14 爵位譲渡と花嫁譲渡
ヴェーヌとユリウスは、王城の奥にあるジールの執務室に案内された。
「掛けてくれ」
ジールは、中央に置かれた長椅子を二人に勧めた。ユリウスが長椅子の中央より少し右に座ると、ヴェーヌは、ユリウスから間をとって、長椅子の左端にぴったりくっついて座った。
「ヴェーヌ」
優しく静かにユリウスがヴェーヌの名を呼んだ。憮然とした表情でユリウスを見たヴェーヌは、渋々少し腰を上げ、僅かに右にずれた。
「ヴェーヌ」
またも、ユリウスが優しく静かにヴェーヌの名を呼んだ。ヴェーヌもまた、渋々少し腰を上げ、僅かに右にずれた。
「ヴェーヌ」
三度目にユリウスがヴェーヌの名を呼んだとき、それは変わらず優しく静かであったが、ヴェーヌは観念したように、しっかりと腰を上げ、ユリウスの横にきちんと並ぶように座り直した。
親子ほどの年の差はなく、しかし恋人同士と言えるほど年近くはない。年の離れた兄妹か。ジールからすると、ユリウスとヴェーヌのやり取りは親密に見えるが、だからと言って、この関係に名前を付けることは難しい気がした。ジールは、小さく咳払いをしてみせた。
こほん
「ユリウス・ホワイエ卿、ホワイエ侯爵家を継ぎホワイエ侯爵領の統治を命ずる」
ジールの言葉に、執務室で待ち構えていたウィンストンがユリウスの目の前のテーブルに勅命書をさっと置いた。
ウィンストンは、ジールの側近であり、ジールの執務を助ける補佐官だ。年の頃もジール王より三つ上で、これまでは、ジールの兄王の補佐官をしていた。そつなく、賢い男だ。
「仰せのままに」
執務室の長椅子にどっかりと座って言う台詞ではないが、ユリウスは軽い調子で勅命書を受け取った。
「陛下、爵位と領地の譲渡の許可をお願い致します」
ユリウスは、これもまた軽い調子だ。ウィンストンがユリウスを睨む。が、ユリウスはウィンストンに一瞥もくれない。真っ直ぐにジールを見ている。
爵位や領地を欲する者は多いが、爵位や領地を手放そうとする者は稀だ。普通は領地経営に失敗し困窮するか、醜聞から逃れる為に泣く泣く手放すものだ。
ユリウスの隣に大人しく座っているヴェーヌには、分かっている。ユリウスはただ、ホワイエ領の領主の仕事をしたくないだけだ。
「誰に譲るのだ。それに、何故?」
ジールが静かに尋ねた。
「わたしは元々、ホワイエ侯爵家の三男で、領地経営のやり方も教わっていません。アイズ・パーリッシュに譲ります。彼が適任です」
ジールが思案していると、横からウィンストンが口を添えた。
「陛下、わたくしも、ホワイエ卿の意見に賛同致します」
「そうか。…そうだな、許可しよう」
ジールの許可にユリウスはにっこりと笑顔を作って言った。
「領地と領民のためにも、花嫁のためにも最善です」
「花嫁?」
ジールがユリウスの言葉を聞き返したその時、執務室の扉がノックされた。
「陛下、サッシャ・ハウンゼンです。お話ししたいことがあり伺いました。よろしいでしょうか」
ジールは、また来たか…と思ったが、同時にユリウスの言った「花嫁」に思い当たった。
「入れ」
ジールの許可を得て静々と入って来たサッシャは、ジールの前で静かに礼をする。
「何用だ」
「陛下、只今、新しいホワイエ侯爵が決まりましたこと、お慶び申し上げます。わたくしが、本日、ホワイエ侯爵邸で申し出た件を覚えておられますか?」
「ああ、ホワイエ侯爵の妻として侯爵家を支える件だな」
「ええ。許可と王命を頂きたく存じます」
サッシャは、背筋をぴんと伸ばし、自信満々に願い出た。
「いいのか」
「ええ、わたくしの侯爵夫人としての経験を活かし、夫に尽くし、ホワイエ侯爵家を盛り立ていきたいと存じます」
「ユリウス卿、どうだ」
ジールはユリウスに問うた。
「それがよろしいかと」
ユリウスの言葉に、サッシャは顔を輝かせた。
「ユリウス様!ありがたきお言葉にございます」
この強引さ、この身勝手さ…ジールとて、サッシャが侯爵家の心配をしているのではなく、ただ単にユリウスと結婚したいだけなのは分かっている。しかし、ユリウスは無関心だ。もし、サッシャに好意があれば新侯爵はアイズだと伝えるだろう。
ジールは、サッシャにはお灸を据えてやらねばならないと考えた。
「では…サッシャ・ハウンゼン、其方に新しいホワイエ侯爵との婚姻を命ずる」
ジールがそう言うやいなや、ヴェーヌが立ち上がった。
「何を言ってる⁉︎違うだろう」
驚いたのはサッシャだ。せっかくユリウスの妻の座を射止めたというのに、何故、北の魔女が邪魔をするのか。
「サッシャは、ユリウスと結婚したいだけだ。ホワイエ侯爵と結婚したいわけじゃない!」
「北の魔女様、何をおっしゃるのですか!わたくしはホワイエ侯爵家のことを第一に考え…」
もしも、ユリウスがハウンゼン侯爵未亡人の愛人なりたいと言えば、サッシャは喜んでそうするだろう。侯爵家なんて言い訳なのはみんなが分かっているはずだ。ジール王もユリウスも、意地が悪すぎる!ヴェーヌは、頭に血が上る。
「うるさい!黙れサッシャ!」
「いいえ、黙りませんわ。わたくしがホワイエ侯爵夫人となるのです!そうですわね、陛下?そうですわね、ユリウス様!」
ジールは二の句が告げずにいた。
「そうだね。サッシャ殿はホワイエ侯爵の妻に相応しい」
ユリウスはしっかりと肯定した。
嬉しさに興奮しているサッシャに、ヴェーヌの言葉など伝わらない。
「陛下!婚姻の勅命書をお書き下さい!」
サッシャがジールに詰め寄る。手際の良いウィンストンは婚姻勅命書をテーブルの上にさっと置いた。
サッシャは、そこに自分の了承のサインをしようとする。ヴェーヌが立ちはだかり、サッシャを押し止めた。
「だめだ!サッシャ!」
「わたくしの邪魔をしないで!」
「ヴェーヌ」
ユリウスがヴェーヌの名を呼んだ。ヴェーヌは、内心「それは、反則だ」と思う。ユリウスの頼みは聞き入れたい。
しかし、幾らサッシャがしつこいからと言って、ユリウスを本気で慕っているサッシャに、これは酷い仕打ちだ。婚姻勅命書にサインなんかさせられない!
ヴェーヌはサッシャの腕を掴んだまま素早く魔法を唱え、サッシャと共に執務室から姿を消した。




