35 ルゼと白いカラス達
「ウーヌス、聞こえるか?」
魔法なのだし、使い魔を呼ぶのに声はそれ程大きい必要はなかったが、何となくヴェーヌの声は大きくなった。
空に向かって声を掛けるのも恥ずかしく、ウーヌス達の様子も見るのに水鏡を使うことにした。鮮明さは魔法の鏡に劣るが、魔法の鏡は割ってしまったし、仕方ない。先程まで食事をしていたテーブルに、大きな水盆を用意し、水を張って上から覗き込んだ。
ヴェーヌの後ろには、ユリウスとサッシャが立ち、同じように水鏡を注視していた。
「ヴェーヌ様、聞こえます」
「聞こえますよ!」
「聞こえてま〜す」
チチ、チチ、チチチ
三羽は、恐らくはルディウス王子の部屋のバルコニーだろう手摺りに、ウーヌスの右にドゥオ、左にトリアがぴったりと並んで止まっている。可愛らしい駒鳥が三羽だ。
三羽の後ろにバルコニーに面した大窓が見えるが、その中はレースのカーテンが反射して見えない。
「ルゼと話したい。ウーヌスの嘴から、わたしの声が聞こえるようにする。駒鳥では小さいから、もう少し大きな鳥に姿を変えてもらう。元の大ガラスでは大き過ぎるから、普通のカラスの姿になってくれ」
「承知した」
「分かりました!」
「はい!は〜い!」
水鏡に映った三羽の姿が歪む。高さ5cmもない三羽のシルエットは、30cmほどの高さにしゅるりと伸び、駒鳥から、カラスに変化した。
ウーヌスとドゥオとトリアは、お互いを見て驚いた。
「カラスじゃないぞ」
「カラスだよ。でも…」
「僕たち白いねぇ」
ヴェーヌは、予感はしていた。ユリウスの祝福が魔法に干渉したのだ。
「きれいな白ガラスだね」
ユリウスが後ろから覗き込んで言った。
「白いカラスなんて、初めて見ましたわ。ヴェーヌ様の魔法は優雅ですのね」
サッシャが感心して言った。その褒め言葉を、ヴェーヌは素直に受け取れない。三羽の白い色は、ユリウスの祝福に邪魔された結果だと思うと、情けない気持ちだった。
「…失敗しただけだ。でも、白い方が城の連中に受けがいいかもしれないな」
ヴェーヌは、深呼吸して気を取り直し、次の指示をウーヌス達に与えた。
「ルゼに、こう伝えてくれ。『ユリウスが話をしたいと言っている。できるだけ大きな水盆を用意して水を張ってくれ。そうしたら、顔を見せて話せる』」
声だけ聞かせるより、顔も見せた方が話しやすいとヴェーヌは考えた。ルゼならば、ウーヌスの頼みを受け入れるだろう。あの娘は、ユリウスの娘だけあって賢く肝が座っている。
「仰せの通りに」
ウーヌスが、魔法でバルコニーの窓とレースのカーテンを静かに開けた。
「行くぞ」
「はい!」
「わくわくするねぇ」
ウーヌスとドゥオとトリアは、それぞれ白く美しい翼を広げ、ルディウス王子の部屋へ羽ばたいた。
ルディウス王子の部屋では、絨毯の上にルディウス王子が座っていた。まだ、立つことは出来ないが、一人座りは出来る。間もなく捕まり立ちが出来るようになるだろう。
ルゼはルディウス王子の正面に座り、ルディウス王子を遊ばせていたが、窓とカーテンが開く音を聞いて窓を振り返った。
窓から入り込んだ三羽の白いカラスに、ルディウス王子は喜んできゃっきゃと声を上げた。
ルゼは、三羽をすぐにウーヌスとドゥオとトリアだと分かったようだった。
「こちらへ、どうぞ」
ルゼはルディウス王子のベビーベッドの柵に止まるよう、三羽に指し示した。
ウーヌスとドゥオとトリアは、部屋に入って来たときと同様に、静かに柵に止まった。
ウーヌスが嘴を開くと、カアカアという声の代わりに、ヴェーヌの声が部屋に響いた。
『ユリウスが話をしたいと言っている。できるだけ大きな水盆を用意して水を張ってくれ。そうしたら、顔を見せて話せる』
「分かりました。少しお待ち下さい」
ルゼは、白ガラスから発せられたヴェーヌの声に全く動じず、部屋の隅の洗面台の脇に置かれた洗面器に水を張り、同じく壁に付けて置かれた四つ脚の小さくも重みのあるテーブルの上に置いた。
「これでよろしいですか?」
ベビーベッドとテーブルは離れていたが、ウーヌスから発せられるヴェーヌの声を聞く分には問題ない。
用意が済むと、ルゼはルディウス王子を優しく抱き上げた。今のルディウスは目を離すとハイハイで移動してしまう。水鏡を見ながら話すなら、抱き上げていた方が安心だ。
「やあ、ルゼ。城での仕事はどうだい?ルディウス王子とは、上手くやっているようだね」
水鏡にはヴェーヌのすぐ後ろにユリウスが立つ姿が映し出され、その声はルゼの背後のベビーベッドに止まったウーヌスから響いた。
「ヴェーヌ様、父さん、こんにちは。お城での仕事は、まだ始まったばかりだけど問題ないわ。ルディウス殿下がとても良い子にしていてくれるの」
「そうか。では、乳母の仕事は続けられそうかい?」
「ええ」
ルゼは、ルディウス王子の頬に自分の頬を擦り寄せ、柔らかく微笑んだ。
「だったら、ルディウス殿下の乳母として身元が確かな方がいいね。パーリッシュ・ホワイエ侯爵家の養女にならないか?」
「パーリッシュ家の方々がよろしいのであれば…」
ルゼの返事を聞き、ユリウスとの会話に、パッとサッシャが入り込んだ。
「わたくしから申し出たのですわ。ゆくゆくは、ルゼ様がホワイエ侯爵家をお継ぎ下さい。ルゼ様がホワイエ侯爵家の正当な跡継ぎですもの」
サッシャは、ルゼが快く侯爵家に入れるよう、誠意ある言葉を選んだつもりだった。…が、それは、空振りに終わった。
「サッシャ様、ありがたいお言葉ですが、わたしは、侯爵家を継ぐ意志はありません」
「えっ?何故ですの?」
まさか断られるとは思っていなかったサッシャは慌てた。
「ルディウス様のお世話が終われば、わたしはアリタ村に帰るつもりです。村で暮らすのに爵位や領地は必要ありません」
城で仕事を見つければ、若い娘達は、普通、王都に住み付き田舎には戻らない。城勤めなら文官や武官とも繋がりが出来、結婚することが多い。王都で働く商人と結婚する者もいる。村に帰るということは、村にいい人がいるということだろう。
「ルークと約束したのかい?」
ユリウスが優しく訪ねた。
ルゼが恥じらいの表情を見せ、それまで真っ直ぐ前に向けていた視線を逸らした。
「父さんには、隠し事は出来ないのね…」
「では、そのルークさんと一緒にホワイエ侯爵家を継いだらいかがかしら?」
名案とばかりにサッシャが提案した。
「パーリッシュ夫人、ルゼとルークの将来を慮って頂き、有り難く思いますが、田舎で気ままに暮らす若者に、侯爵家を継がせるのは、酷というものです」
ユリウスがサッシャの提案を退けた。
「そうだな。サッシャの気遣いは有り難いが、村に暮らす者が、作法やしきたりにうるさい貴族に囲まれて王都で暮らすのは、実に窮屈だろう」
ヴェーヌもユリウスに同意した。
「ルゼ様の作法は完璧ですわ。貴族の中で暮らしても何ら問題ありません」
「ルゼは、城でも勤められるようにわたしが教育したからね。でも、ルークは違います。彼は、生まれも育ちもアリタ村です。もしも、ルゼを追って王都に出てきても、貴族の暮らしには馴染まないでしょう」
ユリウスが優しく諭した。
「では、ルゼ様がご結婚されるまで、パーリッシュの養女ということで、いかがですか?ルゼ様のお部屋もご用意させて頂きます。仕事の休みの日に屋敷で寛いで頂いて構いませんし、困ったことがあれば養父母として、頼って頂ければ嬉しいですわ」
「どうだい?ルゼ。ルゼの気持ち一つだよ」
サッシャにとっては、一度、恋焦がれた男性の娘だ。アイズ・パーリッシュに嫁ぐことが決まったからと言って、ユリウスの美しさに魅せられていることには変わらない。どんな形でも、ユリウスとの繋がりが欲しいのだろう。ルゼも、ヴェーヌも、サッシャの気持ちは理解できた。
ルゼならば、王の計らいで身分など何とでもなるが、そこは、縁というもの。断る理由もない。




