第二十一話 奇跡の一日
ねこさんと暮らすようになって、それまで雑多であった自宅改革をしなければならなくなった。とにかく動きの鈍いねこさんが、少しでも住みやすいようにしなければならないと、溜め込んでいた、いらない家具をどーんっと粗大ごみとして出すことにしたのである。
パラボラアンテナ状態になった翌日、ちょうどその大量の粗大ごみを出す日であったぼくは、仕事前にゴミ出しを終えねばならないのと、ねこさんの状態が心配だったのと、両方の理由から、朝の四時半に起床した。そこでぼくは信じられない現象に遭遇する。
「にゃーん」
ねこさんが鳴いたのである、閉じられたマンションの扉の前で……である。ちんまりと、扉の前で座ったねこさんがぼくを見て鳴いたことに、ぼくは一瞬、誰の声? となった。もちろん、ねこさん以外にありえないのだが、その声を、にわかには信じがたかったのだ。
マンションに近づくと、ねこさんはぼくを見て、また「にゃーん」と鳴いた。
「出してほしいの?」
「にゃーん」
うそーん、なにこれ、可愛すぎなんですけど!
初体験である。コミュニケーション取れたのが初なのである。パラボラアンテナしているのに、今日は見違えるように元気に見えた。思い切って扉を開けると、ねこさんがスタッと出てきたのだ。今までにないくらい、しっかりした足取り。
そして、さらに驚いたことに、ひなさんの後をついてくるのである。残念なのは、ぼくではなく、ひなさんであるという点であるのだが、それはいい。譲ろう。彼が今までないくらいに元気になって、ちょこちょこ動いていることが奇跡なのだから――
ぼくの後をついてくるひなさんの後ろを、ねこさんがついてくる。想像したら、なんとほほえましい情景だろうか。親、子、孫みたいである。
そんな彼らはぼくに従って台所へやって来る。目的はもちろん、ごはんなのだが、これも初だった。ねこさんは今まで、台所に来たことなど一度もない。それなのに、この日はぼくに台所に来て、「にゃーん」と鳴いて、ごはん欲しいをアピールしたのだ。
嬉しくなったぼくは早速ごはんを作る。ひなさんにあげた後で、ねこさんにあげる。がっついて食べるねこさんの姿も、このとき初めて見た。
ああ、これが元気がある、本当の姿なんだ!
かなり嬉しかった。彼は介助なしで皿のごはんを食べきり、満足そうにしたのである。だが、ぼくには仕事がある。ゴミを出さねばならなかった。
ごはんを食べて落ち着いたねこさんをひなさんに任せて、ぼくはゴミを片手に玄関に向かった。すると、ぼくを追いかけてひなさんが来ると、そう、彼もやってきたのである。
どこ行くの?
可愛い目がぼくをじっと見つめている。なんだろう、この気持ちは……心の奥底からじんわり温かな気持ちが滲んでくるのだ。ぼくをじっと見つめる彼らに「すぐ戻ってくるよ」と言い残し、ぼくはゴミを片づけに行った。手早く粗大ごみを出し、ウキウキしながら戻った。もしかして、玄関で座って待っていてくれるかなぁ……なんて期待を膨らませて。
けれど、そこまではさすがになかったが、それ以上のことが待ち受けていた。ぼくの隣に座ったねこさんの背中をゆっくりと撫でたらである。
ゴロゴロゴロ……
座ったままの状態で、ねこさんは目をつむって喉を鳴らした。ぼくが撫でるのが気持ちよかったのか、撫でている間はずっとそんな状態だった。
うへぇぇっ! めちゃくちゃ、かわいいやないかーい!
抱きしめたくなったけれど、パラボラアンテナの彼に頬ずりはできないので諦め、とにかく気持ちよさそうにしている彼の背中を何度も撫でた。
あまりのことに、ぼくは朝からハイテンションだった。会社に行くのもルンルンだった。抗生物質が効いたのだろう。きっと、このままよくなるぞ! よくなって、またゴロゴロ気持ちよさそうにしてくれるぞ! あの食べっぷりだったら、体重だって絶対に増えていく! これで目も治ってくれば問題はなくなる!
これが、獣医さんの二度目の抗生剤を打ってもらえる、その日の朝の出来事である。しかしながら、事態は急変していく。獣医さんに二度目の抗生剤を打ってもらったあと、彼の様子は朝とはまったく違うものへと変わっていき、これが最後の命の灯だったのではないかと考えさせられるような事態へと進んでいくのであった。




