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近衛将人のと紫

 紫がいなくなって二週間ほど経った頃、近衛将人から連絡があった。


 紫の失踪直後、テレビの代役を頼んだこともあって、二条家の異変に感づいたのかもしれない。

 光のいない夜を狙って、クラブへ呼び出された。



 将人はバーボンを勧めながら切り出した。

「忙しいところ、悪いね」 


 口ほどそう思っていないのが、見え見えだった。


 だが、腹のさぐり合いに負けてはいられない。

 俺だって、チームヒカルの一員なのだ。



「先日は、ありがとうございました。助かりました。

 ドタキャンってのは、テレビ局では最悪みたいでして、代役としてあなたが立ってくれるなら、仕方がない、許すって、もう、無茶苦茶でしょ?

 もし、あなたに引き受けていただけないなら、四十度の熱があっても出演しろって、脅かされたんですよ?」

「僕の名前は、どっちが出したんだ?」

「俺です。失礼とは思ったんですが、ウチのボスの代わりをできるのって、ここらじゃ、あなたしかいないですから」

「食えない男だな。で、テレビ局の担当者が、飛びついたって?」

「お見込みの通り」

 

 将人はグラスを飲み干して、唇をなめた。


「話は変わるけど……紫に……何かあったのか?」

「何も……」


 努めて平然と答えた。

 ここからが勝負だ。

 

 ポリティカルスクールのネゴシエーションの授業でやったことを試してみよう。

 払った月謝の分だけ、役に立つことを祈った。



「葵が、デートをすっぽかされたと怒っていた。

 ヒカルが体調を崩すのは、あり得ない。体調を崩すのは、紫の専売特許だって」

「さすがは、葵さま。二条家の事情をよくご存じで」

「やっぱり、そうなのか?」

「二条博士が無茶な健康診断をしまして、そのせいで体調を崩したのは事実です」

「ああ、前にヒカルが言ってた。

 よっぽど、興味深い研究対象なんだろうな。

 毎年、無茶苦茶して、あれじゃあ本当に病気になってしまうって、言ってたけど、あれがあったのか?」

「ええ、心配だったんで、ボスも付いてったんです。で、あんまり無茶するから、来年からは付き合わないって、喧嘩別れして来ました」

「それだけ?」

「いえ、その後、葵さまがおっしゃるとおり紫が熱を出しまして、ボスがすべての日程をキャンセルしたんです。

 葵さまとのデートの日です」

「本当にそれだけか?

 ここ二週間ほど、東棟で姿が見えないって聞いたぞ」

 

 東棟内部にこの人のスパイがいることを確信し、瞬時に覚悟を決めた。


「病気は治ったんです。

 でも、体調が思わしくないので、静養に出しました」

「よく、ヒカルが許したな。絶対、側から離さないと思ってた」


 独り言のようにつぶやいて、話題を変えた。



「この前、飲んでたとき、おもしろい話を聞いたんだ。


 ヒカル、この頃、デートしなくなったんだって?

 

 あいつが結婚を控えて身を慎もうなんて殊勝なヤツじゃないことぐらい分かってる。

 一体、何があったんだ?」



 ここは、しらばっくれるしかない。

 頑張れ、俺!


「この頃は、葵さまを筆頭に選び抜いた方々とよろしくやっている、と申し上げておきましょう」 

「いや、ここ一月ほど、デートもしないで、真っ直ぐ家に帰ってるって噂だった。

 聞いたとき、まさか、あの女たらしが?って思わず、確認したほどだ」

「あなたに言われたくないでしょうよ」

 俺は無理して笑った。

「あなたの妹さんが怖い方で、ボスに浮気させないって説もあるんですよ」

「いやあ、気が強いのは確かだが、兄がドンファンなんだ。ヒカルが浮気したって、ヒステリー起こすほどじゃないと思うんだが……」

「あなたは、単なる兄上、夫ともなると、分からんでしょうよ」

「で、その話を聞いたとき、何となく、あの子を思い出したんだ。

 あの子の静養先、どこなんだ?」


 単刀直入。そう来たか。


 俺の実力では、これ以上保たない。話題を変えなければ。



「あなたに、あの子の静養先を教えるのは、オオカミに赤ずきんの家を教えるようなものでしょう。

 俺の口からお教えすることはできません。


 時に……ボスや紫とは、いつ頃からのお付き合いなんですか?」

「ヒカルとは、幼稚園のときからの腐れ縁だ。

 同い年で、どっちも国会議員の息子だろ?何かと比べられる嫌な相手だ。


 紫とは……」

 


 将人は宙を見つめて、遠い記憶の切れ端をゆっくりたぐりながら話し始めた。




「初めて会ったのは、ヒカルが留学から帰った夏だ。

 葵との縁談が持ち上がって、何となく、あいつの帰国パーティーの前に会いたいと思ったんだ。


 二条家に電話したら、別荘の方にいるってことだったから、ドライブのついでに尋ねた。

 アポも取ってなかったから、留守なら仕方がないってノリだ。


 その別荘で会ったんだ。


 着いたとき、庭先でヒカルの声が聞こえた。

 あいつ、鬼ごっこみたいに、笑いながら走ってた。あいつのあんな顔、見たことなかった。可愛くてたまらないって感じで、くるむみたいな視線なんだ。

 

 で、あいつにそんな顔させるのはどんなヤツかなって、そっちを見たんだ。

 

 驚いたってもんじゃなかった。

 あんなのがいるなんて信じられなかった。

 美しいってだけじゃない。存在感が薄いっていうか、透けて空へ舞い上がりそうだった。


 その時、紹介してもらったんだけど、あの子、緊張して、人形みたいに固まって。

 まるで、母親のスカートの陰に隠れる子供みたいなんだ。


 この差は何だって思ったね」


「それ以来の付き合いってわけですか?」


「ああ、あの時、ブレインだって紹介されたけど、信じられなかった。

 

 だって、まだ十四だったんだ。

 でも、あの後のヒカルの活躍を見ると、あの子は、本物の、しかもかなり優秀なブレインだったんだ。


 ただ、葵とあの子の関係が最悪になった」


「どうしてです?」


「ヒカルのあの子に対する目つきが普通じゃなかっただろ?

 葵だって気付いたんだ。


 しかも、ヒカルの帰国パーティーで最悪のことが起きた」

 


 将人は、自分でバーボンのお代わりを注いだ。

 これで五杯目だ。


「パーティーの余興で、紫がマクベスの Tomorrow speech(トゥモロースピーチを暗唱したんだ。

 あの子は、あの暗い、人生を悟りきったような独白を演じきった。

 とても十四の子供とは思えなかった。

 

 客達の割れんばかりの拍手に、葵が切れたんだ。

 紫が、ヒカルの隣で衆目の賛辞を集めたことに嫉妬したんだ。


 ヒカルの隣に立つのは自分だって、自負があったから。

 だから、紫にメイドの仕事をするよう強要して、恥をかかせた。

 養ってもらってる孤児のくせに、何にもできないなら、愛人にでもなって恩返しするしかないわねって、客の前でぶちまけたんだ。


 客の興味は、あの子に集まった。

 容姿がすばらしいだけに、好奇の目が集まったんだ。

 男達が、なめ回すようにあの子を見た。上流階級のパーティーに不似合いな、下卑た嫌らしい視線だった。

 

 あの日まで、ヒカルは、あの子を久光氏が藤子さまを使うみたいに使うつもりだった。

 でも、あのパーティー以来、表に出さなくなった。オオカミが多すぎるって」




 

 紫は逃げた。客達の粘り着くような視線から。

 あの人達は、研究所の人達と同じだ。自分を支配下において、好き勝手しようとしている。

 

 助けて欲しい。そう思った。心の底で叫んだ。助けて。ここから連れ出して。

 

 研究所から紫を連れ出してくれた光は、葵と一緒にいる。

 しかも、パーティーのホストだ。場を外すわけにはいかない。

 助けてくれないのだ。


 そもそも、このパーティーを紫のブレインとしてのデビューと位置づけたのは、光だった。

 光は、このパーティーで、紫が関係者と面識を持つことを望んでいた。


 二条御殿の大広間で行われたパーティーだ。

 向こうに西棟の研究所が見えた。紫には、おぞましい建物だ。


 東棟へ帰りたい。そう思った。でも、勝手な行動は許されない。

 広間から中庭に出た。できるだけ気配を消して、庭の隅で小さくなる。


 不意に肩をたたかれて、心臓がはねた。

 

 見たことのある青年が立っていた。

 近衛将人、葵の兄だ。彼は、葵の非礼を詫びた。

 葵は光に恋をしてるから、君に辛くあたるんだ。そう言った。


 その真摯な態度に緊張が緩んだ。


 葵の所業はさておいて、この人は光の友人だ。しかも、光とは友情と利害が複雑に絡んでいる。

 その真意を探りたい。

 ブレインとしての職業意識もあって恐る恐る見上げた。


 

 将人にとって、こんな近くで紫と対峙するのは初めてだ。


 その美しさに感嘆した。


 怯えるような、探るような眼差しに、心を鷲づかみにされる。

 凛とした、今までの女達には見たことのない表情かおだった。



 将人の目が、熱を帯びる。


 異変を察して後ずさりする紫の手を掴んで引き寄せる。

 そうして、心配いらないから、と囁きながら抱きしめた。抱きしめて、唇を重ねた。


 目と口で誘い、甘いキスで心を掴む。これが、彼の恋愛だった。



 硬直して動けない紫は、必死で助けを求めた。



 急に、体が軽くなった。

 

 二人の前に、真っ青になった光がいた。

 いつもは温厚な目に激しい炎が燃えている。

 将人の肩を荒々しくつかんで引きはがすと、言い放った。



「将人。悪いが、この人は、公私ともに私のものだ。遠慮して欲しい」





 話を聞いて、唖然とした。将人はたかだか十四の少女を恋愛対象と見なし、光は十六の少女に手を出したのだ。



 紫の年齢と三者の関係を考えれば、三角関係というにはあまりにも歪、いや異常だった。 


 




近衛将人は、かつて紫を見初めて、光に拒否られたようです。しかし、会う人会う人虜にする紫には、困ったものです。同じく紫に好意を持つ惟光にとって、敵のレベルが高すぎて太刀打ちできないようです。

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