32 誓いの言葉
口づけた後、ヴェーヌは、はたと我にかえった。自分のしたことが信じられない。なんて大胆で畏れ多いことをしたものか!
ユリウスがうっとりした眼差しで自分を見つめている。ゆっくりと後退りしようとしたヴェーヌの背に、ユリウスは両腕を回し自分の方に引き寄せる。抗えない。しかし、ユリウスをどんなに愛しく思っても、素直に愛の言葉を伝えたり、抱きしめたり、口づけたりできるヴェーヌではない。
腰に回された手を、ぐいぐいとユリウスの胸を押して引き剥がした。
「せめて、手を…」
ヴェーヌを愛し気に見つめるユリウスが、ヴェーヌの左手を捕まえて、そっと口づけ、そのまま自分の右手の指とヴェーヌの指を絡めて肩を寄せるようにして歩き出した。
「屋敷に戻ろう」
来た道を戻ろうと方向転換したヴェーヌを、ユリウスの手が引き止める。
「本当は、もっと先まで歩くんだろう?」
「マルスから聞いたのか?」
「ああ。わたしが来たせいで日課を変えるのは忍びない」
ユリウスの柔らか笑顔が、ほんの少し済まなそうに曇る。
ヴェーヌとて、ずっと手を繋いでいたい。肩を寄せて歩きたい。でも、あまりの鼓動の速さに、これ以上は心臓が破裂しそうだ。
仕方ない。ヴェーヌは奥の手を使うことにした。
ヴェーヌが袖を振ると、何の変哲もないヴェーヌの洋服の袖から、三羽の駒鳥が顔を覗かせ、そのままぱたぱたと羽ばたいた。
ヴェーヌの使い魔のウーヌスとドゥオとトリアだ。
チチチチチ
「おはようございます、ヴェーヌ様」
「おはようございます、ユリウス様」
「今日はよいお天気ですよ!」
「二人で歩くには丁度良いですね」
「ユリウス様がご一緒で、よかったですね」
「この先の小川まで行くと、眺めがいいですからね!」
チチチチチ
二人の周りを忙しなく飛びまわり、少しするとウーヌスはユリウスの右肩に、ドゥオはユリウスの左肩に、トリアはユリウスの頭に止まった。とても、愛を囁く雰囲気ではない。ヴェーヌは、ほっとした。
「おはよう、ウーヌス、ドゥオ、トリア」
ユリウスがにこやかに挨拶をする。三羽には、このままユリウスの話相手になって貰おう。ヴェーヌは、そう思っていた。
「ヴェーヌ様、何か御用ですか?」
「それとも、御用はユリウス様で?」
「何でも申し付けて下さいね!」
三羽の言葉にヴェーヌが口を開くより前に、ユリウスが丁寧に応えた。
「城に行って、ルディウス王子の様子を見ていてくれないかな。もし、怪しいヤツが近づいたら追い払って、マルスに報告を入れてくれるかい?」
「承知した」
「分かった」
「うん、任せて!」
三羽は張り切って飛んで行ってしまった。何で、わたしの使い魔なのに、ユリウスの命令を聞くんだ?ヴェーヌは呼び止めたかったが、何と言って呼び止めたらいいか分からない。伸ばしかけた手を力無く引っ込めた。
飛び去る三羽を見えなくなるまで見送ると、ヴェーヌは腹を括るしかなかった。
「わたしがお願いしてしまって良かったかな?」
「ああ、構わない」
構うけれども構わない。ヴェーヌは、どうにも出来ない気まずさに、苦し紛れに口を開いた。
「ルディウス王子が狙われる可能性はあるのか?」
「そうだね。わたしの祝福があるし、ルゼも近くにいるから大丈夫だと思うけれど、念のためかな」
「ルディウスの両親と、ホワイエ侯爵家の皆を殺めたのは、同一人物か?」
「わたしの両親と長兄は同一人物だろう。手口が一緒だからね」
「ユリウスが家にいたら防げたか?」
「…どうかな」
「次兄の落馬は事故だった?」
「…事故ではないね」
気にはなっていたが、聞きたくなかったことを、ヴェーヌは思い切って聞いた。
「わたしと関わったから、殺されたのか?」
「逆かな。ヴェーヌがいたから、命拾いしていた…。わたしが去り、ヴェーヌも去って、誰もホワイエ家を護る者がいなくなったから、狙われたのだと思う」
「……」
ユリウスが駆け落ちし、婚約者のいなくなった家にヴェーヌが出入りするのは不自然だった。それでも、暫くは、ユリウスの母マリアンヌや姉リリアとお茶をしたり、買い物に出掛けたりしていた。やがてリリアの他国への輿入れが決まり、ホワイエ侯爵家が慌ただしくなり、疎遠となり、それきりになった。最後にホワイエ侯爵家の人々に会ったのは、リリアを見送りに侯爵家の門前まで行った日だ。
花嫁衣装は嫁ぎ先の国で着るからと、長い旅路のための軽装だったが、リリアは美しかった。
わたしがユリウスと結婚式を挙げたら…ヴェーヌはふと考え、自分の想像に恥ずかしくなった。ずっと昔に、夢見ることをやめたはずだったのに…。
「結婚式を挙げよう」
ユリウスが何気なく言った。
ヴェーヌは、自分の想像をユリウスに覗き見られたのかと思う。自分の顔が真っ赤に染まるのを自覚した。
「教会がいいかな?それとも、北の館でマルスを証人に誓おうか」
「わたしは……」
ユリウスは、急かすことなくヴェーヌの言葉の続きを待っている。
「わたしは……」
このまま逃げ出せばうやむやになる。ユリウスに頷けば、後はユリウスの思う壺だ。ヴェーヌは、どちらも嫌だった。
けれど、ヴェーヌは、ユリウスとの結婚が嫌なわけではない。今を逃せば、叶わなくなるかもしれない。それならば、今、誓うしかない。
ヴェーヌは、挑むような眼差しでユリウスの目を真っ直ぐに見た。体の中心から柔らかな光の球となるように魔力を広げ、ユリウスをも包み込む。
先程まで耳に心地良かった小鳥の囀りも葉ずれの微かな音も聞こえない。全くの無音の中にヴェーヌは自分とユリウスを置いて、ユリウスから目を逸らさずに、口を開く。
「我、汝に誓う」
まるで、分かっていたかのように、ユリウスもヴェーヌの言葉を繰り返した。
「我、汝に誓う」
「生まれ違えど、育ち違えど、ここに出会い寄り添う互いの魂に嘘偽りなく、今これより、天の道を辿る日まで、支え合い、苦楽を分かち、その思い遣りを持って、我、汝と共に歩む」
ヴェーヌが一気に誓いの言葉を言った。それは、遠い昔、曾祖父ヴァルムートが曾祖母レイシアと誓った言葉だった。続けてユリウスが口を開く。
「生まれ違えど、育ち違えど、ここに出会い寄り添う互いの魂に嘘偽りなく、今これより、我か汝が天の道を辿る日が来ようとも、その先も永遠に支え合い、喜びを分かち、思い遣りを持ち、迷うことなく、我、汝と共に歩むことを誓う」
ユリウスの誓いの言葉は、ヴェーヌのそれとは少し違った。ユリウスは、どちらか片方が死んだとしても、その先も支え合うと誓った。
ヴェーヌには想像もつかないが、神に託された力で祝福を与えるユリウスならば、可能なのかもしれない。そして、永遠に支え合うことこそがユリウスがヴェーヌに誓う気持ちだった。
言葉を終えるとヴェーヌの顔を両手で優しく包み込み、そっと誓いの口づけを交わした。
その途端、ヴェーヌの魔力を宿した柔らかな光の球は二人の体に沿うように収縮し、やがて体の中に染み込むように消えた。
それは、魔法を持つ者が、伴侶となる者を護るために閃かせる最高の加護魔法だった。
レイシアが幼いヴェーヌに繰り返し語って聞かせたヴァルムートとの結婚の儀式にヴェーヌは倣ったのだ。




