37 消えた王子と乳母
ガシャン
大きな音がヴェーヌの部屋に響き渡った。サッシャも去ろうとした足を止め、振り返った。
音は、王城のルディウス王子の部屋の洗面器がひっくり返った音だ。水鏡を見ながら話せるように、ウーヌスが聞いた音は、ヴェーヌの部屋に響くよう魔法をかけてあった。
洗面器がひっくり返ったため、ルディウス王子の部屋の様子は見えない。
バサッバサッ
ウーヌスとドゥオとトリアの羽音が聞こえる。
「きゃっ」
ルゼの叫び声が聞こえた。
「待って!」
ルゼは誰を引き止めているのか、様子は分からない。
「ウーヌス!ドゥオ!トリア!ルゼを助けろ!」
叫びながらヴェーヌは、自分を一瞬で王城に移動させた。
転移魔法は着地点を正しく定めなければ危険だが、自分の使い魔のいる場所なら、使い魔を手掛かりに事もなく移動出来る。
ルディウス王子の部屋の、ウーヌス達が止まり木にしたベビーベッドの前に現れたヴェーヌは、慌てて部屋を見回した。
水鏡で見た通りの部屋は、洗面器が床に転がり、水が溢れていた。他に変わったところはない。
ただ、人気なく、静かだった。
ウーヌス達はルゼの側にいるはずだ。とにかく、追おう。ヴェーヌは、転移しようとしたが、ふと、ユリウスとサッシャを北の館に置いてきたことに思いあたった。
「ヴェーヌ!」
それは、音ではなく、ヴェーヌの頭の中に直接、響いたようだった。ユリウスの声だ。
そうだった、ユリウスとは生涯を共にすると誓い合い、加護魔法を施したのだ。ヴェーヌとユリウスは、ヴェーヌと使い魔以上に繋がっている。
「わたしはルゼを追う。王城に来て待っていてくれ」
「わたしも行く!」
ユリウスには珍しく切羽詰まった声だ。北の館にまだ居るだろうサッシャのことは、マルスが上手くやるだろう。
「ユリウス、来い!」
ヴェーヌが魔法で北の館にいるユリウスを引き寄せた。ヴェーヌにぶつかるようにユリウスが現れる。
ヴェーヌがぎょっとする。ユリウスにしがみついて、サッシャも一緒にやって来たのだ。
「なんで、サッシャまで来たんだ!」
「えっ?この方が早いでしょう?」
サッシャは、ヴェーヌの慌てた様子も気にせず答えた。
「いいか、サッシャ。この部屋がもう少し狭かったら、お前の後ろに引いた左脚は壁にぶつかってなくなっていたぞ!」
「ひっ!」
サッシャは、ヴェーヌの一言で青ざめた。
「ユリウスはわたしの加護魔法がかかっているから、心配ないが、お前は違う。安易に転移魔法についてくるな」
「申し訳ありません」
一瞬、しおらしくなったサッシャだったが、ふと思い出して顔を上げた。
「ヴェーヌ様、ルディウス王子が連れ去られたとしたら、連れ去った者達には、悪意はありませんわ。ルディウス王子には、悪意のある者が触れられないよう守護魔法がかかっていますもの」
「そうだったな…」
頷きながら、ヴェーヌはウーヌスの気配を辿っていた。まだ、城の中にいるのだろうか?
「悪いがサッシャ、ここからは別行動だ。わたしはユリウスと一緒にルゼとルディウス王子を探す。サッシャは、このことをジール王に報告して、真っ直ぐに家へ帰れ」
「ええっ!?」
サッシャは納得しかねる表情を一瞬作ったが、そうだった、結婚したばかりの二人の間に割って入っては野暮というものだったと思い返す。
「かしこまりましたわ。では、ご無事を祈っております」
サッシャは、深くお辞儀をして開け放たれた扉から廊下へ出た。
扉を出ると、廊下の先の階段の手前、床の上に白い何かが落ちている。
「あら、白ガラスがおりますわ」
サッシャの言葉にヴェーヌが飛んできた。ユリウスは、ヴェーヌの後についてくる。
「トリア!」
ヴェーヌが小さな白ガラスを両手に抱いた。名前を呼んでも応えないそれを、ヴェーヌはそっと懐に仕舞った。
ウーヌスとデュオの声がヴェーヌの頭に響いた。
「トリア!トリア!どこだ?」
「トリアは、わたしと一緒だ。ルディウス王子の部屋の前の廊下にいる。お前達はどこだ?」
「それが…分からなくて」
ウーヌスが弱気な声で応えた。
「ルディウス王子を追ってきたら、迷ったんです」
デュオは半泣き声だ。
ヴェーヌが自分の使い魔の居場所を追えないとは、これまでになかったことだ。硬い表情で考え込むヴェーヌに、ユリウスが意見した。
「場所は分からないけれど、城の中に、ルーウィツ公爵家に繋がっていた扉とは別に、他の場所に繋がっている扉があるはずだよ。ヴェーヌ、探せるかい?」
ユリウスの言葉に、ヴェーヌは頷いた。
城の全ての扉を確認するのに、二羽の使い魔は行方知れず、もう一羽のトリアは動かせない。ならば、使い魔の代わりに、城の扉を順に巡るものを用意しなければならない。
ヴェーヌは、黒いワンピースのポケットから、自分で走り書きをした掌ほどの小さな紙を取り出し、床に置き、皺を伸ばしてから丁寧に紙飛行機に折った。その小さな紙飛行機を右手の掌に載せ、呪文を呟き息を吹きかけると、紙飛行機はふっと掌から浮き上がり、勢いよく空中に滑り出た。
ヴェーヌは、紙飛行機の飛ぶ城内の廊下を、まるで自分が紙飛行機であるかのように見ることができた。
紙飛行機は、階段に沿って城の一階に降りて行き、昨日までルーウィツ公爵邸と繋がっていた西側の一番奥の扉を始点に、壁に沿って勢いよく飛んだ。
ヴェーヌは、魔力を纏った扉を感知するために、紙飛行機に神経を集中させる。
次々と扉が現れ、瞬く間に視界から消えていく。
「あった!」
ヴェーヌが叫ぶのと同時に、紙飛行機が失速し床に落ちる。
「ユリウス、行くぞ」
「ああ」
ヴェーヌとユリウスが動こうとして、サッシャが慌てた。
「わ…わたくしも…」
すかさずヴェーヌが嗜める。
「サッシャ、お前はジール王に報告を頼んだだろう」
サッシャは、床に落ちた白ガラスを発見して、自分の用事をすっかり忘れていた。
「そうでしたわ!では、失礼致します」
サッシャは二人にお辞儀をして二階の廊下を王の執務室に向かって歩き出した。
ヴェーヌとユリウスは、肩を寄せ合い、一瞬で紙飛行機の落ちた扉の前に移動した。




