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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第95話 兄ヨーゼフの密書

 チュイルリー宮殿の執務室の窓辺に、一羽の真っ白な伝書鳩が舞い降りた。

 その足に結びつけられていた極小の金属筒には、ハプスブルク家の双頭の鷲の紋章が刻印されている。


「……オーストリアからの暗号通信です」


 ナポレオンが筒から薄い羊皮紙を取り出し、素早い手つきで解読用の換字表と照らし合わせ始めた。


 対仏大同盟による破壊工作員を、労働者たちとフェルセンが撃退した翌朝のことである。


 破壊工作は防いだが、依然としてフランス国境には、プロイセンの屈強な陸軍が何万という規模で集結し、今にもなだれ込んでこようという不気味な圧力をかけ続けていた。


「解読完了しました。差出人は……新オーストリア皇帝、ヨーゼフ2世陛下。王妃様の実のお兄様です」


「お兄様から……!」

 私は息を呑み、机から身を乗り出した。


 母、マリア・テレジアの死後。広大なハプスブルク帝国を単独で統治することになった兄ヨーゼフは、非常に合理的で聡明な啓蒙専制君主として知られている。しかし同時に、ヨーロッパの勢力図において、彼がどのような立場を取るのかは未知数だった。


「読んで、ナポレオン」


「はい。……『愛する妹、マリーへ。母上の最期を看取ってくれたこと、深く感謝する。君が駆けつけてくれたおかげで、母上は極めて穏やかな顔で旅立たれた』」


 ナポレオンが淡々とした声で読み上げる手紙の冒頭に、私は目頭が熱くなるのをこらえきれなかった。


「『さて、本題に入ろう。現在、ウィーンの宮廷はイギリスとプロイセンからの猛烈な突き上げを食らっている。“健康と平等の思想をばら撒くフランスを討つため、対仏大同盟にオーストリアも加われ”と、旧弊な貴族たちが毎日のように私の耳元で騒ぎ立てているのだ』」


「……やはり。オーストリアも敵に回ってしまったら、いよいよフランスは陸の孤島よ」

 ルイが、不安げに拳を握りしめた。


「続きがあります。……『しかし、マリー。私は母上の遺言を、そして君が万博で見せつけた“未来の産業”の力を、決して軽視していない。武力で他国をねじ伏せる古い時代は、君たちが回す蒸気機関の音とともに終わりを告げたのだ』」


 ナポレオンの声が、微かに熱を帯びた。


「『よって私は、表向きはイギリスやプロイセンに同調するふりをしつつ……彼らの足元をすくう“陽動”を仕掛けることにした。マリー、君の工場が自給自足体制を確立するまでの“時間”は、この兄が稼いでやろう』」


「時間を稼ぐ……? お兄様、一体何を……」


 私が首を傾げたその時、元・英国スパイのアーサーが、血相を変えて執務室に飛び込んできた。


「王妃様! 陛下! 国境付近の監視網から、信じられない報告が入りました!」


 アーサーは、手にした報告書をバサッと広げた。


「フランスの東部国境に集結し、今にも攻め込んできそうだったプロイセン陸軍の大部隊が……突如として、全軍『きびすを返して』撤退を開始しました!

猛烈な勢いで、彼らの本国である東の方角へ引き返しています!」


「「「なんだって!?」」」


 私とルイが同時に叫んだ。

 武力で私たちをすり潰そうとしていたプロイセン軍が、戦わずして逃げ帰った?


「理由は判明しているのか!?」

 ナポレオンが鋭く問うと、アーサーは信じられないといった顔で頷いた。


「はい。……オーストリア帝国軍が、およそ十万という桁違いの兵力を動員し、プロイセンとの国境付近に大集結したのです! しかも、大砲をズラリと並べ、今にもプロイセン領内へ雪崩れ込まんばかりの超大規模な『軍事演習』を唐突に開始しました!」


「軍事演習!?」


「プロイセンの将軍たちはパニックです! フランスを攻めるために西へ軍を回している隙に、背後のオーストリアから自国の首都ベルリンを突かれるかもしれないのですから! 彼らは大慌てでフランス国境から軍を引き剥がし、ベルリンの防衛へ向かわざるを得なくなったのです!」


「……ッハハハハ!」


 その報告を聞いた瞬間、ナポレオンが、珍しく腹の底から笑い声を上げた。


「見事です、ヨーゼフ2世陛下! 実際に戦争を起こすリスクを犯さず、ただ『国境でド派手な演習をするだけ』で、敵の主力部隊を釘付けにしてしまった! 孫子も舌を巻く、完璧な『空城の計』と『陽動』の合わせ技だ!!」


「お兄様……! ありがとうございます……っ!」


 私は、胸の前で両手を組み、東の空へ向かって深く感謝の祈りを捧げた。

 オーストリアは、対仏大同盟に参加するふりをして、実は『プロイセンの背後を脅かす最強のストッパー』として機能してくれたのだ。


「……マリー。手紙には、まだ続きがあります」

 笑い収めたナポレオンが、コホンと咳払いをして羊皮紙の最後を読み上げた。


「『追伸。フランス国境の安全は確保した。……だがマリー、ウィーンの宮廷をこのまま親仏派でまとめるためには、どうしても君の力が必要だ。

君が母上に送ってくれていた“ポテト・クレイパック”と、“スチーム美顔器の専用保湿アロマ”の在庫が底をつき、オーストリアの貴婦人たちが暴動寸前なのだ。

彼女たちの支持を失えば、私も対仏強硬派の貴族たちを押さえきれなくなる。……頼む、大同盟の封鎖網をくぐり抜け、至急、追加の品を送ってくれ。これが届けば、オーストリアは確固たる同盟国となる』」


「……なるほど。あの『サブスクリプション』の禁断症状が、ウィーンの宮廷政治のキャスティングボートを握っているわけか」

 ナポレオンが、冷徹な分析を下す。


「美容への執着は、時に軍隊以上の圧力を生むわ。……でも、どうやって届けるの? 海路はイギリス、主要な陸路の街道はすべてプロイセン軍の検問が敷かれているわよ!」


 私が焦燥感を滲ませると、部屋の隅からスッと進み出た男がいた。

 スウェーデンの貴公子、ハンス・アクセル・フォン・フェルセンである。


「マリー様。街道が塞がれているのなら、誰も通らない『死のルート』を行くしかありません。……東部のジュラ山脈。猛吹雪に閉ざされた、冬の雪山越えです」


「ゆ、雪山!? 冗談でしょう、馬車なんて雪に足を取られて一歩も進めないわ! それに、あの極寒の中で検問に見つかったら……」


「だからこそ、中立国スウェーデンの外交官である私が行くのです。万が一プロイセンの哨戒部隊に遭遇しても、外交特権を盾に強行突破できる。……そして何より、あの吹雪と死の山道を越えるには、強靭な『肉体』が必要です」


 フェルセンの瞳には、かつての甘い恋心ではなく、同志としての確かな覚悟と、研ぎ澄まされた戦士の光が宿っていた。


「フェルセン君。雪山の走破なら、僕に任せてくれ」

ルイが、真剣な眼差しで一枚の設計図を広げた。


「馬車の車輪を外し、代わりに『鋼鉄製のソリ』を装着する。さらに、車体には密閉性の高いパラゴムとウールで徹底的な防寒処理を施し、雪の斜面の衝撃を和らげる特殊サスペンションを組み込む。……名付けて、『ステルス雪上馬車・アルパイン仕様』だ!」


「素晴らしい……! それなら、あの険しい山道でも物資を無傷で運べます!」


 数時間後。

 チュイルリー宮殿の裏口に、漆黒に塗られた防寒仕様の雪上馬車が用意された。

中には、オーストリアの政治を左右する百樽の美容パックが厳重に積み込まれている。


「フェルセン……。本当に気をつけて。少しでも命の危険を感じたら、荷物を捨てて逃げていいのよ」

 私が震える声で手を握ると、フェルセンは分厚い革手袋越しに力強く握り返してくれた。


「ご心配なく、マリー様。私のこの大胸筋と広背筋は、極寒の雪山でこそ真価を発揮するのです。……必ず、皇帝陛下のもとへ届けてみせます!」


 夜の闇の中、フェルセンの駆る黒い雪上馬車は、音もなくパリを出発した。


 数日後。フランスと神聖ローマ帝国を隔てる、極寒のジュラ山脈。

 猛吹雪が視界を白く染め上げる中、フェルセンは凍りつく手綱を握りしめ、前へ前へと馬を進めていた。


「ハァッ……ハァッ……! 馬たちが限界に近い……!」


 気温は氷点下十度を下回り、吹き付けるブリザードが体温を容赦なく奪っていく。ルイの設計したサスペンションのおかげで荷物は無事だが、深い雪だまりが行く手を阻む。


『止まれ!! 何者だ!!』


 不意に、猛吹雪の中から数人のプロイセン山岳猟兵が姿を現した。こんな死のルートにまで哨戒線を張っていたのだ。


「チィッ……!」

 フェルセンは手綱を引き、馬上からスウェーデンの外交旅券を掲げた。

「スウェーデン王室の特使である! オーストリアへの外交荷物を運搬中だ、道を空けろ!」


「スウェーデンだと……? 怪しいな、中身を検めさせてもらう!」

 兵士たちが銃を構え、馬車の扉へ手をかけようとする。ここで中身がフランス製の美容品だとバレれば、スパイとしてその場で射殺されかねない。


(……突破するしかない!)


 フェルセンは覚悟を決め、馬に鞭を入れようとした。

 だがその瞬間、突風とともに斜面の上から『雪崩』のような巨大な雪の塊が崩れ落ちてきた。


「うわぁぁぁっ!?」

 プロイセン兵たちが雪に巻き込まれて悲鳴を上げる。

 だが、フェルセンの馬車もまた、崩れた雪に後輪のソリを深く埋められ、立ち往生してしまった。


「動け……! 動けッ!!」


 馬がいななき、必死に引くが、数十キロの雪だまりに阻まれた馬車はビクともしない。

 このままでは、雪崩から這い出してきたプロイセン兵に包囲されるか、凍死するかの二択だ。


(……ここまで来て、マリー様の想いを雪に埋もれさせるわけにはいかない!!)


 フェルセンは御者台から飛び降り、猛吹雪が吹き荒れる中、馬車の後部へと回った。

 彼は分厚い防寒コートを脱ぎ捨て、極寒の空気の中に、サウナで鍛え上げられた彫刻のような筋肉を晒した。


「ぬおおおおおおおおおっ!!!」


 フェルセンは、雪に埋もれた馬車の後部に両手をかけ、脚の筋肉を限界まで収縮させた。

 氷点下の冷気が彼の肌を刺すが、体内から湧き上がる尋常ではない熱量が、周囲の雪を溶かして白い湯気を立ち昇らせる。


「私の……! インナーマッスルは……!!」


 ミシミシッ……!

 数十トンの雪の重みに逆らい、鋼鉄の馬車が、フェルセンの尋常ならざる『腕力』と『大腿四頭筋』の力によって、少しずつ、少しずつ持ち上がっていく。


「フランスの未来を切り開くための……希望の熱だァァァァァッ!!」


 ドガァァァァァンッ!!!


 フェルセンの凄絶な咆哮とともに、雪だまりが爆発するように吹き飛び、馬車が見事に雪の呪縛から抜け出した。


「な、なんだあのバケモノは……! 雪崩を、素手で……!?」

 雪から這い出してきたプロイセン兵たちが、信じられないものを見る目で後ずさる。湯気を立てる半裸の大男の姿は、彼らの目に『雪山の悪鬼』にしか見えなかっただろう。


「さあ、行けェェッ!!」


 フェルセンはそのまま馬車の後部を力任せに押し出し、馬たちが再び雪原を駆け出していく。彼は間一髪で御者台に飛び乗り、プロイセンの追手を振り切ったのだった。


 その数日後。

 ウィーンのホーフブルク宮殿の広間に、凍りついたヒゲとボロボロの服をまとったフェルセンが、百樽の美容パックとともに到着した。


「……信じられん。あの猛吹雪のジュラ山脈を、たった一両の馬車で突破してきたというのか」


 驚愕するヨーゼフ2世の前に、フェルセンは深く頭を下げた。


「フランス王妃、マリー・アントワネット様からの……定期お届け便にございます。……これで、ウィーンの貴婦人たちの肌は守られます」


 その日の夕方。

 ウィーンの宮廷は、数ヶ月ぶりに届いた「極上の保湿パック」に狂喜乱舞する貴婦人たちの歓声に包まれた。


「フランスは我が国の美の恩人ですわ!」と熱狂する彼女たちの声は、親プロイセン派の貴族たちを沈黙させた。


 オーストリアの『対仏同盟離脱』と『親仏中立』が、ウィーン宮廷で決定的に固定化された瞬間だった。


 マリー・アントワネット、24歳。

 兄ヨーゼフの「軍事演習という名の陽動」と、フェルセンの「命懸けの雪山突破」によって、対仏大包囲網の政治的足並みを見事に崩し、フランスはいよいよ、無敵の自給自足体制の完成に向けた最後のラストスパートへと突入していくのであった。

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