視察旅行
4月になって、紫は、俺を連れてあちこち出歩いた。
いや、そういう言い方は語弊がある。俺にあちこち連れて歩けと指示を出したのだ。
この場合、連れて歩くのは、あくまでも俺(!)だ。紫ではない。だが、紫の命がなければ、断じて連れて歩くことはない。
光は紫の外出を好まない。紫の指示に従えば、ボスの光の機嫌を損ねるのは目に見えている。
だが、紫は光の思惑なんか頓着しない。州の施設をその目で見たいという。
俺はボスと上司の間に立って、ハラハラした。
この日も、松嶋執事に車を準備してもらって、北部の自然運動公園に出掛けた。もちろん、運転手は俺だ。
「あっちこっち行ったけど……ジュニアは、知ってるのか?」
ハンドルを握りながら、訊いた。
「知ったら反対する。だから、言ってない」
助手席で、すましたものだ。
「また、叱られるぞ」
「良いんだ。
だって、資料だけ見てても仕事ができないじゃないか。
ヒカルは、ボクが仕事をすることを望んでる」
やれやれ。言い出したら、聞かないのだ。
叱られるのは俺なのに。
頭が痛い。
「ここの工事総額は、いくらだっけ?」
紫は、意味のない心配はしない主義のようだ。というか、叱られる気が毛頭ない。
何せ、叱られるのは俺なんだから。
何ちゅう、上司だ。
これって、パワハラの一種じゃないか?
こっちの気持ちをスルーして、早速仕事に取りかかる。
ノートパソコンで何やら調べている。
「広いんだな。一山、公園にしたんだ。
こっちから向こうが野球場や競技場になってて、そっちが子供の遊ぶスペースらしい。
どんなところだろ?」
「せっかく来たんだ。一回り歩いてみれば良い」
毒を食らわば、皿までだ。
俺が言うと、嬉しそうに笑った。
「でも、こんな田舎に何人の人が来ることを想定してたんだろう?」
「多分、近隣の町中の人が来ることを想定してたんだろう」
「近隣の住民の人口を合計しても、利用者数が知れている。車で1時間以内の圏内の人々が利用することを考えても、大きすぎるんだ。
国体かなんかで、全国から人が来ることを想定してたかな。
でも、それって、一回で終わる。その後、誰が使うと思ったんだろ?
維持費だけでも、結構かさむだろうに」
十六の小娘の台詞じゃない。
子供のためのエリアに着くと、子供達が歓声をあげていた。
何となく、懐かしさを感じた。
子供の頃、ここまで立派なものじゃなかったけど、よくこういうところで遊んだものだ。
ふと、紫が体をこわばらせているのに気が付いた。
「どうしたんだ?」
「……何でもない」
ジッと子供達を見つめる。
子供達とそこにある遊具を見つめている。
「珍しいのか?」
「……う、うん」
「アスレチックって言うんだ。俺も子供の頃、よくやった」
「そう……なんだ」
「もうすぐ昼どきだ。ガキンチョがいなくなったら、あんたもやってみれば?」
「ボクが?」
「ああ、やったことないって顔に書いてある」
紫の顔がパッと輝いたように見えた。
子供達が消えた公園で、恐る恐る遊具に進む。
体中を緊張させて、でも、嬉しそうに。
この子は天才だったから、周りが遊ばせなかったのだろう。
遊具の中に五メートル近い高さの大きな滑り台があった。
紫は、そこに登ってはみたものの、足がすくんで動けない。
真っ青な顔をして、下にいる俺を見おろした。
「そこに座って、滑って降りれば良いんだ。
大丈夫。さっき、子供がやってただろ?怖くない」
ゆっくり腰を下ろし、足を揃えて座る。
だが、しばらく待っても動く気配がない。
昔、近所の女の子が、同じようにすくんで動けなかったことを思い出した。
やれやれ。世話の焼ける子だ。
そう思いながらも、何となく不憫になった。
この子は、こういう経験をしたことがないのだ。
階段を登って、ゆっくり紫の後ろに回る。
足を開いて、後ろから抱え込む。
紫を包み込むようにしてズイと前に進み、抱きかかえたまま二人一緒に滑り降りた。
アッと言う間だった。
滑り台のてっぺんが後ろに見えた。
俺達は、滑り台の下にいた。
腕の中に、興奮状態の紫がいた。
美しい顔が満面の笑みで輝いた。
「惟光!ありがとう!
面白かった。怖かったけど……面白かった」
「もう一回、やるか?」
コクリと頷く。
結局、10回も付き合わされた。
こっちの身にもなってくれ。
滑り台を滑るには、階段を上らなければならないのだ。上がっては下り、上がっては下りして、都合10回も階段を上ったのだ。
さすがに申し訳ないと思ったのだろう。
11回目からは、一人で滑っていた。
ご苦労なことだ。
明日は、筋肉痛になるんじゃないだろうか?
紫と、民間の施設も隣の州や市町村の施設も覗きに行った。
利用者にとっては、運営主体がどこであろうが関係ないと言うのだ。
要は、近隣の似たような施設を比較して回ったのだ。
このところの視察で、紫と二人っきりのピクニックが続く。
光が知ったら、どんな反応を示すだろう?
努めて気にしないことにした。
こういう場合は、上司の対応を真似よう。
仕事を覚えるには、模倣から始まるのだ。
南部の自然公園に行ったときのことだ。
春霞にけぶるような景色の中で、紫は静かに瞑目した。
春の気配を体中で感じている。
心地良い風が花の香りを運んで来る。
「ふぅ……気持ち良い」
紫は、満足そうに息を吐いた。
「そうか?良かったじゃないか」
「これって、そう言うことかも知れない」
幸せそうに喉を鳴らす。
おいおい、お前は猫か?
「こんな自然公園を民間で造ることなんかできない。
商売にならないからだ。
でも、こうやって行政が造った。造ってここに存在する。
かけたお金や維持費なんか考えないで、ここに座ると、ああ良かったって思うんだ」
禅問答のような話に付いていけない。
紫には、時々、これが出る。
頭が良すぎるのだ。
話がAからB、C、Dをすっ飛ばしてEへワープする。
他人には付いて行けないことが、分からないのだ。
「分かるように言ってくれ。俺は、あんたほど頭が良くない!」
「だから、これは、これで、意味があったってこと。
民間にこんなもの造ってって言っても、絶対に造らないし……ある意味、贅沢な施設だ。
でも、こういう施設があることで人々が幸せになる。
だったら、税金を使う意味があるんだ」
絶句した。
「そんなこと考えるために、ここへ来たのか?」
「悪い?それだけじゃないんだけど……」
後でジュニアに怒られる俺の身にもなってくれ!
惟光は、紫に振り回されています。彼は、光にばれたら叱られるのが分かっていても、上司に逆らえない気の毒な下っ端です。
がんばれ、惟光!
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