリアでは、さらに凄まじい光景が広がっていた。


「甘い! その縫い目じゃ空に上がった瞬間にテンションが逃げるよ! コルセットのボーンを縫い込む時の『ダブルステッチ』で、生地の端と端を完全に噛み合わせて縫い込むんだ!」


 コルセット職人の女将が、巨大なパラゴム・シルクの生地の上に四つん這いになりながら、猛烈な勢いで針を動かしている。


「縫い終わったら、すぐに蜜蝋と生のパラゴムを熱して、針穴という針穴に一ミリの隙間もなく擦り込むんだ! アタイらの縫った布から、空気一粒たりとも逃がすんじゃないよ!!」


 女性を拘束するための忌まわしい技術だった「コルセット」の超絶縫製スキルが、強風と内圧に耐えうる「絶対に引き裂かれない強靭な気嚢」を作り出すための最強のソリューションとして、奇跡の転用を果たしたのだ。


「……完璧です。部品の精度が上がったことで、組み立てにかかる時間が当初の計算の三分の一に短縮されています。さらに、ラジエーターの軽量化により、積載可能な保存食の量が予定の一トンから一・二トンへ増加。……これなら、いけます」


 ナポレオンがストップウォッチを片手に、興奮を隠しきれない声で報告した。


「ありがとう……! みんな、本当にありがとう!!」


 私は、油と蜜蝋にまみれて倒れ込むように眠る職人たちに、温かい特製キノコポタージュと代替肉ステーキを自ら配り歩きながら、涙を流して感謝した。


 彼らは皆、泥のように疲れ切っていたが、その顔には、かつてないほどの充実感と、「俺たちがフランスの空を創った」という強烈な誇りが満ち溢れていた。


 マリー・アントワネット、24歳。

 彼女は、自分が一度は否定した「贅沢な装飾技術」を、全く新しい「生存のためのテクノロジー」へと昇華させることに成功した。


 パリが世界に誇る美と精巧の極致が、今、イギリス海軍を蹂躙するための巨大な『空の怪物』として、ついにその全貌を現そうとしている。

 初飛行の日は、もう目の前に迫っていた。

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