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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第98話 ドーバー海峡横断計画

 私たちは、執務室の机に広げたヨーロッパ地図を前に、深刻な作戦会議を開いていた。


「イギリスの海上封鎖は相変わらず鉄壁よ。ドーバー海峡には王立海軍の戦列艦がズラリと並んでいて、海鳥一羽すら通さない構えだわ」


 私が地図の海峡部分を扇子でトントンと叩くと、アーサーが、苦々しい顔で頷いた。


「ええ。我々の『極上ポタージュと代替肉の瓶詰』をイギリス海軍の頭上からバラ撒き、彼らの胃袋を降伏させるという『飯テロ空爆作戦』……。理にかなってはいますが、問題はどうやってそれを運ぶかです」


「万博で使った『スカイ・ゴンドラ』を放てばいいじゃない」


「ダメです、マリー」

 ナポレオンが、すかさず冷徹なツッコミを入れた。


「気球は風任せです。パリからドーバー海峡までは直線距離でおよそ三百キロ。さらに海峡自体が三十四キロあります。都合よくイギリス艦隊の頭上へ向かう風が吹く確率など、天文学的な数字ですよ。もし風向きが変われば、貴重な食糧ごと大西洋の藻屑か、プロイセン領内へ不時着して敵に塩を送ることになります」


「じゃあ、風に逆らって、私たちの意思で『操縦』できる気球を作ればいいのよ!」


 私が言い放つと、ナポレオンもアーサーも「そんな馬鹿な」と呆れ顔になった。


 だが、部屋の奥で図面と格闘していたルイだけは違った。


「……操縦できる気球。自らの推進力で大空を泳ぐ、空の船……『飛行船エアシップ』か!」


 ルイはガタッと立ち上がり、目を血走らせた。


「アントワネット、それはまさに物理と流体力学の究極のロマンだ! 実は僕も、万博の気球を設計した時から『風に流されるだけの欠点』をどう克服するか、ずっと考えていたんだ。……ただ、僕一人では気球の『気嚢』の巨大な浮力計算と縫製技術に限界がある。専門家の力が必要だ」


「専門家って、心当たりがあるの?」


「ああ! リヨン近郊に、とんでもない発想力を持った製紙業の兄弟がいるんだ。彼らを至急、チュイルリー宮殿に招聘しょうへいしよう!」


 数日後。

 王室からの緊急の呼び出しを受け、怯えきった様子でチュイルリー宮殿にやってきたのは、ジョゼフ=ミシェルとジャック=エティエンヌの『モンゴルフィエ兄弟』だった。


 史実において、世界初の熱気球の有人飛行を成功させる天才発明家兄弟である。


「お、お初にお目にかかります、国王陛下、王妃殿下……! 地方のしがない紙すき職人である我々に、一体どのようなご用命で……」


 震えるエティエンヌの前に、ルイは満面のドヤ顔で一枚の巨大な設計図を広げた。


「君たちの論文は読んでいるよ、モンゴルフィエ兄弟! 煙の力……いや、温められた空気が持つ『浮力』を利用して空を飛ぶ実験をしているそうだね! その情熱と技術を見込んで、君たちに国家の最高機密プロジェクトを任せたい!」


「空を……! 我々の実験を、ご存知だったのですか!」


「ああ! だが、ただ丸い袋で浮かぶだけじゃダメだ。僕が求めているのは、進行方向の空気抵抗を極限まで減らすための『流線型』の巨大な気嚢だ! さらにその後部に、アルキメデスの螺旋らせんを応用した巨大な『木製のプロペラ』を装着し、蒸気機関で回転させる!」


 ルイの口から飛び出した「プロペラ」と「蒸気機関の搭載」というオーバースペックな構想に、モンゴルフィエ兄弟は目玉が飛び出そうになるほど驚愕した。


「な、ななな……気球に蒸気機関を乗せる!? 陛下、それは不可能です! 鉄の塊と石炭を積めば、熱気球の浮力など相殺されて地面に墜落します!」


「しかも『流線型』の気嚢となると、内部の圧力が不均一になり、上空の風圧で布が引き裂かれてしまいますぞ!」


 専門家からのもっともな全否定。

 だが、ここで私が扇子をパチンと鳴らして割って入った。


「布が裂けるなら、絶対に裂けない、そして空気を一ミリも逃さない最強の素材を使えばいいのよ!」


「最強の素材……とは?」


「『パラゴム』よ! 万博で余っている最高級のシルク生地を何枚も重ね合わせ、その隙間と表面に、南米産のパラゴムの樹液を何層にも渡って熱圧着してコーティングするの! 伸縮性と気密性を兼ね備えた、破れない『特殊ゴム引きシルク』よ!」


 当時の気球は、紙や麻布を裏打ちしただけのもので、気密性が低く、常に火を焚いて熱気を送り続けなければならなかった。だが、ゴム引きの布なら内部の気体を閉じ込めることができる。


「ゴムとシルクの融合……! そ、それならば、理論上は驚異的な気密性が確保できます……! しかし、ゴムの重量が……」


「そこは、気嚢の容積を倍増させることでカバーするんだ!」

 ルイが熱弁を振るう。


「全長五十メートル、直径十五メートルの巨大な飛空艇! 下部のゴンドラは、強靭で軽い『竹』と藤ヅルを編み込んで作り、重量を極限まで削ぎ落とす! そして、石炭の熱で温めた空気を気嚢へ送り込みつつ、その蒸気でプロペラを回して推進力を得る。……熱力学のハイブリッドだ!」


 モンゴルフィエ兄弟の職人魂に、火がついた。


「全長五十メートル……! そんなバケモノのような船が、空を……!?」


「ああっ、もしそれが実現すれば、我々は神の領域に到達できる!」


「やりましょう、陛下! 製紙業で培った立体裁断の技術のすべてを懸けて、完璧な流線型の気嚢を縫い上げてみせます!」


 そこへ、ナポレオンが冷水を浴びせるように条件を提示した。


「感動しているところ申し訳ありませんが、目標地点はドーバー海峡を越えたイギリス海軍の旗艦上空。……つまり、片道約三百キロを飛行し、さらに『一トンの瓶詰保存食とカタログ』を積載した状態で、ロイヤル・ネイビーの大砲の射程外である『高度二百メートル』を維持する必要があります」


「い、一トン!? それほどの重量を積んで、海峡の強風を突破するだと……!?」


「できなければ、フランスは飢えて終わりますよ、兄弟。……納期は一ヶ月。予算は無制限です。直ちに作業にかかってください」


 かくして、18世紀のフランスにおいて、本来なら百年先の未来にしか存在しないはずの「巨大飛行船エアシップ」の極秘建造プロジェクトが、ついにその産声を上げたのである。


 チュイルリー宮殿の奥深くに広がる庭園。

 そこは今、巨大な天幕で覆い隠され、外部からは一切の視界を遮断された『極秘の航空機格納庫』と化していた。


「カトリーヌ! そっちの縫製ライン、ゴムのコーティングにムラがあるわよ! ミシンの速度を一定に保って、絶対に針穴から空気が漏れないように蜜蝋をすり込んで!」


「任せな王妃様! アタイら市場の女の腕力とミシン捌きを舐めちゃいけないよ!」


 天幕の中では、何百人というパリの女性労働者たちが、ルイが発明した「足踏み&手回しハイブリッド・ミシン」を猛烈な勢いで踏み鳴らし、巨大なシルク生地を縫い合わせていた。


 パラゴムの強烈な匂いと、蒸し暑い天幕の中。

 しかし、彼女たちの士気は異常なほど高かった。


「さあ、休憩よ! 汗をかいたらしっかり水分と塩分、そしてタンパク質を補給するのよ! 今日のまかないは、疲労回復に効くビタミンたっぷりの『レモンとハーブの冷製豚しゃぶサラダ』よ!」


 私が大鍋を叩いて号令をかけると、女たちが歓声を上げて集まってくる。


「うおおおっ! 王妃様の酸っぱいサラダ、最高に体に染みるぜ!」


「仕事終わりのサウナとこの飯があるから、肩こりもミシンの疲れも一晩で吹っ飛ぶってもんだ!」


 一方、格納庫の反対側では、ルイとモンゴルフィエ兄弟、そして腕利きの木工職人たちが、飛行船の『骨格』と『動力部』の製作に悪戦苦闘していた。


「ダメだ、兄さん! この竹の骨組みでは、蒸気機関の振動に耐えきれずにゴンドラが空中分解してしまう!」


 エティエンヌが、図面を握りしめながら叫んだ。


「なら、接合部にパラゴムのショックアブソーバーを噛ませるんだ! 衝撃を吸収しつつ、軽量化を維持するんだ!」

 ルイが油まみれになって指示を飛ばす。


 彼らが作ろうとしているのは、全長五十メートルに及ぶ葉巻型の気嚢を支えるためのネットと、その下に吊るされるゴンドラである。


 ゴンドラには、軽量化のために極限まで肉抜きされた真鍮製の『高圧小型蒸気機関』と、後方に突き出した帆布張りの『巨大な木製スクリュープロペラ』が備え付けられている。


「陛下! プロペラのねじれ具合はこの角度でよろしいか!? これ以上角度をつけると、蒸気機関のトルクが負けて回転数が落ちます!」


「風洞実験のデータ通りだ、そのまま削り出せ! 前進するための推進力は、このプロペラが空気をどれだけ効率よく掻き出せるかにかかっている!」


 オタク王の頭脳と、モンゴルフィエ兄弟の流体力学の知識が融合し、機体は恐るべきスピードで形になりつつあった。


「まーま! ぱーぱ! ぶーん!」


 そんな殺気立った現場に、ただ一人、癒しの風を吹かせる存在がいた。

 ジョゼフである。


 彼はマイ・スパナを手に、木製の端材で作ったプロペラのおもちゃを振り回しながら、「ぶーん!」と飛行船の真似をしてトコトコと走り回っている。


「おっと殿下、危ないですよ! 接着用のニカワがまだ乾いておりませんからね!」


 職人たちが、ジョゼフの笑顔にデレデレになりながらも作業を続けている。彼らの疲労を癒す最大のカンフル剤は、間違いなくこの小さな王太子の存在だった。


「順調ね、ルイ。これなら、あと二週間で初飛行のテストができそうだわ」


 私が冷たいハーブティーをルイに手渡すと、彼は一気に飲み干して、しかし重々しい表情で天を仰いだ。


「……アントワネット。機体の構造とプロペラの推進力は、理論上完璧だ。気密性も君のパラゴム・シルクのおかげで申し分ない。……だが、どうしても越えられない『物理法則の壁』が、僕たちの前に立ち塞がっているんだ」


「壁……?」


「ああ。……『重量』だ」


 ルイは、手元にある緻密な計算式がびっしりと書き込まれた黒板を指差した。


「気球を浮かせるための熱気。そしてプロペラを回すための蒸気機関。その両方を動かすためには、大量の『石炭』と『水』が必要になる。……しかし、その石炭と水の重量が、あまりにも重すぎるんだ」


 ルイの顔には、かつてないほどの濃い絶望の影が落ちていた。


「重すぎるって……計算上、どれくらいオーバーしているの?」


 深夜の執務室。

 ランプの灯りの下で、私とルイ、ナポレオン、そしてモンゴルフィエ兄弟が、頭を抱えて重苦しい会議を開いていた。


「……ドーバー海峡を越え、イギリス艦隊の上空まで往復するとなると、最低でも六時間分の燃料が必要です。それに必要な石炭と水の総重量は、およそ『五トン』……」


 エティエンヌが、震える声で数字を口にした。


「さらに、ナポレオン殿下の要求である『一トンの瓶詰保存食』を積載し、ゴンドラと蒸気機関本体の重量を合わせると……総重量は『八トン』に達します」


「は、八トン!?」


 私は思わず大声を上げた。


「八トンの物体を高度五百メートルまで持ち上げるには、現在の全長五十メートルの気嚢では全く浮力が足りません。……計算上、気嚢の容積を今の『三倍』に巨大化させる必要があります」


「じゃあ、三倍の大きさの気球を縫い合わせればいいじゃない! 布ならいくらでもあるわよ!」


 私が即座に提案すると、ルイが苦虫を噛み潰したような顔で首を振った。


「ダメなんだ、アントワネット。気嚢を三倍の巨大なバケモノサイズにしてしまえば、今度は『空気抵抗』がとんでもないことになる。……蒸気機関でプロペラを回しても、海峡の強い向かい風に押し戻されて、一歩も前に進めなくなってしまう」


「つまり……」


 ナポレオンが、冷徹な声で結論をまとめた。


「浮力を得るために気球をデカくすれば、空気抵抗で進めない。進むために気球を小さくすれば、燃料の重さで墜落する。……完全なる矛盾。物理法則のデッドロックです」


 沈黙が落ちた。

 八トンという絶望的な重量。その大部分を占めているのは、皮肉なことに、空を飛ぶための動力源である「石炭」と、蒸気を作るための「水」なのだ。


「……蒸気機関のシリンダーの金属を、もっと薄くして軽量化できないの?」


 私が絞り出すように問うと、ルイは力なく首を振った。


「これ以上薄くすれば、高圧の蒸気に耐えきれずに空中でボイラーが破裂する。僕たちも一緒に木っ端微塵だ」


「なら、積載する『瓶詰』の量を減らせば……」


「それも却下です」

 ナポレオンが即座に否定した。


「イギリス海軍の度肝を抜き、彼らの士気を一撃で崩壊させるには、『圧倒的な物量での空爆』でなければ意味がない。パラパラと数個の瓶詰を落としたところで、海に落ちて終わりです。……最低でも一トンの『美味の雨』を降らせなければ、作戦のインパクトは失われます」


(……くっ、一トンはどうしても譲れないのね!)


 燃料を減らせば海峡の途中で海に落ちる。

 気球をデカくすれば風に負けて進まない。


 解決策はただ一つ。

 『石炭と水』の重量を、物理的に軽くするしかない。だが、そんな魔法のようなことがあるはずが……。


「……水……。蒸気……」


 私は、テーブルに置かれた冷めたハーブティーを見つめながら、ブツブツと呟いた。


 お湯を沸かして蒸気を作り、その圧力でピストンを動かすのが蒸気機関。

 でも、一度蒸気になった水は、空中に「シュポォォッ」と捨てられてしまうから、常に新しい水を大量にタンクに積んでおかなければならない。


 ……捨てる?


(待って。前世の歴史の授業か何かで、蒸気機関車が長距離を走れるようになったのって……『捨てていた蒸気』を、どうにか再利用できるようになったからじゃなかったっけ?)


 私はガタッと立ち上がり、ルイの腕を掴んだ。


「ルイ! 蒸気機関って、ピストンを押し終わった後の『熱い蒸気』はどうしてるの!?」


「え? そのまま空中に排出しているよ。シュッシュッという音は、その排気の音だ」


「それよ!! その蒸気、捨てないで『水』に戻して、もう一度ボイラーで沸かして再利用すればいいじゃない!!」


「……蒸気を、水に戻す?」


「そう! 蒸気を冷やして結露させれば、また水に戻るでしょう!? そうすれば、最初に積んでおく水の量は『十分の一』以下で済むはずよ!!」


 現代における『復水器コンデンサー』の概念である。


 私の言葉に、ルイとモンゴルフィエ兄弟は雷に打たれたように固まった。


「……蒸気を冷やして、水に戻す……循環させる……!」


 ルイの瞳孔が、極限まで見開かれた。


「できる! 排気管を長く伸ばし、上空の氷点下の冷たい風に当てて急冷させれば……蒸気は一瞬で水滴に戻り、再びボイラーのタンクへと還還する! これなら、水の積載量は劇的に減らせる!!」


「水が減れば、それを沸かすための石炭の量も減る! 総重量は五トンから、一・五トンまで削り落とせるぞ!!」


 エティエンヌも歓喜の叫びを上げた。


「それだけじゃないわ!」

 私はさらに、前世のアウトドア知識をフル稼働させた。


「石炭そのものも、重くて嵩張るわよね! なら、石炭を粉々に砕いて、可燃性の高いラードや植物油の廃油と混ぜ合わせて、ギュッと圧縮した『固形燃料』を作るのよ! 燃焼効率が上がれば、燃料の重さはさらに半分になるわ!」


「おおおおおっ!!!」


 執務室に、男たちの野太い歓声が響き渡った。


「天才だ、アントワネット!! 君のその『もったいない精神』と『料理の知恵』が、流体力学の壁をぶち破ったんだ!!」


「早速、復水器の冷却パイプの図面を引くぞ! 兄弟、気嚢のサイズは現在の流線型を維持してくれ!!」


 絶望の壁は、私の「エコな節約術」と「アウトドア知識」によって、見事に粉砕された。


 マリー・アントワネット、24歳。

 彼女は、航空力学の歴史を数十年早める『完全循環式・高圧蒸気機関』のヒントを無意識に投げ与え、いよいよイギリス海軍を震撼させる「空飛ぶ悪魔の船」の完成に向けて、最後のピースをガッチリと嵌め込んだのである。

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