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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第97話 保存食レボリューション

 ある日の深夜、重厚なマホガニーの扉が閉ざされた執務室には、ただならぬ緊迫感が漂っていた。


「……マリー、陛下。生産ラインの歩留まりと労働者の士気は完璧です。地下キノコ農場と温室の収穫量も申し分ない。ですが、我々は極めて致命的な『壁』に直ちに向き合わねばなりません」


 ナポレオン・ボナパルトが、暖炉の火に照らされながら冷徹な声を響かせた。


「致命的な壁? 材料の国内調達ルートは確立したはずよ。これ以上、何が足りないっていうの?」


 私が怪訝な顔で尋ねると、ナポレオンは机の上に一つの『代替肉ステーキ』と『マッシュルームのポタージュ』が入った器をドンッと置いた。


「『時間』です」


 ナポレオンは、冷めかけたスープを指差した。


「これらの食事は確かに美味く、労働者の士気を高めている。しかし、これらは『調理したその日』に消費しなければならない。……マリー。もし我々が、封鎖を突破して遠方の同盟国へ物資を運ぶとしたら? あるいは、国境線で睨み合っている国民衛兵たちに、この士気を維持するための『温かい美味い飯』を届けるとしたら?」


「それは……」


 私は言葉に詰まった。

 当時は冷蔵庫もなければ、防腐剤もない。食材を長持ちさせる手段といえば、カチカチになるまで塩漬けにするか、カラカラに乾燥させるか、煙で燻すかしかない。


「干し芋なら日持ちするわよ?」


「干し芋だけでは、激しい労働や戦闘のストレスは癒せません。人間は、スープの旨味と肉の脂を渇望する生き物です。……私は、前世でそれを嫌というほど思い知らされた」


 ナポレオンの瞳の奥に、かつてないほど暗く、深い絶望の色がよぎった。

 それは、少年の目ではなく、かつて全ヨーロッパを支配し、そして極寒のロシアの大地で数十万の兵を飢えと寒さで失った「悲劇の皇帝」としての、消えることのないトラウマだった。


「……塩漬けの腐りかけた肉と、石のように硬いビスケット。ビタミン不足で歯茎から血を流し、バタバタと倒れていく兵士たち。どんなに優れた戦術も、どんなに高い士気も、『兵站』――つまり『まともな食糧の持続的な供給』が崩壊した瞬間、軍隊はただの烏合の衆へと成り下がる」


 彼はギリッと奥歯を噛み締め、自らの小さな手を強く握り込んだ。


「私はあの地獄を二度と繰り返したくない。イギリスの海上封鎖を突破し、我々の『美味と健康』を長期間、無傷のまま遠方へ届ける技術が絶対に必要です。……陛下、マリー。お二人の力で『何ヶ月経っても腐らず、開ければ作りたての味がする保存食』を作れませんか」


 何ヶ月も腐らない、作りたての味。

 現代の私たちなら、誰もが知っているあの技術だ。


(……『缶詰』! あるいは『レトルトパウチ』や『瓶詰』!)


 史実において、軍用保存食の開発に懸賞金をかけ、ニコラ・アペールという職人に「瓶詰」を発明させたのは、他ならぬナポレオン自身である。彼は今、前世の後悔から、その技術の前倒しを私たちに要求しているのだ。


「……理屈は分かるわ。容器の中に食品を入れて、熱湯でグツグツと煮沸して中の空気を抜き、密閉すれば、腐敗の原因となる『目に見えない菌』を殺して真空状態を作れる。そうすれば、理論上は何ヶ月でも腐らないはずよ」


 私が現代の「殺菌と真空保存」の概念を口にすると、それまで黙って聞いていたルイが、ガタッと椅子から立ち上がった。


「真空密閉……。熱で空気を膨張させて追い出し、外の空気を一切入れない構造。……なんてことだ、アントワネット! それは『気圧』と『熱力学』の究極の応用じゃないか!!」


 ルイのオタクセンサーが、限界突破の音を立てて起動した。


「問題は容器だ! 鉄やブリキでは、現在のプレス技術ではどうしても微細な隙間ができてしまうし、錆の味が食品に移る。ならば……『ガラス瓶』だ! 分厚く耐熱性の高いガラス瓶なら、煮沸にも耐えられるし、中身が腐っていないか一目で確認できる!」


「でもルイ、ガラス瓶の蓋はどうするの? ただのコルク栓じゃ、時間が経てば空気が入ってきちゃうわよ」


 私が指摘すると、ルイは不敵な笑みを浮かべ、作業台の上にあった分厚いスケッチブックを開いて羽ペンを走らせ始めた。


「フフフ、甘いなアントワネット。コルクの弱点は『乾燥による収縮』だ。だから、瓶の口とコルクの間に、僕がスニーカーの底材で作った『パラゴムの極薄パッキン』を噛ませるんだ! さらにその上から、高温で溶かした蜜蝋を分厚くコーティングして、微小な隙間すら完全に塞ぐ!」


 ルイのペンが止まらない。


「それだけじゃないぞ! 煮沸中に中の空気が抜ける『一方通行の逃げ道』を作りつつ、冷える時には外気を絶対に入れないようにするため、真鍮製の『特殊スプリング・クリップ』で蓋を強固に上から押さえつける構造にするんだ! これなら、瓶の中が冷えて気圧が下がった瞬間、蓋が強烈な力で吸い付いて、完全な『真空密閉ボトル』が完成する!!」


「素晴らしいわ、ルイ!! 容器の設計は完璧よ! なら、中に入れる『至高のメニュー』は私が考えるわ!」


 私は腕をまくり上げ、即座に厨房へと駆け出した。


 ただカロリーを詰め込めばいいわけではない。

 長期間の航海や厳しい防衛戦に耐えうる「栄養素」と、心が折れそうな時に一口食べただけで脳内に幸福感が爆発する「圧倒的な旨味」


「料理長! まずは地下農場のマッシュルームを極限までペースト状にして、豆乳と合わせた『超濃厚キノコ・ポタージュ』よ! これにはタマネギの甘みをこれでもかと追加して!」


 厨房に集められた料理人たちが、私の指示で次々と鍋を火にかける。


「次はタンパク質よ! 小麦グルテンで作った『代替肉セイタン』のブロックを、一度高温のラードで表面をカリッと揚げ焼きにして旨味を閉じ込めるの! それを、赤ワインとトマト、そしてジャガイモのデンプンでとろみをつけた特製デミグラスソースで、ホロホロになるまで煮込むのよ! 名付けて『代替肉の王道・ブルゴーニュ風コンフィ』!!」


 厨房中が、ワインの芳醇な香りと、キノコと代替肉の暴力的な旨味の匂いに包まれる。


「そして最後は、兵士たちのビタミンC不足を防ぐための『デザート』よ! ベルサイユ温室で採れたレモンとリンゴを、ハチミツと一緒にトロトロのコンポートにするの! 疲れた体に染み渡る、究極のリカバリー・スイーツよ!」


 数時間後。

 ルイがガラス工房の職人たちを叩き起こして作らせた、分厚い特注ガラス瓶が数十本、厨房に並べられた。


「さあ、出来立てのアツアツのうちに、瓶の八分目まで詰めるのよ! そしてパラゴムのパッキンを乗せ、コルクを打ち込み、真鍮クリップでガッチリと固定して!!」


 中身が詰められたガラス瓶が、グツグツと煮えたぎる巨大な大釜の熱湯の中に、次々と沈められていく。


「煮沸時間は厳密に測るんだ! ナポレオン君、ストップウォッチを!」


「了解しています、陛下。……現在、湯温100度を維持。煮沸殺菌、開始から四十分経過……」


 私たち三人は、大釜の前で息を殺して時計の針を見つめていた。

 瓶が熱で割れてしまわないか。パラゴムのパッキンが溶け出してしまわないか。


「……時間です! 引き上げろ!!」


 ナポレオンの鋭い号令とともに、革手袋をした労働者たちが、熱湯の中からガラス瓶を次々と引き上げていく。


 そして、それらが冷たい空気の中でゆっくりと常温に戻っていく過程で――。


 ポンッ。ポコンッ。


 かすかな、けれど確かな音が、次々と厨房に響き始めた。


「……鳴った! 蓋が吸い込まれた音だ!」

 ルイが歓喜の声を上げた。


「内部の蒸気が冷えて収縮し、気圧が急激に下がった証拠だ! パラゴムのパッキンが瓶の口に密着し、真鍮クリップがそれを完璧にホールドしている! これで内部は完全な『真空状態』だ!!」


 ルイは興奮のあまり、熱い瓶を一つ手に取り、逆さまに振ってみせた。

 中身の濃厚なシチューは全く漏れず、蓋はピクリとも動かない。


「やった……! やったわね、ルイ! これで『ベルサイユ式・真空密閉保存食』の完成よ!」


 だが、真の成果を証明するためには「時間」が必要だった。


 それから三週間。

 私たちは、完成した瓶詰めをあえて常温の、しかも湿気の多い地下室の片隅に放置した。塩漬けの肉ならとっくに表面が変色し、普通のスープなら腐敗して悪臭を放つ過酷な環境である。


 そして運命の試食日。

 チュイルリー宮殿の広場に、カトリーヌをはじめとする労働者たちや、護衛の国民衛兵たちを集めた。


「さあ、開けてみるわよ。……アーサー、お願い」


 私が緊張の面持ちで頷くと、アーサーが真鍮のクリップを外し、専用の金具でコルクの隙間に空気を送り込んだ。


 プシュッ!!!


 小気味良い音とともに、外の空気が一気に瓶の中へと吸い込まれた。

 その瞬間――広場にいた全員の鼻腔を、強烈な香りが突き抜けた。


「な、なんだこの匂いは……!?」

「三週間も放置されていたのに、まるでたった今、厨房から鍋ごと運ばれてきたような……赤ワインと肉の、とんでもなく美味そうな匂いがするぞ!!」


 カトリーヌの目が点になっている。


「さあ、食べてみて!」


 私が瓶の中身を皿に移し替えると、カトリーヌは恐る恐るスプーンを口に運んだ。


「……ッ!!!」


 彼女は目を見開き、スプーンを持ったままワナワナと震え出した。


「う、美味ぇ……! なんだこれ、肉がホロホロに柔らかくて、ソースの酸味とコクが染み込んでやがる! 腐った酸っぱさなんか微塵もねぇ、極上のレストランの味そのものじゃないか!!」


 護衛の兵士たちも、たまらず次々とキノコのポタージュや林檎のコンポートを口に放り込む。


「うおおおおっ! 泣けるほど美味い! この冷えた体に、ポタージュの旨味が爆弾みたいに染み渡るぞ!」


「甘い……! 林檎のコンポートが、長期間熟成されたみたいにトロトロだ! これなら戦場の塹壕ざんごうで食っても、一瞬で士気がカンストするぞ!!」


 広場は、狂喜乱舞する労働者と兵士たちの歓声に包まれた。


「……成功ですね」


 ナポレオンが、瓶の残りをじっと見つめながら、かつてないほど安堵したような、深い感嘆の息を漏らした。


「これで、我々は『兵站の絶対的優位』を手に入れた。イギリスの不衛生な塩漬け肉を齧っている海軍など、我が国のこの『真空極上フレンチ』の前では、士気においてすでに敗北しています。……マリー。陛下。あなた方は、戦争の歴史そのものを塗り替えました」


 前世で兵士たちの飢えに苦しんだナポレオンの目には、微かな涙が光っているように見えた。


「ふふふ。美味しいご飯は、どんな大砲よりも強い武器になるのよ」


 私は、ジョゼフを抱っこしながら得意げに笑った。


「さあ、この『ベルサイユ瓶詰』を大量生産するわよ! フランス全軍への配備はもちろん、イギリスの海上封鎖を突破するための『最強の営業ツール』として使うの!」


「営業ツール……ですか?」


「ええ。イギリス海軍が海を塞いでいるなら、彼らの頭の上から直接、この『極上の美味と健康』を叩き込んでやるのよ! 彼らの胃袋を、物理的に降伏させるためにね!」


 私が上空を指差すと、ルイがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「なるほど。あの万博のフィナーレを飾った『スカイ・ゴンドラ』……気球の出番、というわけだね」


「でもルイ、あれはロープで地面に繋がれていたでしょう? ドーバー海峡を越えて、イギリスの艦隊の頭上まで自由に飛んでいくには、ただ風任せじゃダメよ」


「分かっているさ、アントワネット。単なる気球ではない。自らの推進力を持ち、狙った目標へ正確に飛翔する、空の覇者――『飛行船エアシップ』の建造計画だね!」


 マリー・アントワネット、24歳。

 彼女とオタク王が生み出した「究極の瓶詰保存食」は、兵站の歴史を書き換えた。


 そして次なる目標は、この極上の飯をイギリスの頭上へと届けるための、大空を制するオーバーテクノロジーの開発へと、そのまま猛烈な勢いで突き進んでいくのである。

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