エピローグ
家族会議が終わって、光が紫の手を取った。
紫が恐る恐る光を見上げて、小さな声で訊いた。
「本当に、ボクみたいなので良いの?」
「君じゃなきゃ、嫌なんだ」
光が、包み込むように見つめた。
二人は静かに見つめ合い、寄り添うように帰って行った。東棟のあの部屋へ。
甘っ!砂糖を吐きそうだ。
クソっ。結局、元鞘かよ。
もしかして紫を手に入れることができるんじゃないかと期待した俺がバカだった。
俺の淡い思いは、気付いてすぐ消えてしまった。
最初から結末が決まっていたのだ。
だったら、俺を交ぜなければ良いのに。
俺の純情は、どうしてくれる?
お前等、恋をするならそっちで勝手にやってくれ!
俺を交ぜるんじゃない!
喉まで出かかったセリフを飲み込んだ。
何てったって、ボスと上司だ。
小心者は、長いものに巻かれるしかないのだ。
今に見ていろ。
俺だって、可愛い恋人を作ってやる!
そうして、ボスや上司に見せびらかしてやるんだ!
固く心に決めて席を立とうとして、とんでもないことに気が付いた。
久光氏が退席した後で、藤子さまに歩み寄って声をかける。
「藤子さま。教えていただきたいことがあるんですが……」
「何か?」
辺りに誰もいないのを確認してから、恐る恐る切り出した。
「紫がクローンじゃないって、おっしゃいましたね」
「ええ、そう申し上げました」
「そんなにタイミング良く赤ん坊が手に入るんでしょうか?」
こちらの意図が分からないというように、小首を傾げる。
演技だとしても、その美しさに息をのむ。
負けてたまるか。ここは、確認しなきゃだ。
「実験中のクローンのベビーが死んだ時、遠縁の娘の子で、しかも、産んだ娘はすぐに死んだ。そんな都合の良い話って、あるんでしょうか?」
「あったのです」
「でも、博士が何と言うでしょう?
あの子は、自分が作ったクローンだって、ぶちまけないでしょうか?」
「人のクローンを作ることは、認められていないことです。刑法上の規定はなくても、犯罪に近い行為です。
博士がそれをぶちまけたら、自分で自分の首を絞めることになります。あり得ません」
「じゃあ、久光氏は?」
「もっと、あり得ません。
あの方の政治生命を絶つことになります。
あの方は、せいぜい、依子が若すぎるとか、どこの馬の骨か分からないとしか言えないのです」
「俺が気付いたのに、ジュニアや紫は気が付かなかったんだろうか?」
藤子さまは、艶やかな微笑みを浮かべて言った。
「あの子達も、疑っているかも知れません。
でも、言いふらす必要はないのです。
依子はクローンじゃないのです。
結構なことじゃありませんか。
政治家は嘘をついてはいけません。
でも、言わなくて良いことは、無理に吹聴しなくても良いのです。
依子が何であろうが、光さんは自分に依子が必要なことに気付いたのです。
そのために、この四ヶ月の時間が必要だったのです。
依子も、二条家の呪縛から解放されて、なお、光さんを好きだと悟ったのです」
突然、以前映画で見た潜水艦の戦闘シーンを思い出した。
潜水艦が魚雷を見当違いな方向に発射する。そうして、その魚雷の進行方向に相手の潜水艦を追い込むのだ。
光に、紫に手を出すことを禁止する。
何も言わなければ、十歳も年下だ。何事も起こらなかっただろう。
それなのに、あえて約束させることで、逆に意識させた。
更に、周りに対しては、一貫して紫に対する無関心を装い、ただ一つの関心事は、自分の分身ともいえる紫を男達の慰みものにすることを許さない、と言い切った。
そうやって、光や久光氏を追い込んだのだ。
存在してはいけないものとして生まれた紫に、次期当主である光の圧倒的な庇護を与えるために。
光は、藤子さまの戦略に気付いただろう。
だが、気付いても、なお、紫が好きなのだ。
藤子さまのやり方が気に入らないからといって、紫を諦めることはできなかったのだ。
この人が、タヌキの大ボスだった。
ここまで考えて、気が付いた。
光の紫への恋を加速した原因の一つは、葵との婚約と俺の登場だった。
この人は、光に葵との婚約を勧めている。
俺の採用にも関与しているんじゃないだろうか?
「つかぬ事を、お尋ねしますが……」
「何か?」
小首を傾げる。
だ、か、ら、それをやめてくれって。
破壊力抜群なんだから。
「ウチのボスに新しいブレインの採用を勧めたのは、あなたですか?」
「ええ。知事選に向けてチームの強化が必要だと思ったのです。
それが、何か?」
「いえ……ありがとうございます。
おかげで、優秀なボスのところへ就職できました」
「あなたは、優秀なブレインになりそうですね」
艶やかな牡丹のような笑顔だった。
完
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