25 回想 〜魔法指南〜
マリアンヌをルーウィツ公爵邸に呼んだのは、デュヴァイン・ルーウィツ公爵だった。モニカの父デュヴァインは、ヴェーヌを暫く手元に置き、魔法の才を計りたかったのだ。ナセルとシーシャに追い回されて、魔法で反撃に出る様子を観察したいと思っていた。しかし、ヴェーヌはまだ魔法を使ったことがなく、デュヴァインはヴェーヌの魔力を計ることは叶わなかった。
デュヴァインには魔力を見る力はない。これが、モニカなら見えただろう。そして、言ったはずだ。
「何て豊かで美しい魔力なのでしょう」と。
ヴェーヌが魔法を使ったことがなかったのは「自分のことを自分で満足にできないうちは、同じように魔法も使えない」というのがヴァルムートの考えだったからだ。
デュヴァインもそのように育てられたはずなのに、肝心のヴァルムートの教えを忘れ、息子や孫が幼いうちから魔法が使えるかどうかを気にした。後継者を選定するためだったが、全くの裏目に出ていた。魔法を使う者が、一度自分の限界を意識してしまえば、それ以上の力は望めなかった。
デュヴァインの息子達は、末娘モニカと比べて魔力量が少なく大した魔法は使えなかった。デュヴァインは、後継に据えるつもりでいた長男レブンを諦めた。孫達の中に魔法に優れた者が現れることを切に願うしかなかった。
デュヴァインの思惑がどうであれ、ヴェーヌがケガをしたことに変わりはなかった。そして、従兄弟達の幼い悪意に晒されてケガを負ったヴェーヌを見て、デュヴァインはヴェーヌを魔力のない子供だと判断し、これ以上ケガをすることがないよう、ホワイエ侯爵家に保護を求めた。
ホワイエ侯爵家に移ったヴェーヌは、魔法の練習を始めた。
「ユリウス、これ、読んでくれ!」
額にまだ、包帯を巻いている幼いヴェーヌが、ユリウスに一冊の本を差し出した。
ヴェーヌは5歳。ユリウスは14歳。
「この本、どうしたの?ヴェーヌ」
戸惑いながらユリウスは、その分厚い本を受け取った。古めかしい黒く艶やかで立派な表紙には金の箔押しで「魔法指南」と書いてある。作者はレイシア・パルフェだ。
「レイシアから貰った」
レイシアとヴァルムートはヴェーヌの戸籍上の両親だったが、ヴェーヌは二人を名前で呼ぶよう育てられた。
「ヴェーヌはまだ文字は読めないんだね」
「ああ、読めない」
「せっかくだから、文字も覚えよう。魔法と文字と、どちらも覚えれば、ヴェーヌの世界が広がるよ」
ヴェーヌの顔がパッと輝いた。「世界が広がる」何だか分からないが、とても魅力的な言葉として、ヴェーヌに響いた。
「早く早く!魔法も文字も教えてくれ」
訳が分からぬまま急かすヴェーヌに促されて、ユリウスは一つ一つ丁寧にヴェーヌに教え始めた。
「ここ、これ、やろう!」
ヴェーヌは、指南書を適当に開き、ユリウスにかざして見せる。
「こういうものは、最初から順にやると覚えやすいんだよ」
ユリウスは、ヴェーヌの手から指南書をそっと抜き取り、昨日読んだページの続きを開く。
ヴェーヌは堪らず覗き込む。
「何て書いてある?」
ユリウスは、ヴェーヌに優しい視線を向けてから、開いたまま本をテーブルに置き、紙とペンを並べた。
「最初の文字は『ち』、次の文字は『い』、『さ』、『く』、真似て書いてご覧」
ユリウスはヴェーヌに羽根ペンを差し出した。ヴェーヌはペン先を用心深くインク壺に浸し、ゆっくりと丁寧に文字を真似て紙に綴った。
読み聞かされ、一字ずつ写し、それを読み、繰り返すうちにヴェーヌはあっという間に文字も綴りも覚えた。そして、魔法も覚えた。
「ほら、見て!小さくなった!」
羽根ペン、インク壺、紙もソファも目に付くものを片端から考えなしに次から次へと小さくしていくヴェーヌに、ユリウスが待ったを掛けた。
「ヴェーヌ、一度止まって」
テーブルに魔法の呪文を掛け始めたヴェーヌを、ユリウスが止めに入った。テーブルだけが小さくなると、上に載ったティーセットが支えるものを無くしてガチャンと落ちるに違いない。
しかし、ユリウスの言葉は間に合わず、テーブルは小さくなった。ティーセットは予想に反して、テーブルと共に小さくなった。
そして、テーブルとヴェーヌの間に入ったユリウスも小さくなった。
ドールハウスのテーブルセットに美しい少年の人形が添えられたような、実寸より12分の1サイズのユリウスだ。ユリウスは、立ったままヴェーヌを見上げるとひっくり返りそうな気がして、同じく小さくなったソファに腰掛けヴェーヌを見上げた。
ユリウスは、不慮の出来事だというのに、妙に落ち着いた様子だ。一方、ヴェーヌは大いに慌てた。
「うっわぁ〜!ユリウス!どうしよう!どうしよう!」
小さなユリウスから、その大きさに見合った声が発せられたが、その声は小さく、ヴェーヌの耳には届かなかった。
「大きくするやつ、あったか?」
ヴェーヌが慌てたままに指南書のページをめくる。
「あった!あった!これ、これ」
ヴェーヌがユリウスの前に立つ。呪文を唱えようとしたとき、ユリウスが離れた所にあった小さな小さな羽根ペンを指差した。
「えっ?あっ。なるほど、試すんだな。分かった」
小さなユリウスは、意図するところがヴェーヌに通じ、にこにこしながら頷いた。
ヴェーヌは指南書を見ながら、ぶつぶつと呪文を唱え、羽根ペンに向かって魔法を繰り出した。
「えいっ!」
本当は掛け声などいらないが、何となく勢いが出る気がして、ヴェーヌは魔法と共に掛け声を発した。
ぽぽん
羽根ペンは大きくなった。
「やったぁ!」
ヴェーヌは、大喜びだ。しかし、羽根ペンは1メートル程の大きさになった。
「さぁ、ユリウス、元にもどすぞ!」
ヴェーヌは、満面の笑みでユリウスにそう言った。
ユリウスは羽根ペンとヴェーヌを交互に見る。そして、腕で×印を作った。
「……」
ヴェーヌも察したようだ。しかし、ユリウスを大きくしたい気持ちが勝った。
「小さいままより、大きくした方が絶対いい!」
1cmほどの羽根ペンが1mになったのだから、10cm以上あるユリウスが同じように大きくなるとしたら、ゆうに8mは超えるはずだ。頭の中で倍率を計算したユリウスは、ヴェーヌに大きくされないよう、慌てて姿を隠した。
「ユリウス?ユリウス?」
ヴェーヌは、部屋中を注意深く探す。
「どこだ?どこに行った?」
見つかるわけにはいかないと、ユリウスは植木鉢の陰でじっとしている。1時間程捜索しただろうか。ヴェーヌはいつの間にか床にしゃがみ込んでいた。
生まれたときから側にいてくれたユリウスが、いなくなった。どんかときも笑顔でヴェーヌを守ってくれていた、呼べば必ず応えてくれた、あのユリウスが。
ユリウスがいない。ユリウスがいない。自分が小さくしたから、何かに潰されてしまったか。鼠が咥えて行ったのか。
ぐすっ、ぐすっ
額が切れても、従兄弟達に散々意地悪されても、決して泣かなかったヴェーヌが、堰を切ったように泣き出した。
あーん、あーん
「わたしが小さくしたからだ。ユリウス、ユリウス、ごめん。ごめん」
床に座り込んで大声で泣くヴェーヌの様子に、ユリウスはいたたまれない気持ちになった。
ユリウスは、植木鉢の陰から意を決して一歩踏み出した。
「ヴェーヌ」
虫の羽音のような、微かな声は、もちろんヴェーヌの耳には届かない。
溢れる涙を止めようと目を閉じていたヴェーヌは、ユリウスが近くにいることに気付かず、目を見開くと周りを確かめずに立ちあがろうとした。ぐらり、重心が後ろに掛かり、ヴェーヌがよろけた。
13cmの体長で、ヴェーヌを支えられるはずもないユリウスだが、それでも反射的にヴェーヌを支えようと前に出た。小さなユリウスに、よろけたヴェーヌの背中が迫ってきた。ユリウスは押し潰されることを覚悟して、ただヴェーヌの背中に向かって、受け止められるはずもない小枝のような両腕を広げた。
ぽぽん
魔法が解ける音がした。
元の大きさに戻ったユリウスが、ヴェーヌの背中を抱き止めた。
くるりとユリウスに向き直ったヴェーヌが、やはり涙でぐしゃぐしゃな顔で叫んだ。
「ユリウス〜ごめん、許してくれ」
言いながら、やはり、あーん、あーんと泣いた。
自分の腕の中で泣く、小さなヴェーヌの頭を優しく撫でながら、ユリウス自身は魔法は全く使えなかったが、それでも一言、ヴェーヌに優しく忠告した。
「魔法は、解き方も確認してから使おう。魔法を使うときは、周りに気を付けよう。わたしも突然前に出て悪かったね」
二人はこのとき、生涯、相手の幸せのために働こうと決めた。
ユリウスは、これまで常に冷静で打算的な人間だと自覚していた。神様のお告げと、公爵の孫で、大魔法使いヴァルムートの曾孫、母の友人の娘であるヴェーヌを、それらの理由から大事にはしていた。しかし、その自分が、自分より遥かに大きなヴェーヌを支えようと手を伸ばした。その、自分の不可解な行動を頭の中で繰り返し反芻していた。
一方ヴェーヌは、近しい人がいなくなる恐怖に身を震わせた。端からいない両親。「いつか先に逝く」と事あるごとに伝えるヴァルムートとレイシア。ヴェーヌにとってユリウスだけがただ一人、ずっと側にいるという約束をしていたのだ。そのユリウスが消えたことは、ヴェーヌの心に突き刺さった。
神様に告げられただけの婚約者だった二人が、それぞれの意思で相手のことを想った出来事だった。
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