28 小さなレイシア
自分の魔力がヴェーヌに遠く及ばない理由を、初めて知って呆然とするヴォルクを尻目に、ユリウスが口を開いた。
「ヴェーヌ、公爵夫人に紹介してくれないか」
「ああ」
ヴェーヌの頭から、ユリウスとジールの存在はすっかり抜け落ちていた。ベッドの上で上半身を起こし赤子を抱いたシーシャは、落ちついている。ヴェーヌがユリウスを紹介するより早く、シーシャが口を開いた。
「ヴェーヌの婚約者のユリウス様ですね。北の館で会って以来、十八年ぶりですわね。変わらず美しくいらっしゃって」
ヴォルクは、シーシャがユリウスを覚えていることに驚いた。
「シーシャ・ルーウィツ公爵夫人、覚えていて頂き光栄です。ルーウィツ公爵家の第一子ご出産、心よりお祝い申し上げます」
「ありがとうございます」
シーシャはユリウスにきっちりと礼を言い、それからジールに目を向けた。ジールが先に口を開く。
「シーシャ・ルーウィツ公爵夫人、出産おめでとう」
「陛下直々にお祝いのお言葉を頂けること、この上ない喜びに御座いますわ」
「突然の訪問になり、すまない」
ヴォルクは目を丸くした。まさか、ヴェーヌとユリウスの後ろから付いてきている男が国王だとは思ってもみなかったからである。
「まだ産後の疲れが残っているだろうが、聞きたいことがある。よいだろうか」
「もちろんですわ」
ジールの言葉にシーシャが快諾する。ヴォルクは、先程、廊下でヴェーヌの問いを切り捨てたことを悔やんだ。
「そ、そのことなら、俺が陛下に答えれば済むことだ。シーシャは二日前に出産したばかりだ。休んでいてくれ」
「わたしなら大丈夫よ、ヴォルク。それよりも、陛下の要請に応えることがルーウィツ公爵家の勤めですわ」
ヴォルクは、自分の失言に狼狽えて、ジールの前にひざまづいた。
「陛下、ご無礼をお赦し下さい」
「何、わたしも先ぶれもなく来訪したのだ。無礼はわたしも同じ。気にするな」
「はっ。寛大なお言葉、感謝いたします」
へりくだるヴォルクの様子が可笑しく、ヴェーヌは笑いを堪えながら用件を切り出した。
「陛下に変わってわたしが問う。シーシャ、公爵邸と城の扉を魔法で繋いだか?」
「ヴェーヌの部屋の扉のことね。…それで、国王陛下がわざわざ公爵邸へいらしたのですね」
ヴォルクが慌てて言い訳をしようと口を開くが、それを視線で制してシーシャが話し出した。
「あの扉は、ジール陛下の兄上である先王からのご依頼でした。誰にも知られないように逃げ道を用意して欲しいと」
「兄上が?」
「そうです。何者かに狙われて、最後は、王妃様共々、毒殺されましたが…」
「…そんな。兄上が毒殺されたなど、わたしは聞いていない」
「兄王様とお妃様の死因については、シャベロン宰相がジール陛下には隠しておくよう指示されました。ジール陛下は、その…」
シーシャが言い淀むと、ヴェーヌが代わった。
「ジール王は正直で、隠し事には向かないからな」
「わたしは、ずっとアウフ王国は平和な国だと思っていた。冬の流行り病での死者はあるが、他国から攻め入られることもなく、犯罪も少ない。気候も国民も穏やかな国だと…」
「それは、ヴァルムートがいたからだ」
ヴェーヌがきっぱりと言い切った。
「この国では、ヴァルムートは英雄だった。正しい心を持つ者はヴァルムートの魔法で守られていると信じられていた。周辺諸国にとっては、ヴァルムートはアウフ王国の鉄壁の守りで、脅威でもあった。
だから、ヴァルムートは北の果てでひっそり暮らして、人知れず生涯を閉じたのに、馬鹿息子のデュヴァインが出しゃばって国葬並みの大袈裟な葬儀をした。あれがなければ、他国の奴等に、ヴァルムートは健在で今もアウフ王国を守っている、と信じさせることが出来たはずだ」
父を尊敬していたデュヴァインは、大々的に葬儀を取り行った。
これには、四大公爵家のゼルフィン、シャベロン、ダルマンが怒り狂った。
特に、外交を担うゼルフィン公爵にとって、ヴァルムートはアウフ王国の外交カードであったため、大葬儀に対しデュヴァインに抗議文を送り付け、デュヴァインと険悪な仲となった。
また、王立騎士団を率いるダルマン公爵も、平和なアウフ王国が他国の侵略を警戒する立場となったことに苦言を呈した。
国政を担う宰相のシャベロン公爵も、ゼルフィンとダルマンに睨まれ、且つ、ヴァルムートの頃に比べ魔力も衰えたルーウィツ公爵家を重用することはなくなった。
「レイシアが亡くなり、その翌年にヴァルムートが後を追うように亡くなって五年が経った。いまや、アウフ王国は周辺国にいつ侵略されてもおかしくない立場だ」
憮然とした表情のヴェーヌの背中から、二人が同時に声をかけた。
「ヴェーヌがいるから、大丈夫だよ」
「ヴェーヌ殿がいれば、問題ないだろう」
「あらあら、素敵な殿方お二人がヴェーヌの支持者ですのね」
シーシャが嬉しそうに笑った。
「結果的には守れるさ。でも、抑止力になるほど知名度はない」
腹立たし気にヴェーヌが応えた。
「噂は流れている。城の者達の反応を見ただろう?」
「噂を流したのは、ルーウィツ公爵家ですわ。ヴァルムート曽祖父様で空いた穴を埋めるために、デュヴァインお祖父様が流したのです」
「周辺諸国に流さなければ意味ない噂を、自分達の体裁を守るために身内だけに流したのか……」
ヴェーヌはもう、どうでもよくなってきた。
「シャベロン宰相の指示で、ゼルフィン公爵も外交の際にヴェーヌの名前を出していますわ。ですから、ここ数年の不穏な出来事は、ヴェーヌを侮る国々の仕業でしょう」
「しかしな、当のわたしは何も聞かされてないぞ。知っていれば守れたものもあっただろ」
ジールの兄である先王と妃が毒殺なら、手の者が城内に入り込んでいたはずだ。内通者か侵入者か、いずれにせよ保護魔法や加護で防げたかもしれない。逃げるための扉が、招き入れた可能性も否定出来ない。ヴェーヌは考えて、きっぱりと言った。
「あの扉、閉じてくれ」
「それが…できませんの」
シーシャは申し訳なさそうな顔で断った。
「何故だ?」
「ヴォルトが扉を作る際に魔法の期限を無期限にしたの。しかも、上手く作れずにあれこれ試してやっとできた扉で、やりすぎて解き方が分からないの。わたしも解こうとはしたのだけれど…」
ヴェーヌは呆れた。まるで、魔法を覚えたての子どものようだ。視線をそっとヴォルトに向けた。しかし、ヴォルトは無言だ。口を閉じていることが最善であると学んだのだ。
「では、わたしが閉じる。シーシャ、いいか?」
「ええ、助かるわ」
「こちらから作ったなら、こちらから閉じないとならないな。帰りは、ルーウィツの馬車を借りていいか?」
「いいえ、陛下の依頼だったから城側から繋いだの。だから、向こうから閉じられるわ」
「そうか、では短い時間だったが会えて良かった。シーシャ、レイシアと共に元気でいてくれ」
暇を告げるヴェーヌに、ユリウスが待ったを掛けた。
「ヴェーヌ、わたしは、この小さいレイシアに贈り物をしたい。少し待ってくれるか?」




