18 十番目のサッシャ
魔法で移動したヴェーヌ達は、吹きさらしの廊下に立ち、ホワイエ侯爵邸の寂れた中庭を眺めていた。さすがに長いこと家主不在の中庭は、小さな噴水は干からび、石畳を覆うように丈の高い草が生え、手入れが行き届いているとは言えなかった。
三方を屋敷の壁で仕切られ、一方だけが屋敷と繋がる吹きさらしの廊下に面した広く四角い中庭では、十匹の豚が体の半分を草に埋もれさせながら、丸い薄桃の背中をあちこちから覗かせていた。
「さぁ、パーリッシュ卿、この中からサッシャだと思う豚に口づけをして下さい」
「えっ⁈あっ、はい」
アイズは、事態を把握できていない。しかし、やらねばならないと覚悟したのだろう。
「口づけをする前に、必ず名前を呼んで『愛してるよ』と言ってあげて下さい。告白してから口づけをしないと魔法は解けません」
ユリウスがさらりと条件を付け加えた。本当は口づけだけでいいが、心に思っていることは、口にしなければ伝わらない。当たり前だが、ユリウスの言う通り、アイズには告白もしてもらおう。ヴェーヌも頷いた。
ブヒッ
早速、アイズの足元に豚がやって来た。サッシャが耐えかねて、早く魔法を解いてくれと言っているのか。
「サッシャ?君かい?」
アイズは豚と向かい合った。
「サッシャ、僕は君を愛しているよ。僕と結婚しておくれ」
ブヒッ
静かな中庭に、アイズの声が響く。ユリウス、ヴェーヌ、ルゼとルディウス、チェルシー、それに九匹の豚が見守っている。いや、ルディウスと豚達は出来事に無関心のようだ。
アイズは目の前の豚にゆっくりと口づけした。
ブヒッ
暫く待っても豚は豚のままだ。愛が足りないのか?もっと口づけないと駄目か?
アイズは再び口づけしようとしたが、ユリウスが止めた。
「それは、サッシャじゃないよ」
「えっ⁈あの…」
アイズは、ユリウスと豚を交互に見遣った。
「パーリッシュ卿、あなたは間違えたんですよ。ヴェーヌ、その豚の魔法を解いてあげて」
ユリウスに言われて、ヴェーヌは、左手の人差し指をくるりと回した。
すると、アイズの目の前の豚は、ポポンと音を立てて、スラリとした鹿の姿に戻った。
鹿は、ヴェーヌのところにやって来て、挨拶するように頭を下げた。
「ああ、お疲れ様。北の森に戻るといい」
そう言って、ヴェーヌは魔法で鹿を北の森に帰した。
「鹿?鹿か…」
アイズはあからさまにがっかりした様子だ。
「ここにいる豚は、サッシャ以外はみんな北の森に住む動物だ。人間の女性では、色々とまずいだろ」
そう言いながら、ヴェーヌもがっかりした。まさか、アイズが間違えるとは思っていなかったのだ。しかし、魔法を掛けたヴェーヌ自身も、解いてみないとどの豚がサッシャか分からない。
「まだ九匹の豚がいますよ。諦めずに探して下さい」
ユリウスがにこりと笑ってアイズを促した。
「はっはい!」
今度は、アイズも用心深く豚を眺めた。豚一匹一匹をじっと観察して、中でも小さ目の可愛らしい仕草の豚を選び出した。
「サッシャ、間違えてごめん。今度こそ君だろう?」
アイズが手を差し伸べると、豚はアイズの手の匂いをくんくんと嗅いだ。アイズは、確信した。これがサッシャに違いない!
「サッシャ、愛しているよ。僕と結婚しておくれ」
そして、目の前の豚にそっと口づけた。
……
やはり、何の変化もない。
ヴェーヌは黙って目の前の豚の魔法を解く。今度は可愛らしい白兎だ。ヴェーヌは黙って北の森へ帰した。
ヴェーヌは内心どきどきしていた。もしも、魔法を解いて、それがサッシャだったら、それはアイズの愛の告白が偽りだということだ。自分が提案したこととは言え、心臓に悪い。まさか、娘のチェルシーに分かって、アイズに分からないとは思わなかったし、更に愛がないとなれば、サッシャはどれだけ落胆するだろう。がっかりさせたくて魔法を掛けたのではない。
呆然とするアイズに、ユリウスは更に優しい笑顔で促す。
「さあ」
アイズは真剣な表情だ。豚は残り八匹。
次の豚は、栗鼠だった。その次は、狐だった。その次は、イタチ、穴熊、狼、山羊、子熊……。
最後に残ったのは、中庭の一番端、アイズやヴェーヌ達の立つ吹きさらしの廊下から、一番離れたところに背を向けて佇んでいる豚だった。
当たり前だが、もう他に豚はいない。これは、必ずサッシャのはずだ。アイズは、中庭の奥の豚のところまで進んだ。豚は気配を察して右へ移動した。アイズが追う。豚は壁に沿って吹きさらしの廊下の方へ草をかき分けて進む。
「待ってくれ!サッシャ!ごめんよ!間違えてごめん。でも、僕は君と結婚したいんだ!僕は君を愛してる!」
ほとんど、追いすがるように、アイズは、逃げる豚の背中に口づけをした。
ポポンと魔法が解けた。アイズはサッシャを背中から抱きしめる形になっていた。アイズの腕の中で、くるりとアイズに向き直ったサッシャは、泣きながら怒鳴る。
「何でわからないの?娘はすぐにわたくしだって分かったわ」
「いや、それは……ごめん」
「大体、あなたは昔、わたくしから婚約を持ち掛けても断ったじゃない!」
「それは、七つのときだろう。」
「わたくしが、十五も年上のハウンゼンと結婚することになっても止めてくれなかったじゃない!」
「それは、僕もまだ、十六歳だったし、三男で財産もなかったから……自信がなかったんだよ。でも、サッシャのことは、ずっと、好きだった。生まれた時からお隣同士で、いつも一緒に過ごして、ずっとずっと好きだった。だから、この年まで君を忘れられなくて結婚できなかったんだ」
サッシャがアイズを涙目で睨む。
「サッシャ、愛しているよ。僕と結婚しておくれ」
サッシャが険しい顔で睨む間、アイズは目を逸らさず、じっとサッシャを見つめた。優しい、優しい目で。
どれほど待っただろう。眉を下げたサッシャは、躊躇いながら口を開いた。
「し……仕方ないわね。わたくし、陛下に妻としてホワイエ侯爵家を支えると約束してしまったのだもの」
「ありがとう」
今度は、ゆっくりと、アイズがサッシャに口づけをした。
ヴェーヌの腕に抱かれたチェルシーが、するりと腕から降りて、サッシャの元へ歩いて行った。
「ママ」
チェルシーがサッシャのスカートの裾をひっぱる。
「ああ、チェルシー」
サッシャがチェルシーを抱き上げる。
「チェルシーと一緒にホワイエ侯爵家に入りますわ。よろしいでしょう?」
「ああ、もちろん。この子はサッシャの小さな頃とそっくりだね」
「パパ」
「ああ、チェルシー。よろしく」
アイズがサッシャからチェルシーを引き受けて、軽々と抱いた。
これでサッシャは幸せな結婚ができるだろう。ヴェーヌはほっとした。
そして、ふと、思った。もしかしてユリウスはサッシャとアイズの関係を知っていたのだろうか?悔しい気持ちを隠し、ヴェーヌは二人を祝福した。




