17 新しい夫
サッシャは、チェルシーを抱き上げた。
「ユリウス様、ルゼ様、お迎えありがとうございます。城へ戻りましょう」
サッシャは、ユリウスへの恋慕を吹っ切ったようだった。
「愛を込めたキスは、わたしには無理だね」「わたしは夫人がずっと豚でも構わない」ユリウスはそう言った。
サッシャの気を引きたいわけでもなく、意地悪を言いたかったわけでもない。ユリウスは、ただ思ったことを言っただけ……だからこそ、サッシャは吹っ切れたのだろう。
「サッシャ様、侯爵邸には、もうお一方いらしています。サッシャ様への面会人ですわ。ヴェーヌ様もよろしければお立会い下さい」
ルゼはそう言って、先に立って勝手口の扉を開けた。
ヴェーヌはもう城の何やかやに首を突っ込む気はなかったが、ルゼに続いて、その場にいたサッシャもユリウスも扉をくぐったので、釣られて扉をくぐった。
扉の向こう側、つまりはホワイエ侯爵邸のユリウスの部屋には、見知らぬ男が立っていた。誰だろうか?
「わざわざ、家まで来てくれたのですか。ありがとう」
ユリウスが嬉しそうに男に声を掛けた。覗き込むヴェーヌに、ユリウスは男を紹介する。
「ヴェーヌ、こちらは、新しいホワイエ侯爵となるアイズ・パーリッシュ卿だよ」
アイズ・パーリッシュは、見た目の平凡な男だった。栗色の髪と目に柔和な面差し、中肉中背だがややお腹が出始めている。年齢はユリウスと同じ三十代半ばだろうか。二人で並ぶとユリウスの美しさが際立つ。アイズが醜いというわけではないが、月とスッポン、天と地ほどの差がある。
「アイズ!」
声を上げたのは、サッシャだった。
「やあ、サッシャ。久しぶりだね」
アイズは嬉しそうにサッシャを見つめた。
「まさか、わたしがホワイエ侯爵家に入ると聞いて名乗りを上げたんじゃないでしょうね」
サッシャらしくない。言葉が刺々しい。
「偶然だよ。でも、君が僕の妻になってくれるなんて、僕は幸運だ」
一方、アイズは、そんなサッシャの様子も慣れている風で、嬉しそうに対応する。
「そんなこと言ってないわ。あなたの妻にはならないわ」
「ホワイエ侯爵家を支えるに自分は適任だと言っていたぞ」
ヴェーヌが横から口を出す。もし、サッシャがアイズに嫌悪感丸出しで、本気で嫌だと言っていたら、ヴェーヌも口出ししなかった。しかし、サッシャは、複雑な表情だ。一方、アイズはこの結婚に乗り気らしい。しかも、二人は知った間柄のようだ。
「サッシャ、お前、アイズがお前に相応しいか見極めたくはないか?」
ヴェーヌは、サッシャの気持ちが知りたかった。サッシャは、先程まではユリウスに夢中だったが、本来はそんな軽率な女性ではないと思う。一度は嫁ぐと言い切った手前もあり、侯爵家に相応しい相手なら、余程性格に難のある相手でなければ、この結婚を受けるだろう。
どうせなら、好きな男に相思相愛で嫁がせたい。ヴェーヌはサッシャとは赤の他人と言えばそれまでだが、ユリウスが、サッシャとアイズの結婚は当然といった顔をしているのが気に入らない。モテる男の無神経さは、恋に夢見る女性を簡単に傷付ける。
ヴェーヌは一つ、サッシャの気持ちとアイズの愛を試そうと考えた。
「わたくしに相応しいか見極める?」
サッシャは、不思議そうな顔で聞き返した。
「そうだ、アイズはお前の伴侶に適任か。アイズに嫁いでお前が幸せになれるか、試そう」
「どうやって試すというのですか」
サッシャに問われて、ヴェーヌはにこりと笑った。
「こうやって、試すのさ!」
ヴェーヌがぱちんと指を鳴らすと、再びサッシャは豚になった。そして、同時にサッシャの周りにサッシャに似た豚が九匹、突如その場に現れた。
ユリウスが渋い顔をする。
「豚十匹は多いよ。部屋がぎゅうぎゅうだ」
アイズは驚いて、ぽかんとしている。
「ママ」
チェルシーは、学習していて、キスでママを人間に戻そうと、目の前の豚に手を伸ばした。
「おっと」
せっかく豚にしたのに、すぐに元に戻されてはたまらない。ヴェーヌは、チェルシーを抱き上げた。
チェルシーは一瞬驚いたようだったが、すぐにヴェーヌの腕の中が気に入ったようだった。
「ママ、ママァ」
チェルシーは、ヴェーヌの腕の中から、豚のサッシャに手を振る。
ブヒッ
「チェルシー、すまないが、今はママに声を掛けないでくれ」
驚いたことに、チェルシーは十匹の豚の中からサッシャが分かるようだ。
しかし、幸いなことに、チェルシーには、まだ話せる単語が数えるほどしかない。「ママ」「あっち」「だっこ」くらいなものだ。そして、こちらの言うことは理解できるらしい。
「なぜ、声を掛けてはならないの?」と言う眼差しで、チェルシーは、ヴェーヌを見つめた。
かわいいな。ヴェーヌは、チェルシーの愛らしさに、珍しくにこにこしながら説明する。
「ママはね、パパに見つけてもらうんだ。どの豚さんが、ママかな?パパは分かるかな?見つけたらチェルシーみたいにキスしてあげたら、元の姿に戻れるよ」
「分かる」
そう言ってチェルシーはサッシャを指差そうとしたが、ヴェーヌがそっとチェルシーの手を握った。
「内緒だよ。パパが当てるからね。見てて」
「あい」
舌の回らぬ口で、チェルシーは「はい」と答えた。
ヴェーヌとチェルシーの会話を聞いていたユリウスは「それは良い考えだ」と言う風に笑顔になった。ルゼは少し呆れ顔で、アイズに至っては困惑顔だ。
「さあ、パーリッシュ卿、この中からサッシャ殿を見つけてキスして下さい。そうすれば、サッシャ殿はあなたの誠意が分かり、快く結婚に応じるでしょう」
「ええっ⁈」
ユリウスの部屋一杯に、ぎゅうぎゅうに立つ十匹の豚に、アイズはどうしていいか分からない。
「ちょっと、ここでは窮屈ですね。ヴェーヌ、中庭にみんなを移動させることはできるかな?」
ヴェーヌは、ユリウスの依頼に何の返事もせずに、左手の人差し指をくるりと回した。瞬間に、十匹の豚とそこにいたみんながいっぺんにホワイエ侯爵邸の中庭に移動した。




