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第29位 眠り苔

• 危険度:★★★★☆

• 推定死者数:年に二名ほど(設計局記録・戦前)

• 戦後の推定死者数:年に百五名前後(ギルド報告書より)

• よく見かける場所:湿った中層の通路。床に、青白くかすかに光る苔が生えている


 通路の床に、青白くかすかに光る苔が生えている。踏むと、足もとから細かい粉が舞い上がる。数歩進んだところで、まぶたが急に重くなる。


 設計規格はこうです。


• 胞子を吸った人を眠らせる苔を、通路の床に、三歩ぶんの帯にして植える。

• 苔は、踏まれると胞子を吐く。三歩ぶんで吸う胞子なら、眠気は百呼吸ほどで抜ける。

• 苔は湿った暗がりで、ひと月に手のひら一枚ぶん広がる。局の者が月に一度刈りこんで、帯の幅を保つ。

• 苔の帯の先には、ほかの罠を置かない。


 迷宮の中で、急に眠くなる。それだけで、人はひどく怖がります。眠っているあいだに何をされるか分からない、と思うからです。実際には、眠気は百呼吸で抜け、そのあいだに何も起きません。何も起きないように、帯の先には何も置かなかったのです。


 では、年に二人ほどの死者は誰なのか。


 帯の上で立ち止まった人です。眠気に逆らおうとして足を止めると、そのまま苔の上に倒れる。倒れた先も苔の上なので、胞子を吸いつづけることになります。目を覚まさないまま、息が細くなっていった人たちでした。


 戦後に変わったのは、苔の広さです。


 七年、誰も刈りこんでいません。ひと月に手のひら一枚ぶんずつ広がりつづけて、三歩の帯は、いまでは二十歩を超える長さになっています。


 二十歩の苔を渡れば、吸う胞子は七倍になります。眠気は百呼吸では抜けません。渡りきる前に、膝が折れる。そして倒れた先も、また苔の上です。


 舞い上がった胞子は、床に近いところほど濃く漂います。背の低い人ほど、先に倒れます。


 第三十五位で書いたとおり、迷宮の床で動けなくなった人のところへは、いまはスライムが来ます。

対処法

1. 青白く光る苔の通路は、濡らした布で鼻と口を覆ってから渡る。

2. 渡る前に、灯りを消してみる。苔の光で、帯がどこまで続いているかが見えます。

3. 帯が二十歩を超えていたら、渡らない。迂回路を探す。

4. 仲間が苔の上で倒れたら、自分の鼻と口も覆ってから、すぐに苔の外まで引きずり出す。苔の上で起こそうとしない。



余談


 第三十位の最後に書いた夜のことを、書いておきます。


 閉じた石の扉の手前、踏み板の脇に座りこんでいたのは、まだ十七、八の若者でした。最後の一人として踏み板を降りた瞬間に、扉が落ちたのでしょう。八歩先の扉に、彼は一歩も近づけなかったはずです。灯りは、先にくぐった仲間が持っていました。真っ暗な通路で、彼は動けずにいました。


 私はすぐに、入口から扉までの道順を紙に書きました。どの通路を通るか、どの罠をどうよけるか。それを伝令に渡すと、伝令は馬に飛び乗って、入口のほうへ走っていきました。


 それから、待ちました。


 水晶を見るときは、店の灯りをすべて落とします。灯りのある部屋では、水晶の像は見えません。十九年、地下の監視室で暗い水晶ばかり見てきたせいで、私の目は、明るさに弱くなりました。昼のあいだは、水晶をのぞいても白くかすんで、ほとんど何も映りません。無理に見ようとすると、目の奥が痛みます。日が落ちて、目が暗さに慣れてから、ようやく像がはっきりする。夜しか水晶を見られないのは、そのためです。


 一刻ほどして、入口の見張りの目に、灯りを持った四人の救助の組が映りました。


 一層の一本道で、四人は右の壁に手を添えながら歩いていました。すべり台の階段では、先頭の男が、足の裏で一段ずつ段の高さを確かめていました。指一本ぶん高い段を、四人ともまたいでいきました。


 あとで知ったことですが、職員の若者が、私の書きかけの原稿を写して、救助の組に持たせていたのでした。


 この本が、私の迷宮で、初めて人の役に立ちました。


 けれど、その原稿には、この第二十九位はまだ入っていませんでした。


 三層の通路で、四人は、青白く光る苔の上に足を踏み入れました。私の書いた道順も、その通路を通るものでした。苔がそこまで広がっていることを、私は知らなかったのです。夜しか見ていない水晶では、苔の光は、ただの暗がりの染みにしか見えませんでした。


 十歩ほど進んだところで、いちばん後ろを歩いていたドワーフがふらつき、膝をつきました。水晶に向かって何を言っても、届きません。私は、ただ見ていました。


 背の低いドワーフは、ほかの三人よりずっと濃い胞子を吸っていたのです。そのぶん、倒れるのも早かった。


 それを見た先頭の男が、すぐに布で鼻と口を覆い、ほかの二人にも同じようにさせました。それから倒れた仲間の襟首をつかんで、残りの十歩を引きずっていきました。苔の外で、ドワーフは、しばらくして目を開けました。


 四人が踏み板の脇にたどり着いたのは、夜明けの少し前でした。若者に灯りを持たせ、手を引いて、来た道を戻っていく。その途中で、窓の外が白みはじめました。水晶の像は少しずつ薄くなり、四人が一層に上がったころには、もう私の目には何も映りませんでした。


 朝になって、伝令が戻ってきました。若者は助かった、と。扉の向こうにいた三人の仲間も、迂回路を回って、夜明けごろ自分たちで出てきたそうです。


 この項目は、その日のうちに書きました。次に救助の組が持っていく原稿には、間に合うように。

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