22 モニカの輿入れ
二ヶ月前のことなのに、あの、美しい魔力を持った男との一夜を思い返すとうっとりしてしまう。いや、こんなことでは駄目だ。モニカは、自分の気持ちを引き戻した。
自室のサイドテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らして、モニカは廊下に控えていた侍女のマリーを呼んだ。
「マリー、パルフェ家のお祖父様の所に行くから、支度をお願い」
「かしこまりました」
マリーは、祖父母宅への訪問にオフホワイトの上品なワンピースを選び、手際よくモニカを着替えさせていく。
「お嬢様、パルフェ家へは本日訪問の報せはお済みでしょうか」
「ええ、昨夜のうちに文を届けているわ」
モニカが祖父母に連絡を取るのは簡単だ。部屋にある水盤の水面に手紙を載せると、水に沈むように手紙が消えて、祖父母の元に手紙が届く。
「失礼いたしました」
マリーは気が利いて頼りになるが、文を言伝たり、祖父母宅への同伴を命じたりすれば、モニカの異変に気付く可能性がある。
マリーに気取られてはならない。お腹の子どものことを知る人間は最小限にしなければならない。隠し通さなければ…。
元々モニカは、公爵家で何不自由なく育った為か警戒心も虚栄心もない。身の安全は護衛がしっかりと保障してくれるし、威張らずとも周りが気遣ってくれる。要するに箱入り娘だ。あれこれと算段したり、隠し事をしたりは初めての経験で、ぼろを出さぬようにマリアンヌの言葉を一言一言思い返しながら慎重に進めなければならない。
今日、モニカは、祖父母に何もかも打ち明ける。祖父母には、必ず協力者になってもらわなければならない。
マリアンヌ・ホワイエ侯爵夫人の提案は、この三つだ。
一つ。モニカは病気療養と称して、出産、育児に必要な2年間を祖父母の元で過ごす。その間、王都の友人知人との面会は一切しないこと。
二つ。産まれた子は、ヴァルムート・ド・パルフェ、レイシア・ド・パルフェの実子として育てる。満一歳までモニカが側にいていいが、母とは名乗らない。
三つ。産まれた子が一歳になったら、ユリウスの婚約者とする。パルフェ家の両親に万が一のことがあった場合、ホワイエ侯爵家が後見人としてモニカの娘を成人まで守る。
結局、ヴァルムートとレイシアは、三つの提案を含めたモニカの願いを受け入れ、モニカを緊急で引き取った。
可愛い孫娘が相手の分からない子を身籠り、一人で産むというのだ。見捨てることは出来なかっただろう。
パルフェ家がモニカを引き取るのは簡単だった。丁度、モニカは悪阻が始まったのだ。ヴァルムートと懇意にしている医者に頼み、病名を偽りパルフェ家への療養を決めた。そうして、両親でさえ面会を謝絶した。
妊娠から十カ月後、モニカの娘は無事産まれた。愛と美の女神に由来するヴェーヌというその名を付けたのはモニカで、母から娘への最初で最後の贈り物になった。
それというのも、出産後わずか2カ月で、モニカの輿入れが決まったからだった。
それは、穏やかな午後だった。ヴァルムートとレイシアの住む北の館に、モニカと生まれたばかりの娘ヴェーヌが加わり、小さな屋敷に静かな光が降り注いでいた。
南向きの台所兼居間に(人が来れば応接間にもなる)モニカはレイシアと共にゆったりとした時間を過ごしていた。レイシアの腕の中には生まれて間もないヴェーヌがすやすやと眠っていた。
そこへ、静かに扉を開けてヴァルムートが入って来た。
「お祖父様、何か困ったことでもありましたか?」
ヴァルムートはいつも厳しい顔をしているが、それが地顔だ。心根は真っ直ぐで、類稀な魔法使いであっても、不用意に魔法で他者を傷つけたりはしない。口は悪いが、いかつい見た目に反して愛情深い。そんなヴァルムートが苦虫を噛み潰したような顔をして悪態をついた。
「モニカ、馬鹿馬鹿しい手紙が来た。お前は、どうしたい?」
ヴァルムートがモニカに差し出した手紙は、王家の印が封蝋に押されていて、封は開いていた。それから、もう一つ、王家からの手紙を同封してきたモニカの父、ルーウィツからの手紙があった。
ヴァルムートから手紙を受け取ったモニカは、父の手紙を読んだ。
王命により、ルーウィツ公爵家のモニカを、ザウツ帝国の第二王子クロイスハルト・フォン・アルトマイヤーに輿入れさせるという内容だ。ザウツ帝国からの申し出で、モニカを名指ししている。弱小のアウフ王国に拒否権はない。拒否を理由に侵略もあり得る。国の為に輿入れしてくれと、父ルーウィツが切々と綴った手紙であった。
妊娠中は、病状が思わしくないと両親に連絡を入れていたモニカだったが、ヴェーヌを出産後は、一年後に公爵家へ戻ることも考えて、病状が少しずつ回復傾向にあると、連絡した矢先のことだった。
こんなことなら、もう少し、重病人でいるのだった。モニカは、しくじったと思う。もちろん、公爵家の娘に産まれたからには、結婚の自由はないと分かっていた。しかし、今はまだ早い。今はまだ…。
「モニカ、お前が断りたいなら、どうとでもできるぞ」
ヴァルムートは、自信満々にモニカに言い放った。モニカには祖父が何を言いたいのか分からなかった。帝国に逆らうなんて、とんでもない。
生後2ヶ月の小さなヴェーヌを抱いたレイシアもヴァルムートの言葉に頷いた。
「そうよ、断る方法は幾らでもあるわ」
「お祖父様、お祖母様、それはどういうことですか?」
「魔法で、モニカの替え玉を用意してもいい。魔法でザウツ帝国の意見を変えてもいい。記憶を消すことも、呪いをかけることもできるぞ」
「一番手取り早いのは、ザウツ帝国を滅ぼすことかしら」
レイシアが事も無げに言った。
「帝国を滅ぼす⁈」
モニカは仰天した。
「大丈夫よ。一晩もあれば、ヴァルムートとわたしなら出来るわ」
レイシアはにこりと微笑んだ。
祖母レイシアの言葉が冗談でないことは、モニカにも分かった。二人の魔力は大きい。モニカには、無尽蔵に感じられる。美しいが鋭く刃のような魔力。
一方、生まれたばかりの娘ヴェーヌも、祖父母顔負けの魔力を持っていた。それは、あの一夜を共にした男にそっくりの、美しくたおやかな魔力だった。
ヴェーヌは、顔立ちはモニカに似ているが、黒髪と紺碧の瞳、それに、美しくたおやかな魔力も父親似なのだ。
祖父の「どうとでもできる」発言は、危険過ぎる。祖母の「大丈夫よ」は、もっと危険だ。
「わたくし、ザウツ帝国のクロイスハルト・フォン・アルトマイヤー殿下の元に輿入れ致しますわ」
モニカは、決心して言った。




