月光・・・いつだって私たちはその優しさに気づかない⑪
電話の着信を告げるバイブに気づいたのは、アルバイトから帰ってフライドチキンをアテにビールを飲んでいるときだった。
和彦?!
と胸が高鳴る。やっと電話できるまでに回復したのか?と思った。
でも違った。
テーブルの上の携帯は、かつて同僚だった上原さんの名前を表示していた。
60歳前後で面倒見のよかった上原さんは、横須賀の地元で資料館か何かの館長さんをしている。編集部だった他のみんなも、それぞれの人望や実力でほどよい転職先で働いていた。
紹介してもらって職にありつけなかったのは私くらいのものだ。
「やー、久しぶり。暑いけど元気?」
年齢のわりには上に見られる、人の良さそうな上原さんの笑顔が浮かぶ。素人だった私に本づくりの一から教えてくれたのも上原さんだった。
「元気ですぅ。アルバイトもいろいろやっているんですけど、この頃ちょっと楽しいかな、なんて」
私はしっぽをブルンブルン振り回すような勢いでそう答えた。
「そりゃよかった。前に紹介した出版社、エマちゃんには合わなかったみたいで悪かったと思っているんだよ」
「そんなことないです、私の能力不足で」
上原さんはそんな優しい言い方をしてくれるが、紹介してもらった出版社に落ちたのは完全な私の能力不足だった。大学を卒業できなかったのがいけないのかもしれないし、一般常識の点数が足りなかったのかもしれない。
上原さんは知り合いが働いているという中堅どころの出版社を紹介してくれた。「フリーパスというわけにはいかないから、筆記試験受けてみて」
と言われ、受けたのはいいけど合格できなかった。
実は他にも紹介してくれた人がいたが結果は同じ。
上原さんたち紹介してくれた人に申し訳ないし恥ずかしかった。
また恥ずかしさよりも深刻だったのは、私の中の自信というものが木っ端微塵に吹き飛んだことだ。
編集の仕事をしていることで、ある程度関係する会社の人やフリーの人にはちやほやされたように思う。自分は賢い、なんて思い上がりもどこかにあった。
しかし、本当はたまたま運がよかっただけで、私ぐらいの仕事をする人なんか星の数ほどいて、仕事の肩書がなくなった私は中身のない空っぽな人間、そんな思いが私自身を苦しめた。
それによって引き起こされる底なし沼のような無気力を自分ではどうすることもできなかった。
そう、ごく最近まで。
「電話したのはね、仕事の紹介なんだ。アルバイトが楽しくなって、それはそれでいいと思うんだけど、ほらエマちゃん、本づくりが楽しいって言ってただろ。知り合いがやっている会社がいろんなことやってて、これから本も作りたいっていうからエマちゃんにどうかなって」
「ありがとうございます。気にかけてもらって。でも3回落ちてるし、また落ちたら上原さんにも悪いし」
落ちました、とみじめに報告する自分を思い出していた。
「いやいや、今度は落ちるってことはないと思う。情報誌作ったり、いろんなサイト運営したり、留学生の紹介もしている会社なんだかけど、本づくりの即戦力になる人だったら絶対大丈夫。企画からやって欲しいみたいだからやりがいもあると思う」
「そんな会社あるんですか? なんかワナあります?」
「ワナってわけじゃないけど、実はその会社、マレーシアにあるんだよ」
「だったら余計競争率高いじゃないですか。今はマレーシアに就職したがる若者も多いというし」
「でもそういう子たちには本づくりのキャリアなんかないわけで。エマちゃんは編集10年のベテランだし。頑張ってきた仕事のキャリア生かせるし、住む所も会社が世話してくれるし悪い話しじゃないと思う。実は社長が僕の息子の友達で、スタッフも若いから楽しくやれると思うよ」
編集の仕事はほとんどあきらめていたので、またできる可能性があると思うと飛びつきたい気持ちだった。もし日本の会社だったら即OKしていただろう。
しかし、マレーシア?
「すごくいいお話しなんですが、考えさせてもらっていいですが。会社が海外ってなると自信が、、、」
「そっか、防犯とかの面でやっぱり考えるよね。女の子だと特に。返事は2、3週間待ってもらえるみたいだから考えてみて。あっ、僕の立場なんてのはぜんぜんいいからね」
上原さんは元社長の近況をした後で電話を切った。
最後まで「みんなに悪い」と言っていた元社長は体調を崩して熱海で静養しているという。
「気持ちが体に及ぼす影響って大きいんだろうね」と上原さんは言っていた。
私もそう思う。
電話を切って私は考え込んだ。
道が開けたような気がするがその道は簡単ではない。
海外旅行さえしたことのない私に、マレーシア会社で働くことなんてできるのだろうか?
おまけに私は超ビビリだ。
先々のことまで想像して止めてしまうこともなきにしもあらずだった。
マレーシアは先進国と言っても良く日本人が多く住み、人も優しいと聞くけど、防犯とか医療の面では日本が勝っているような気がする。それに熱帯地方は大きな虫がたくさんいそうだ。旅行ならいざ知らずそんなところで生活できるのか?
英語だってたまに思い出したように勉強はするものの不便なく会話できるまでには至っていない。作る本の中身は日本語にせよ、取材その他で英語は絶対必要だろう。
もし私が使える人間じゃなかったらいろいろな人に迷惑がかかる。
でもマレーシアでは多くの若者が勉強したり働きに行っている。
和彦だってマレーシアよりも危険なイメージがあるアメリカに行った。
いや、和彦とかそういう人たちは能力や自信が私とは段違いなのだ。
でも、ここで行かなかったら二度と本づくりができるチャンスはないかもしれない。
しかし、やはり私には手に余る仕事でうつ病にでもなったら、、、、
堂々巡りするばかりでマレーシア行きは一向に決論がでそうになかった。
まぁ、いいや、まだ猶予はある。ゆっくり考えよう。
和彦から電話があったら相談してみるのもいいかもしれない。
和彦だったら何というだろうか? やはり挑戦した方がいいよと言うだろうか?
「自分がの日本に帰ったときにエマがいなくて寂しい・・・」なんてことは決して言うタイプではない。
ここでもし私がマレーシア行きを選んだら私と和彦の道は大きく二つに分かれてしまうんだろうか?
私たちは恋人関係でもないし、それぞれの仕事のことが一番になるのは目に見えている。
和彦が学生時代に私のことが好きだった、かもしれないことは真偽がわからないままだし、
めっちゃ和彦からの電話を待っている自分がいたりして、ぞの自分の気持ちが自分でもよくわからない。
こんな状態で、もう会える機会もなくなるかもしれないなんて何だかやりきれなかった。




