紫の秘密(2)
「でも、私が怒ると、紫に入力されている二条家の一族に対する絶対服従が現れた。
血の気が引いた。
研究所で聞いた悲鳴を思い出したんだ。
紫の従順さは、狂気と紙一重だ。
研究所で発狂しなかったのは、奇跡のようなものなんだ」
それで、紫は、あの時、急に従順になったのだ。
そうして、その様を見た光が、逆切れしたのだ。
すべてが腑に落ちた。
「でも、君が取り持ってくれて、紫は回復した。
あのまま元に戻らなかったら、どうしようかと思った。
そう思うと、愛しくなった。
元に戻って、少年のように笑う紫がたまらなく愛しくなった。
葵が来た日、君が紫に見とれているのを見て、パニックになった。
君に渡したくないって思ったんだ。
将人の言いぐさじゃないが、他の男に渡さず、一生、手元に置いておきたくなった。
君は、怒ったね。自分勝手なヤツだって」
確かに、俺は、自分勝手なヤツだと罵った。
紫を、日の当たらない紫を手放そうとしないどころか、飼い殺しにしているように見えたからだ。
知らなかった。
紫は、飼い殺しにされるために生まれて来たのだ。
「そうだ。自分勝手だ。
私は、君を選んだことを成功だと思った。
君で良かった。
紫のために本気で怒った君に、紫を任せたいと思った。
でも、できなかった。
それほど、私にとって、紫の存在は大きかった。
私の申し出に、紫は泣いた。
葵が許さない、と言った。
藤子さまとの約束に背く、事情を知っている人が多すぎる、とも言った。
クローンの寿命は短いと言われている。
だから、死ぬまで、紫を傍に置いて置きたい、そう思った。
でも、紫が言うとおり、二条家のスキャンダルだ。
しかも、葵がいる。
紫が側にいることを許してくれる人と結婚したい。
先日、父にそう言った。
藤子さまは泣かれた。
私が約束を破って、紫を愛人にすることにお怒りになった。
わずか十六の紫を良いようにあしらったと、お怒りになった」
「確かに、紫は、あなたを拒まないでしょうよ。あなたに惚れてた」
「それも、本物の感情かどうか怪しいと言われた。
藤子さまは、紫の深層心理に、二条家の一族に絶対服従する因子が入力されていることを、指摘された。
でも、私は、紫に無理強いしたつもりはない。
ズッと、紫が私を男として見るのを待っていた。
葵が来た日――君が紫に見とれていた日だ――確かに、紫は私のことを男として意識していた。
来るべき日が、待っていた日が、やっと来たと思った。
しかも、あの時、君の方へ倒れるか、私の方へ倒れるか微妙なところだったんだ」
さすが、女たらし。
完璧な分析だった。
俺の仕事の重要な部分が変更になった。
紫の行方を掴むことが最優先となったのだ。
光が言うとおり、事情が事情だ。
まさか、そこらの探偵事務所を使うわけにもいかない。
光にとっては、とんでもないスキャンダルだ。
これが、二十歳を超えた大人の女性ならまだ分かる。
紫は、わずか十六だったのだ。
「もう少し待てなかったんですか?」
あと四年待てなかった光が恨めしい。
「葵が、紫を追い出そうとしていた。
だから、限界だった。それに、君がいた」
「俺は、ロリコンじゃない!」
「君は、予想以上に紫の心をつかんだ。
紫が私以外の男に心を許すなんて信じられないことだったんだ」
「褒め言葉として受けとっておきましょう」
ったく。十六歳の少女を相手によくやるよ。
まあ、昔は、十代半ばで嫁入りしたのだ。あり得ないことではない。
源氏物語の紫の上は、数え十四か十五で光源氏に襲われているのだ。
それまで親切なお兄さん若しくはおじさんだった源氏が、突如、一匹のオスに豹変したのだ。
だが、現代社会では、女子高生の援助交際じゃあるまいし、良識ある大人のやることじゃない。
頭を抱えた。
やってしまったことをぼやいても始まらない。
紫の捜索を始めることにした。
紫がどこかの研究所へ送られたかもしれないという可能性は否定した。
確かに、あの二条博士ならやりかねない。
だが、今回の首謀者は藤子さまで、博士は関与していないのだ。
あの人の仕事じゃない以上、どこかの研究機関で実験材料にされていることはない。
それだけが、救いだった。
藤子さまの仕事なら、簡単な場所に隠すとは思われない。
だが、探偵事務所を使えないのだ。
とりあえず、二条家の所有する東京の屋敷とこの二条御殿、それに別荘やマンションを片っ端から捜すことにした。
「ハッキングできないのか?」
光が訊いた。
「あなたも、紫のようなことを言う。
あれは、犯罪だ」
「でも、藤子さまのパソコンと父のパソコンをハッキングすれば、何か分かるかも知れない」
「あなたねえ……」
頭を抱えた。
「そんなことより、今度の知事選に出るんだったら、せっせとテレビに出といた方が良いと思いますよ。紫だって、きっと、そう言う」
「出れば良いんだろ?出れば」
面白くなさそうに言う。
「ところで、紫の失踪のこと、内緒にしてあるんでしょうね?」
「ああ、知ってるのは、松嶋、東棟のメイド、それに藤子さまだけだ。
二条博士だって、ご存じない。ただ……」
「ただ?」
「葵が、うるさいんだ。何かあるんじゃないかって」
「誰か、情報を流しているのが、つまりスパイがいるんだ。
そいつが、葵の上や藤子さまに情報を流したのかもしれない」
「まさか?それじゃあ、CIAみたいじゃないか」
「めでたい人だ。
あなた、紫と一緒に活動してて、自分の頭、使わなくなったんじゃないですか?」
「惟光、君、そこまで言うか?」
「ええ、今度のことで、最大のポカをしたのは、他でもない、あなたです」
「惟光、君、紫に似て来たな」
「何分、上司なもんで。似るでしょうよ」
惟光は、特命事項として紫の捜索に当たることになりました。がんばれ、惟光!




