36 ルゼの父
「分かりました。サッシャ様、ありがとうございます。申し出を謹んでお受けいたします」
サッシャの申し出をルゼが承諾し、ルゼがパーリッシュ家の養女になることが決まった。
サッシャは、自分の申し出が受け入れられ、満足そうだ。
「これからは、ユリウス様のお嬢様をアイズとわたくしの娘として、王都での暮らしをサポートいたしますわ。ユリウス様もホワイエ侯爵邸へいつでもお立ち寄り下さいね」
「サッシャ、ありがとう。細かい手続きは、来週、わたしとヴェーヌが王都に行ってからでいいですか?」
ユリウスがサッシャに訊ねた。
「そうですわね。ホワイエ邸を掃除して、引越しをして、それからと思っていましたけれど」
ホワイエ侯爵邸に住むとなると、手入れも引越しも準備に慌ただしくなるだろう。十年以上、人が入らなかった屋敷だ。
「落ち着いたら、ルゼの養子縁組の手続きをしましょう。ルゼに手紙を託して頂ければ、白ガラス経由でわたし達に届きます」
「父さんは、アリタ村に帰らずヴェーヌ様と北の館に住まうのですか?」
ルゼが、何気なく訊ねた。
「ああ、今日、ヴェーヌと結婚したからね」
ユリウスが、さらりと結婚を報告した。
「ええっ?何ですの?今日?今日、結婚したのですか?」
ユリウスの少し後ろに立っていたサッシャがぐいっとユリウスの前に出て詰め寄った。
「ええ、今朝、結婚を申し込んで、そのまま誓いを立てました」
ユリウスは、サッシャから上手に距離を取りながら、まるで光の粉を振り撒く妖精のように煌めく笑顔で答えた。
ユリウスの笑顔に滲み出る喜びに、サッシャは当てられて二の句を告げなくなった。
ヴェーヌは、まさか今、報告するとは思わず狼狽える。ルゼは、父の笑顔とヴェーヌの狼狽えた様子で、どうやら父の戯言ではなく真実なのだと確信した。
「父さん、おめでとう。ヴェーヌ様、父をよろしく頼みます」
「ああ…」
ヴェーヌは、返す言葉を思い付かずに、「ああ」と言うだけで精一杯だ。
ルゼは、ヴェーヌが父ユリウスにとって、どれだけ大切な存在か分かっている。昨日、今まで見たことのない父の表情を、いったい幾つ見ただろうか。
「父さん、ヴェーヌ様もご一緒で丁度良い機会なので伺いたいのですが」
「何?改まって」
「わたしの本当の父親は、誰ですか?」
思いも寄らないルゼの言葉に、ヴェーヌとサッシャは唖然とした。ユリウスだけが飄々としている。
「わたしの二番目の兄さんだよ」
「落馬事故で亡くなった、あの…」
ヴェーヌは思わず口にした。ヴェーヌが、ホワイエ侯爵邸に出入りしていた当初は、ユリウスの姉と二人の兄もヴェーヌの相手を度々してくれた。しかし、それぞれが勉強や社交に忙しくなり、ヴェーヌとは徐々に疎遠になった。その決定的な出来事は、二番目の兄の落馬事故死だった。葬儀と、その後暫くしてユリウスが駆け落ちして、家族は悲嘆に暮れた。
ヴェーヌは、ユリウスの駆け落ちを、平民の娘との結婚を反対されたからだと思っていた。ユリウスがいなくなっても、ホワイエ夫人と姉に誘われて会うことがあったが、ユリウスの出奔の理由について話したことはなかった。
ユリウスは、二番目の兄の死は事故死ではないと言った。
ヴェーヌは、自分のたどり着いた答えに口をつぐんだ。
「父さんの名前を教えて」
「カストル。カストル・ホワイエだ」
「カストル…カストル父さん。これからは、本当の父を「カストル父さん」、育ててくれた父さんは今まで通り「父さん」と呼ぶわ」
ルゼの母親が、ユリウスの隣に立っていたとき、悲しげな顔をしていたのは、不安だったからではなかったのだ。愛する男に突然、先立たれ、ただただ悲しみに暮れていたのだ。
「今度、ゆっくり時間のあるときに、カストル父さんがどんな人だったか聞かせてね」
ルゼがにっこりと笑った。
「何で、突然、本当の父親を知りたいと思ったんだい?」
ユリウスが優しく問いかけた。
「何でって、ヴェーヌ様の誤解を解きたかったからです」
「誤解?」
「ええ、だって、父さんが望んで、せっかく結婚できたのに、父さんが一番に愛しているのは死んだ母さんだとヴェーヌ様が誤解していたら、イヤでしょう」
「ああ…そうか。ありがとうルゼ」
「いいえ、これは、父さんのためでなく、ヴェーヌ様への結婚祝いです」
ルゼが、水鏡越しでもしっかりとヴェーヌを見つめて言った。
「ヴェーヌ様、父は誰にでも愛想の良い人ですが、ヴェーヌ様だけが父の特別ですから、誤解を解いておきたかったのです」
「ありがとう、ルゼ」
ヴェーヌは、礼を言った。
しかし、本当に大事なのは、ユリウスが誰を愛しているかではなく、自分自身がユリウスをどう愛するかだ。
それでも、他の女性を心に抱いたままのユリウスと、寄り添って生きていくことは、ヴェーヌの心に少なからず陰を落としていたようだった。
ヴェーヌは、自分の気持ちが安堵で緩むのを感じながら、表情が緩まないように、下唇をきゅっと噛んだ。
「ありがとう、ルゼ」
ユリウスも、礼を言った。
「わ、わたくし!」
サッシャは自分がひどく場違いな気持ちがした。何しろ、結婚したての愛し合う夫婦の二人きりの休暇に、割り込んだのだ。もし、自分がヴェーヌの立場なら、一刻も早く、間の悪い客人にあれこれ理由をつけて退出願っただろう。
だから、むしろ、ヴェーヌとユリウスの自分を受け入れる寛容な態度に、申し訳ない気持ちがいっぱいになった。
「ルゼ様のご意向も確認出来ましたし、これにてお暇させて頂きますわ。ルゼ様、ありがとうございます。ユリウス様、ヴェーヌ様、ご結婚心よりお祝いいたしますわ」
サッシャは早口で捲し立て、ユリウスとヴェーヌの返事も待たずに踵を返し、北の館の一階奥にあるホワイエ邸に繋がる扉へと向かおうとした。
ガシャン
そのとき、大きな音がヴェーヌの部屋に響き渡った。




