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近衛 葵

 三人で自然運動公園に行ってから、光は紫の外出に目をつぶるようになった。

 それほど、紫が楽しそうだったのだ。


 俺がお守り役として付いているのだ。光は、紫に、できるだ、普通のことをさせたいと思ったようだ。

 


 ある日、光が、コンサートのチケットを持って来た。


「室内楽の会があるんだ。君の好きなバッハだ。

 三人で行こう。

 万一、向こうで知り合いに会ったら、君達だけで先に帰りなさい。そのために、惟光がいるんだから」

 

 紫の目が輝いた。


「ボク、コンサートって、初めて」

「嬉しい?」

「うん」

「もっと、若い人向けのもあるんだが、君の趣味が分からなかった。

 弁慶さん以外の好みはないの?」

「美保ちゃんの影響で、この頃は、平 知盛さんも良くなった」


 光が、少し呆れた様子で紫の頭を撫でた。

 

 嬉しそうに微笑む紫は、十六歳と言うには、あまりにも幼い。



 この子は、天才だったから、他人との関わりに乏しかったんじゃないだろうか?

 

 

 

 コンサートは、肩の凝らないものだった。

 平服で良いと言われて、俺は、例の挨拶回りの格好になった。もちろん、美保が世話を焼いたのだ。

 

 紫は、レースの襟のシャツに藤色のジャケットを着た。やっぱり、パンツだ。


「誰に会うか分からないから、あんまり、女っぽくしない方が良い」とは、紫の弁だ。




 コンサートは、400席ほどの小さなホールであった。人慣れしていない紫に配慮して、このコンサートにしたのだ。


 わずか400席でも、紫にはプレッシャーだ。

 緊張しているのが分かった。

 

 光が連れに気を遣っているのが、周りの人々の目に留まり、人々は紫を観察した。

 そうして、その容貌が尋常でないことに気付いたのだろう。


「見て。光の君が綺麗な子、連れてる」

「ホント、綺麗な子ね。新しい恋人かしら?」

「光の君が、あんなに気を遣って。よっぽど、大事な子なのね」

「良いわぁ。私だって、光の君にあんな風にしてもらいたい」

 

 

 あっちでもこっちでもひそひそ声がする。


 町の雀のうるさいことだ。

 ったく。これが嫌だから、光は紫を隠してきたのだろう。



「ボス、あなたも目立ちすぎるみたいですよ」

「も、って?」

「俺の上司は、しっかり目立ってます。

 何しろ、名うてのプレイボーイの光の君と同行してるんですから。

 で、ボスは、信じられない美貌の少年を連れてるって、周りが見とれてるようですよ」

「仕方がない。

 ウチを出て、いろんな経験をしようと思ったら、避けて通れないことなんだ。


 終わったらサッサと帰ろう」

 

 紫は、緊張のため何も言えない。

 四方八方から降り注ぐ視線も辛いようで、座っているのがやっとだ。

 

 光が、紫の耳元で囁いた。


「大丈夫。私がいる。惟光だっている。

 君は、ただ、音楽を楽しめば良いんだ」




 コンサートは、知らない曲ばかりで眠くなった。

 

 悪かったな。

 バロックってのは、眠くなるようにできてるんだ。



 紫はバッハが好きなのだろう。曲が始まると、目を輝かせた。

 

 光は紫の手を握り、曲の合間に話しかける。

 まるで、恋人同士だ。


 公演が終わると、慣れた様子でエスコートする。

 

 俺は、完全におじゃま虫だ。





「光さま?光さまじゃございませんこと?」


 聞いたことのある声がした。


 振り返ると、真紅のドレスを着た美しい女性が立っていた。


「葵さん。あなたもいらしてたのですか?」


 光が驚いたように目を見張った。


「葵さま、お久しぶりです。ご機嫌いかがですか?」

 紫が腰を折った。


「ごきげんよう、紫さん。よろしいわね。今日は、光さまに連れて来ていただいたの?」

「はい。いろんな経験をした方が良いとおっしゃって」

「そう。

 でも、これから、光さまはわたくしとご一緒されます。

 あなたは、先にお帰りなさい」

 


 あまりの強引さに目が点になる。


 この押しの強すぎる女が、光の許嫁の葵のようだ。


 光が口を開く前に、紫が言った。


「じゃあ、ボクは惟光と一緒に先に帰らせてもらいます。

 葵さま、ごきげんよう」

 

 葵が満足そうに頷いた。


「惟光、紫を頼む」 


 打ち合わせどおりだった。


 俺は黙って頷くと、紫の手を引いて会場を出た。

  






 6月始め。

 二条家の世話になるようになって初めて、近衛 葵に紹介された。


 葵が光に会いに来たので、この際、お見知り置きを、と紹介されたのだ。


 コンサート会場でも思ったが、美しい女性だった。


 完璧な化粧をほどこし高級なドレスに身を包む。

 装身具やバッグもブランド物だと、一目で分かった。


 はじめまして、と頭を下げると、お言葉を賜った。

 本当に、自分でもそう思っているとしか言いようのない、尊大な態度だった。


「惟光さん、光さまのために、ご助力してね。

 この子だけじゃ、光さまも大変ですもの」


 艶やかな微笑みの陰に、紫に対する敵意が見てとれた。


 そうして、俺の隣で頭を下げる紫に目を向けると、何でもなさそうに言った。

 紫なんか眼中にないことを意地でも示したいのだろう。


「松嶋に聞きました。東棟では、紫のお部屋が一番広いそうね」


 腰を折って礼をしていた紫が怪訝な顔で見上げる。


わたくし、光さまと結婚したら、あのお部屋を使います。

 あなたはマンションにでも住むことにして、あそこをお譲りなさい。

 これって、わたくしの方から、命ずるんじゃなくて、あなたから差し出すのですよ。

 それが、お世話になっている二条家の皆さまや二条家の嫁であるわたくしへの礼儀でしょう?」

 



 唖然としている紫に、畳みかけた。


「光さまの物好きにも困ったものですわ。

 東棟のお部屋に、こんな子を住まわせるなんて。いくら美しい子でも、光さまの思い人じゃないかって、スキャンダルになりかねません。

 いえ、美しいだけになおさらです。

 

 あなた、ブレインだって話だけど、そんなことも気付かないの?

 曲がりなりにもブレインなら、光さまのために何をすべきか、お分かりでしょう?


 できるだけ早く、お側を離れるのです。

 光さまはお優しいから、あなたの生活の面倒ぐらい見てくれるはずです」

 

 面と向かって、屋敷を出て行け、と言ったのだ。



 言い過ぎだ。


 そりゃないだろう?

 

 紫は、何か言いたそうな顔をした。


 でも、すぐに言葉を飲み込んで、黙って退席した。


「可愛げのない子ですこと」

 

 葵が溜息をついた。


 葵は、何を目論んでこういう行動にでたのだろう?


 俺は、必死で考えた。頭の中のコンピューターがものすごい速さで演算する。


 光も、同じことをしていた。

 目も耳も機能していない。体中の血液が脳に集中しているように見える。


 言葉を発することができない光に、葵が甘えるような声で訊いた。


「光さま。今度のテレビ出演、いつでしたかしら?」

「確か、来週の木曜です」


 上の空で答えた光は、次の瞬間、我に返って葵の真意を探るべく顔を見た。


 2秒後、ようやく葵の意図するところを悟った光は、平静を取り戻した。


「夜の8時には終わるはずです。

 よろしければ、ご一緒に食事でも?」



 グッジョブ!


 模範解答だ。



葵は、婚約者の光に最優先で大事にされるべきだと思っているようです。おかげで、紫の部下の惟光にまで偉そうに振舞います。

がんばれ、惟光⁉

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