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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第93話 麗しき密輸人

 パリ郊外の巨大なガラス温室では、ジョゼフが発見した『火山灰肥料』と、ルイが構築した『地中温水暖房』の恩恵により、ジャガイモをはじめとする様々な作物が成長を遂げていた。


 食糧の自給自足に確かな光が見え始めたチュイルリー宮殿。

 だが、執務室の空気は、夜の冷え込みとともにピリピリと張り詰めていた。


「……マリー。国内の亜麻リネンと鉄鉱石で生産ラインは回っています。しかし、どうしても『国内で調達できない物資』が底をつきかけています」


 ナポレオンがランプの灯りの下で帳簿を睨みつけていた。


「ルイ陛下が金属を極限まで硬く、しなやかな『特殊鋼のバネ』に加工するためには、どうしても燃焼温度が極めて高い『高品質な石炭コークス)』が必要です。フランス国内の石炭では、不純物が多すぎて火力が足りない。……さらに、ボイラーの配管を密閉するための『樹脂』も残りわずかです」


「……石炭と、樹脂……」

私は眉間を揉んだ。


 イギリスの海上封鎖は、文字通り鉄壁だ。

 大西洋もドーバー海峡も、王立海軍ロイヤル・ネイビーの巨大な軍艦が睨みを効かせ、怪しい商船は容赦なく沈められている。


「くそっ……! あと百キロ、いや五十キロでも上質な石炭があれば、工場のラインを来月まで維持できるのに……!」


 煤だらけのルイが、自らの髪を掻き毟って悔しがった。


 対仏大同盟の狙いは、まさにこれだ。

 武力で攻め込まずとも、時間をかければフランスは必ず『資源の枯渇』で内部から自滅する。彼らは、私たちがジワジワと干上がるのを、安全な国境の外からワイングラスを傾けながら見物しているのだ。


「……諦めちゃダメよ。何か、必ず抜け道があるはず……!」

 私が地図を睨みつけていた、その時だった。


「――侵入者だ!! 捕らえろ!!」


 窓の外、チュイルリー宮殿の中庭から、警備にあたっていた国民衛兵たちの怒号が響き渡った。


「な、何事!?」

「マリー、下がって! 敵の暗殺者かもしれない!」


 ルイが咄嗟にレンチを構え、私を庇う。

 バンッ! と執務室の扉が開き、元・英国スパイのアーサーが、黒ずくめの男を両腕で羽交い締めにして引きずり込んできた。


「王妃様! 宮殿の裏口から、警備の目を掻き潜って侵入しようとした不審者を確保しました!」


「離せ! 私は怪しい者ではない! この極限の隠密行動で大臀筋と広背筋がパンパンに張っているのだ、早く私を水風呂へ……!」


 その、どこか聞き覚えのある、甘く、そしてやたらと筋肉の部位を強調する声。


 アーサーが男のフードを乱暴に剥ぎ取ると、そこから現れたのは――。

 彫刻のように美しい顔立ちに、サラサラの金髪。そして、黒ずくめの服の上からでも分かる、はち切れんばかりにパンプアップされた『極上の大胸筋』


「……フェルセン!?」

 私は目を丸くして叫んだ。


 かつて私に熱烈な恋心を抱き、しかしサウナの熱波と白樺の乱打によって「爽やかなサウナ仲間」へとジョブチェンジを果たしたスウェーデンの貴公子、ハンス・アクセル・フォン・フェルセンその人だった。


「やあ、マリー様! お久しぶりです。いやぁ、イギリスの海上封鎖網を夜陰に乗じて手漕ぎボートで突破するのは、究極の有酸素運動でしたよ!」


 フェルセンは、拘束を解かれると、爽やかな笑顔で汗を拭った。


「フェルセン、あなた祖国のスウェーデンに帰っていたんじゃ……。どうしてこんな物々しい格好でパリに?」


「もちろん、あなた方に『最高のお土産』を届けるためですよ」


 フェルセンはウインクをすると、懐から分厚い書類の束を取り出し、机の上にドンと置いた。


「スウェーデンは現在、イギリスとプロイセンの同盟に対して『中立』の立場を取っています。私はその外交特権と、我がフェルセン家が持つ北海の秘密の商船ルートを使いました。……イギリス海軍も、中立国であるスウェーデンの『王室御用達の外交荷物』までは、強引に検められませんからね」


「外交荷物……?」


「ええ! 宮殿の裏手の森に、馬車を三十台隠してあります。中身は……イギリス産の『石炭』。そして、南米から北欧経由で仕入れた『パラゴムの樹液』の樽です!!」


「「「なんだってェェェェッ!?」」」

私とルイ、そしてアーサーが同時に絶叫した。


「ほ、本当かいフェルセン!? それがあれば、工場の炉の温度を最高点まで上げられる! 特殊鋼が打てるぞ!!」

 ルイが涙を流してフェルセンの手を握りしめる。


「ふふっ、喜んでいただけて何よりです。……しかし、私はただの運び屋になったわけではありませんよ。マリー様、私はあなたの『健康と筋肉』を愛する同志。同志がピンチとあらば、地の果てからでも駆けつけます」


 フェルセンは、上着を脱いで見事な上腕二頭筋を見せつけながら、爽やかに笑った。

 かつての「悲劇の恋人」の面影は微塵もない。今の彼は、大国間の法と包囲網を筋肉と外交特権で強行突破する、世界で最も美しく、最も脳筋な『超絶エリート密輸人』だった。


「フェルセン……! ありがとう、本当にありがとう! あなたのおかげでフランスは首の皮一枚繋がったわ!」


 私が感動して彼の手を握ると、フェルセンはふっと表情を引き締めた。


「感謝は後で結構です、マリー様。……実は、私が危険を冒してまでパリへ急行した『本当の理由』は、石炭を届けることではありません」


 フェルセンの言葉に、部屋の空気が一気に冷たくなった。

 彼が机に置いた分厚い書類の束。それは、石炭の納品書ではなかった。


「……これは?」

 ナポレオンが、その書類を手に取って目を通し、小さく舌打ちをした。


「私がロンドンに潜入した際、独自の情報網で傍受した、対仏大同盟の『極秘指令書』です」

 フェルセンが、氷のように冷たい声で告げた。


「イギリスとプロイセンの上層部は、フランスの工場が『国内産の素材』だけで息を吹き返しつつあることに焦りを感じています。特に、冬だというのにパリ郊外で稼働し始めた『巨大なガラスの温室』……あれが完成すれば、フランスを兵糧攻めにする計画は完全に破綻する、と」


「……まさか!」

 私は、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。


「ええ、そのまさかです」

 フェルセンは、窓の外――パリ郊外のシャン・ド・マルスの方角を指差した。


「彼らは、正規軍を動かす前に、フランスの『心臓』を破壊する決定を下しました。プロイセンの特殊工作部隊と、イギリスの爆破工作員からなる数十名の『破壊工作部隊』が、すでにパリ市内に潜入しています」


「狙いは……」


「今夜です」


 フェルセンの言葉に、ルイが息を呑んだ。


「今夜、彼らはパリ郊外の『ガラスの温室』と、このチュイルリー宮殿の『地下工場』に同時に火を放ち、爆破する計画です。……ガラスを割られ、ボイラーを破壊されれば、内部の作物は一晩で全滅し、工場の機械も鉄屑と化すでしょう」


「……ッ!!」

 私はギリッと奥歯を噛み締めた。

 つい数時間前、ジョゼフが嬉しそうに火山灰を混ぜ、青々としたジャガイモの芽が育っていた、あの奇跡の温室。労働者たちが明日への希望を胸に、汗水流して働いている、あの地下の工場。


 それを、自分たちの覇権と利権のために、理不尽な暴力で燃やし尽くそうというのだ。


「……舐めるな」

 気がつけば、私は腹の底から、地を這うような低い声を出していた。


「マリー?」


「人の家で勝手に火遊びをしようだなんて、いい度胸じゃない。……私たちの血と汗と筋肉の結晶を、たかが数十人のネズミどもに壊させてたまるもんですか!」


 私はバンッ! と机を叩き、全員の顔を見渡した。


「アーサー! カトリーヌたち労働者のリーダーを至急集めなさい! ルイ、ナポレオン! 温室と工場の防衛網を敷くわよ! 相手が隠密行動で来るなら、こっちも軍隊は動かさない。……私たち『チュイルリー・ホワイト工場』の従業員総出で、大歓迎してやるわ!!」


「ふふっ、その目です、マリー様。逆境に燃えるあなたのその瞳を見ると、私の大胸筋が歓喜の悲鳴を上げます!」

 フェルセンが、筋肉をピクピクと躍動させながらニヤリと笑った。


「フェルセン、長旅で疲れているところ悪いけれど……あなたも手伝ってくれるわね?」


「愚問です。私はすでに迎撃の準備が整っていますよ!」


「よし! 作戦開始よ!!」


 その夜。

 月明かりすらない漆黒の闇の中、パリ郊外の巨大な「ガラスの温室」に向けて、黒装束に身を包んだプロイセンとイギリスの合同工作部隊が、音もなく忍び寄っていた。

 彼らの手には、強力な発火装置と、ガラスを破壊するための重い鉄槌が握られている。


「……フン。見ろ、警備の兵など一人もいない。フランスの王室は、農園の防衛すら放棄しているようだ」


 工作部隊の隊長が、冷ややかな笑みを浮かべて合図を出した。


「一斉にガラスを叩き割り、中に火を放て! フランスの希望を、灰の底に沈めてやるのだ!」


 黒装束の男たちが、一斉に温室へと駆け出す。

 だが、彼らがガラスの壁まであと十メートルに迫った、その瞬間だった。


 バチィィィンッ!!


「ぐああっ!?」


 先頭を走っていた男たちの足が、見えない『何か』に強烈に弾き飛ばされ、彼らは無様に宙を舞って泥の地面に叩きつけられた。


「な、なんだ!? 罠か!?」


「ようこそ、野蛮な火遊び好きのネズミさんたち。深夜の訪問には、ちとマナーがなってないんじゃないかい?」


 暗闇の中から、ドスッ、ドスッと、重く、規則正しい足音が響いてきた。


 月雲が晴れ、淡い光が照らし出したのは――軍隊ではない。

 油まみれの分厚い革エプロンを身につけ、巨大な『木槌』や『巨大なレンチ』を肩に担いだ、数百人の「パリの労働者たち」の姿だった。


 彼らの先頭に立つのは、巨大な肉切り包丁を構え、全身の筋肉をバキバキに隆起させた市場の女リーダー、カトリーヌだ。


「俺たちの仕事場と、明日食うためのポテトを燃やそうって?……冗談じゃねえ。アタイらはな、毎日八時間みっちり働き、サウナで極限まで体を仕上げた『最強のホワイト労働者』なんだよ!!」


 カトリーヌの背後で、屈強な男たちが一斉に木槌を構え、野獣のような雄叫びを上げた。


 マリー・アントワネット、24歳。

 彼女の愛した筋肉と健康、そして圧倒的な「ホワイト企業の絆」が、今、大同盟の放った卑劣な破壊工作員たちを、真っ向から粉砕するための大乱闘の幕を開けたのである。

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