大団円
「依子、どうしますか?」
藤子さまが優しく訊いた。
「呪縛から解放されたいです。正直、自分の感情が分からなくて苦しいんです。
でも、あの機械だけは、嫌」
「正直で良いお返事です」
藤子さまが、紫に向き直った。
「覚えていますか?あなたが従う二条家の一族に優先順位があることを」
「はい、覚えています。
博士よりヒカルが上。ヒカルよりお父さまが上。お父さまより藤子さまが上」
何だって?
つまり、久光氏と博士は、藤子さまに譲ったのだ。
卵子を提供させて、意に添わない形でクローンを作ったことから、藤子さまを形式上第一位に据えたのだ。
「よく覚えていましたね。つまり、私が、第一位の命令権者です。でも、私より優位な命令権者がいましたね。
誰だか分かりますね?」
紫がコクリと頷いて、熊五郎を抱きしめる。
そんな紫に藤子さまが優しい声で命じた。
「命じます。あなたが熊五郎と出会った日を思い出しなさい。
まだ、あなたに、二条家への絶対服従が入力されていなかった頃です」
「はい」
「あなたは、泣いていました。ベッドの中で。
博士達に意地悪なことをされて、独りぼっちで泣いていました。
誰か来ましたね」
「はい。良い匂いのする風が吹いて、女の人が来ました。
その人は、ボクを抱きしめて、熊五郎をくれました。
藤子さま?あれは、藤子さまだったの?」
「ええ。私です。あなたには辛い思いをさせました。
あの時、熊五郎が、僕の声を覚えているようにと言いました。
思い出せますか?」
「はい。何があっても、僕が助けてあげるから、僕の声を覚えておくようにって」
「結構です」
満足そうに頷くと。声の調子を変えた。
アニメに出てくる人外のマスコットか可愛い動物なんかの声のようだ。そんな声で平然と言ってのけた。
「熊五郎が命令するよ。二条家の命令なんか聞かなくて良んだ。光のために働きたいなら、そうすれば良い。でも、それは、強制じゃない。君がやりたいかったら、やれば良いってだけだ」
「熊五郎の声。熊五郎の……」
「もう一度、僕が命令するよ。二条家の命令なんか聞かなくて良いんだ。無視しても良いんだ」
光も久光氏も呆然としていた。
それほど、意外な展開だった。
藤子さまは、今日のことを見越して、二条博士が紫の深層心理に呪縛をかける前に、熊五郎の声を最優先に受け入れるよう入力しておいたのだ。
紫が大きな息を吐く。
ゆっくり一同を見渡して、嬉しそうに藤子さまを見つめた。
藤子さまは小さく頷いて紫を抱きしめた。まるで母親のように。
「可哀想な子。可哀想な子」
藤子さまの小さな声が、聞こえた。
「独りぼっちじゃなかった。いつも熊五郎がいた」
「そう。それに、私の他にもう一人、あなたを気に掛けてくれた人がいるでしょう?
その人は、あなたに笑うことを教えてくれました。
私は、嬉しく思っています」
「ヒカル……?」
「その人は、あなたとの結婚を望んでいます。
でも、それは強制じゃありません。
あなたは、まだ若いのです。惟光さんもあなたに好意的ですし、これから、外の世界で活躍すれば、大勢の男の人があなたを見初めるでしょう」
「そうだ。惟光とか言ったな。
お前が依子と結婚すれば良いんじゃ。
じゃなきゃ、他の誰でも良い。
光だけはダメじゃ」
久光氏が横から口を出した。
光が、慌てて久光氏を押しのけた。
「紫。私が悪かった。傲慢だったんだ。
君に二条家の呪縛があったように、私にも君が絶対拒まないという慢心があったように思う。
もう、無茶はしない。君が大人になるまで待つ。だから、一生傍にいて欲しい」
「それって、プロポーズですか?」
俺が茶化すと、久光氏が怒鳴った。
「違う!ビジネスの話じゃ。
大体、人間の光がクローンの機嫌を取ること自体おかしいじゃろ?」
「依子は、クローンではありません」
藤子さまが、ピシャリと言った。
全員、唖然とした。
「二条博士のような無能な方に、人間のクローンなんか作れるはずがないじゃないですか。
しかも、たった一回のチャンスでものにしたのです。
あり得ないと思いませんか?」
「だが、お前も見ておったじゃないか」
「ええ、見ていて、あのガラスの保育器の中のベビーが死んだとき、遠縁の娘が産んだ子と入れ替えたのです。
これ以上、卵子の提供を求められるのが、研究の実験材料にされるのが、嫌だったから」
「それが本当なら……じゃあ、依子は……」
「そうです。人間です。
でも、博士はご存じありません。
ご自分が作ったクローンだと思って、いろいろな検査をしたり、知識を入力したりしました。
あの時は焦りました。
生身の子供にあんなことをしたら、発狂するかもしれません。助手に言い含めて、電圧を下げさせました。
それでも、依子にとっては拷問だったでしょう。
依子には、可哀想なことをしました」
しばらく、沈黙があった。
「依子は、未成年じゃ。それに、ウチの家族じゃ。近親者の結婚は許されん」
久光氏の最後の抵抗だった。
「依子は、ウチの子ではございません」
藤子さまの声が遮った。
一同、藤子さまをマジマジと見た。美しいだけに、ものすごい迫力だ。
「覚えておいでですか?
あなたは、依子を養子になさいませんでした。
私も養子にいたしませんでした。
ですから、依子は、ウチの子ではございません」
この人、どっちの味方なんだ?
「藤子、お前……」
久光氏が絶句した。
しばらくして、ようやく声を取り戻して、真っ赤になって叫んだ。
「最初から、そのつもりじゃったのか?
ワシを騙したのか?」
「騙してはおりません。
あの頃の私には、あなたに逆らう力がございませんでした。
ただ、私にも意地があったと申し上げておきましょう」
ふわりと笑って言った。
「久光さま、依子のことは光さんに任せて、そろそろ大統領選の準備を始めましょう。
光さんが、知事選に勝てば、あなたの有利に働きます。
光さんには、依子や惟光さんが付いているのです。上手に立ち回ってくれるはずです。
多分、依子も光さんのブレインとして働くことに生き甲斐を感じているはずです。
私があなたのブレインとして働くことに生き甲斐を感じているように」
衝撃の事実!紫は、クローンではなかった。
これで光は紫と結婚できます。
でも、惟光は、振り回されるだけ振り回されて、かわいそうな存在になります。がんばれ、惟光!




