21 名も知らぬ恋人
「マリアンヌ様、ユリウス様の仰る通りです。…実は、今、わたくしのお腹の中に来春生まれる娘がいるのですわ」
「へっ⁈」
マリアンヌが素っ頓狂な声を上げた。まさか、そんな話だとは思っていなかったのだ。
十七歳の、婚約者もいない未婚の公爵令嬢が身籠っている?マリアンヌは聞かずにはいられない。
「失礼ですが、お相手は?」
「それが…分かりませんの」
モニカは、恥入りながらも話し出した。
「二ヶ月程前に、パーティで知り合った方です。こっそりと、お忍びでいらっしゃった様子でした。年は20歳前後で、髪は烏の濡れ羽色、深い海のような紺碧の瞳に均整の取れた体躯、穏やかでよく通る声…見た事のない方で、もしかしたらアウフ王国の方ではないのかもしれません」
マリアンヌの顔が青ざめた。
「ご存知なのですか?」
二ヶ月前にアウフ王国に滞在された黒髪碧眼のやんごとなき方といえば、ザウツ帝国の第二王子クロイスハルト・フォン・アルトマイヤー殿下に他ならなかった。しかし、当の殿下がモニカに名乗らなかったなら、一夜の戯れに違いない。伝えたところで、虚しいだけだ。マリアンヌは、目を伏せ頭を振った。
「いいえ…わたくしも、その頃にそのような方をお見掛けしただけですわ」
「そう…目を引く方ですものね」
「それで、お腹のお子は、どうされますの?」
「そう…そうね。どうしたら良いと思われますか?」
モニカは、縋るような気持ちで、マリアンヌに問い掛けた。
「そう…ユリウスと婚約させるのですものね。モニカ様のお祖父様の所へ養子に出されたらいかがですか?」
「お祖父様の…」
「モニカ様のお母様は王家のご出身ですから、王家の祖父母様では養子を受けるわけにはいかないでしょう。
でも、ルーウィツ公爵のご両親、モニカ様の父方の祖父母様ならば、失礼ですが爵位もありませんし、モニカ様のお子様の養い先に丁度良いと思いますわ。
ユリウスもホワイエ家の末子ですから、家格を気にする必要もありませんし。
それに、お住まいはアウフ王国の最北端ですし、庶民ですから、社交界で噂になることもないでしょう。しかも、お祖父様は、魔法使いの最高峰と伺っています。モニカ様のお嬢様に何かあっても、きっとその魔法で何とかして下さりますわ」
「モニカ様のお祖父様は、あの魔法使いヴァルムート様なのですね」
ユリウスは、貴公子然とした態度で、モニカに言った。
「モニカ様のお嬢様が生まれたら、僕も婚約者としてお嬢様をお守りします。だから、モニカ様は安心してご出産下さい」
ユリウスのおかっぱの銀髪が揺れ、紫の瞳がきらきらを輝く。きっと、この美しく優しい男の子は、生まれてくるわたくしの子どもを守ってくれるに違いない。モニカは心からそう思えた。
ただ途方に暮れて教会で祈っていたのは、僅か一時間程前のことだ。それだのに、今モニカは、マリアンヌとユリウスに励まされ、何もかも上手くいくような気持ちになっていた。
神様ありがとうございます。無事、娘が生まれるように見守っていてください。
再び心の中で神に祈ったモニカは、今度は途方に暮れているのではなく、前を向き、進む覚悟を決めていた。
モニカの祖父ヴァルムートは優れた魔法使いだ。しかし、貴族ではなかった。ヴァルムートは、アウフ王国が母国ゼインから独立した時の立役者だった。
パルフェは、ヴァルムートとヴァルムートの妻レイシアの故郷の村の名前だ。ゼイン王国内にある小さな村だから、知る者は少ない。ヴァルムート・ド・パルフェとレイシア・ド・パルフェ。ヴァルムートとレイシアはそのままアウフ王国でパルフェを名乗った。
アウフ王はヴァルムートに爵位を授けようとしたがヴァルムートが拒んだ。代わりに息子デュヴァインが公爵位を賜り、同時にルーウィツの家名を与えられた。魔法のルーウィツ、外交のゼルフィン、政治のシャベロン、武力のダルマンが揃い、アウフ王国の中心となる四大公爵家が出来上がった。
モニカの母は建国時のアウフ王の弟の娘、つまりは王の姪御がルーウィツ家を王家と縁続きにするために降嫁した。
モニカは、その、魔法で名高いヴァルムートの息子、デュヴァイン・ルーウィツ公爵の長女であり末子、四人の兄を持つ末娘だった。
魔法使いの魔力の多くは、血統に左右される。魔法使いの子は魔法使いだ。しかし、モニカは魔法をほとんど使えない。使えない代わりに魔力がよく「見えた」。
だから、二ヶ月前パーティ会場で、ザウツ帝国の第二王子クロイスハルト・フォン・アルトマイヤー殿下に、誰とは知らずに一目惚れした。それは、黒髪碧眼の美しい容貌のためではなく、彼の宿した魔力の美しさに一目惚れしたと言っていい。
モニカがクロイスハルトと出会ったパーティーは、アウフ王国で外交を担うゼルフィン公爵家主催のパーティーだった。
社交が苦手なモニカは、それでも、同じ公爵位をもつゼルフィン、シャペロン。ダルマンの公爵家が主催するパーティーには年に1度は出席するようにしていた。
二ヶ月前のその日、半ば義務的にパーティーに出席していたモニカは、会場で時々目の端に映る魔力を見つけ、その美しさにうっとりとした。このパーティー会場に、とんでもなく美しい魔力を持った誰かがいる。モニカの心は浮き立った。目立たぬように壁に沿って立ち、人探ししているのがバレないように、さりげなく周囲を見回した。
大体、魔力が見えるなんて、誰に言っても信じてもらえない。
いや、祖母レイシアは違った。モニカがおずおずと「魔力が見えるって言ったら信じてくれる?」と問うと、レイシアは、にっこり笑って「わたしも見えますよ。何しろ、あの人の魔力に一目惚れだったから」と、祖父ヴァルムートに視線を向けて言った。確かに、祖父ヴァルムートの魔力は美しかった。祖母レイシアと見交わして、幼いモニカは祖母と共にふふふと笑った。昔の、良い思い出だ。
女性なのか男性なのか、若者なのか老人なのか、魔力の気配だけではさっぱり分からない。でも、とてもとても心地いい。
まるで、夜明けの薄青の空に浮かぶ白い雲が、朝日の朱に染まる様子を、一人満足して眺めているような、小さな喜びに満たされる。
この美しい魔力を見ることが出来るのは、わたし一人。何という贅沢かしら。魔力を探して見渡していたときに、モニカは一人の男と目が合った。
間違いなく、あの、美しい魔力の持ち主である。モニカは、暫く見つめてから我に返り、慌てて目を逸らしたが遅かった。
モニカの視線を感じ、モニカに向かって躊躇いなく足を進め、男は、モニカの前で立ち止まった。
男は、一言も発せずにモニカに手を差し出した。モニカも、何も言わずに男の右手に自分の左手を載せた。
そのまま、軽やかな足取りでホール中央に踊り出て、三曲立て続けに踊った。今、出会ったばかりの、名も知らず、言葉も交わさず、ただ踊るだけの二人だったが、多分、周囲の人達には、仲の良いカップルが踊っているようにしか、見えなかっただろう。
美しい魔力を目の前にして、モニカは、自分でも抑え切れない興奮と、隠しきれない嬉しさを全身にたたえていた。男は、最初、モニカの様子にわずかに怯み、警戒しながら、けれど、一曲目のダンスが終わる頃にはモニカから手を離すことが出来なくなっていた。三曲目のダンスが終わったときには、繋いだ手を離すことなく礼を交わし、そのまま二人でパーティーホールを後にした。




