第35位 掃除係のスライム
• 危険度:★★★☆☆
• 推定死者数:年に一〜二名(設計局記録・戦前)
• 戦後の推定死者数:年に七十五名前後(ギルド報告書の死者と行方知れずから著者推定)
• よく見かける場所:迷宮のどこでも。とくに、床に何かが倒れている場所
眠っているあいだに、床の上を、透きとおった何かがゆっくり這ってくる。
スライムは、恐怖を集めるための罠ではありませんでした。迷宮をきれいに保つための掃除係です。ミミックや石像と同じ、迷宮の従業員でした。
スライムの決まりごとは、こうです。
• 動かないものを、時間をかけて溶かす。死んだ虫、ネズミ、食べ残し、壊れた装備。
• 動くものには近づかない。眠っている人の寝息や寝返りくらいは、動いているうちに入らない。ただし、一度覆いかぶさったものは、あとで動きだしても離さない。
• 壁は登れない。床の上しか這えない。
• 塩を越えられない。
そして、スライムは倒すのがとても難しい生き物です。体のほとんどが水なので、剣で斬っても刃がすり抜け、切り口はすぐにふさがります。叩けば飛び散るだけで、飛び散ったかけらは、それぞれがまた這いはじめる。
火を近づけても、表面が湯気を立てるだけです。覆いかぶさられた仲間から引きはがそうとしても、指のあいだからぬるりと逃げて、つかめません。
効くのは、塩だけです。塩を浴びせると、スライムは縮んで、ゆっくり離れていきます。塩のほかに、離れさせる方法はありません。
局はふだん、スライムを深層の溜め場に集めて、縁に塩を厚く敷いていました。夜の決まった刻限に、飼育係が何匹かを通路へ放ち、掃除が済んだら、塩を盛った柄杓で溜め場へ追い戻す。
放すあいだ、飼育係は通路を見回っていました。床で眠っている冒険者がいれば、そこへスライムが向かわないように、塩で道をふさぐ。それも飼育係の仕事でした。
では、年に一、二人の死者は誰なのか。掃除の刻限に床の上で眠っていたり、動けなくなっていたりして、飼育係の見回りからも漏れてしまった人です。
見張りを立てずに床で眠りこんだパーティや、毒矢で痺れたまま仲間に置いていかれた人でした。眠っていた人は、覆いかぶさられてから目を覚まします。そのときには、もう離れません。
戦後に変わったことは、ふたつあります。
ひとつは、塩です。溜め場の縁の塩は、迷宮の湿気で少しずつ溶けます。局は月に一度、塩を敷き直していました。七年、誰も敷き直していません。スライムは、とうに溜め場から出ています。
もうひとつは、餌です。戦後、迷宮で死ぬ人が増えました。スライムにとっては、動かないものが増えたということです。餌が増えれば、スライムも増えます。
死者が増えるほど、スライムも増える。この罠は、ほかの罠の死者を食べて育つ罠です。
そして、ここまでの罠をもう一度思い出してください。第四十六位の毒矢で痺れた人。第三十九位の沈む空気で倒れた人。第四十七位の落とし穴の底で、横穴を探せずに座りこんだ人。動けなくなる罠のあとには、いまはスライムが来ます。
迷宮で人が死ぬとき、罠はたいてい、ひとつではありません。
報告書の数字には、遺体が見つかった人しか入っていません。スライムに溶かされた人は、行方知れずとして数えられます。上の数字は、行方知れずの数から私が見積もったものです。
対処法
1. 迷宮の中で眠るときは、床に直接寝ない。岩棚や台の上か、吊り床を張る。スライムは壁を登れません。
2. 眠る場所のまわりに、塩で輪を描く。塩は多めに持っていく。
3. 見張りは、通路の先だけでなく、床を見る。床が濡れたように光っていたら、それは水ではないかもしれません。
4. 痺れた仲間や、倒れた仲間を、決して一人で床に残さない。
5. 仲間にスライムが覆いかぶさったら、斬らない、叩かない。持っている塩を、ありったけ浴びせる。顔にかぶさっていたら、口と鼻のところから先に。
余談
第四十六位で、盾役が毒矢で痺れた夜のことを書きました。神官が一晩じゅう祈り、赤マフラーと地図係が通路の両端で寝ずの番をした夜です。あの夜のことで、書かなかったことがあります。
ガルド老が「あと二刻だ」と言ってしばらくして、掃除の刻限が来ました。飼育係がスライムを放ちました。そのうちの一匹が、床の割れ目を伝って、盾役の倒れている通路のほうへ這っていくのが、水晶に映りました。
飼育係は、別の層を見回っていました。
私は塩の柄杓をつかんで、点検通路を駆け下りました。
盾役の倒れている場所のすぐ脇に、点検通路の扉がありました。私は扉を細く開けて、暗がりから腕だけ出し、スライムの前に塩を撒きました。スライムは向きを変えて、ゆっくり戻っていきました。
神官は、目を閉じて祈っていました。赤マフラーと地図係は、通路の先の暗闇を見ていました。誰も、足元を見ていませんでした。
ひとりだけ、見ていた人がいました。
痺れ薬は、体を動かなくしますが、目は見えますし、耳も聞こえます。床に倒れたままの盾役が、目だけを動かして、扉の隙間の私を見ていました。
声は出せなかったはずです。私は扉を閉めて、点検通路を戻りました。
あの人が、あとで仲間にそれを話したのかどうか、私は知りません。無口な人でしたから。
いま、迷宮の床で動けなくなった人のところへ、塩を持って降りていく者はいません。




