第四話 女神様の飴と鞭
真っ白い光の中に、五十組の学校机&椅子が並んでいる。それらの席に、異国の衣装をまとった中学生が座っている。
俺、愛洲龍寿を含めたアトリン学園中等部三年A組、五十名の生徒達。
俺達は、それぞれ一様に渋面を浮かべている。その表情の原因は、俺達の正面、教団側にいる一人の女性だ。
煌めく白金色の神。その相貌は幻想的なまでに美しい。しかし、何故か派手に破れたローブをまとっている。しかも、臀部を晒しながら頭を下げている。
女性の姿や様子に付いて考えると、俺の脳内に「痴女」という言葉が閃いた。しかし、彼女は痴女ではない。本人の言葉を信じるならば人間ですらない。
異世界アトリンの造物主、女神アトリリア。
異世界の女神様が、俺達に向かって深々と頭を下げている。何故なのか? その理由が、彼女の口を衝いて出た。
「アトリンを救う為、どうか魔物達と戦ってください」
異世界アトリンの救済。
アトリンは今、邪神アトリフィアが生み出した魔物の侵攻を受けている。既にアトリン大陸の西半分が魔物領になっている――らしい。現地の人間達が踏ん張っているものの、既に限界を迎えているようだ。
アトリンを救える手段は唯一つ。それが、俺達異世界の勇者の加勢を得ること。その為に、女神は頭を下げている。
見目麗しい女性が必至に頼んでいる。その様子を見ていると、俺の喉下まで「分かりました」と承諾の言葉が込み上げた。しかし、
「「「「「…………」」」」」
俺も、誰も、何も言わない。それどころか首を真横に振り回している。その行為の理由が、俺の脳内に閃いていた。
他を当たって下さい。
俺達は、見た目通りの凡庸な中学三年生。世界を救ったことも無ければ、殺し合いをした経験も無い。相手が魔物となれば、こちらが殺される可能性しか閃かない。魔物を倒して世界を救う自信など、欠片も無ければ微塵も無い。俺達の首の旋回速度は、秒毎で上がっていく。
高速旋回による風切り音が、光の教室内に響き渡った。その音は、女神の耳にもシッカリ届いていた。
俺達が首を振り回していると、いつの間にか女神は面を上げていた。直立する女神の姿は神々しい。しかし、痛々しくもあった。
女神がまといしローブは、故有って裾が異様に短い。女神は、その太腿を晒しながら、俺達に向かって天上の美声を上げた。
「もしかして、死ぬことを恐れているのですか?」
死の恐怖。女神の言葉を聞いた瞬間、俺達の動きがビタリと止まった。その直後、示し合わせたように、俺達全員の首が縦方向に振り抜かれた。その反応は、女神の視界にバッチリ映っている。
「大丈夫」
女神は満面の笑みを浮かべた。その言動の意味は何か? 俺達の首は一様に斜めに傾いでいる。それに伴って、視界も斜めに傾いていた。
斜めに傾いだ世界の中心で、あられもない格好をした女神の声が響き渡った。
「今の貴方達の体は、本来のものではありません」
本来の体ではない。その言葉を聞いて、俺達の首は一層傾いだ。その反応もまた、女神の視界にバッチリ映っている。
「貴方達の体を参考に、勇者仕様で創った特別製で――」
勇者仕様の特別製。俺達の魂を取り込むことで魔物に勝る性能が備わる――とのこと。今の俺達ならば、魔物と戦っても勝つことができるのだろう。「世界の造物主が言うのだから」と、一瞬だけ首が縦に動き掛けた。
しかし、俺の首は動かない。その代わり、眉間に深い皺が刻まれていく。他の生徒達も、一様に微妙な表情を浮かべている。それぞれの反応の意味が、俺達の口から飛び出した。
「「「「「元の体は?」」」」」
本来の体の所在。気にならないはずもない。例え女神の話の途中であろうとも、豪快に話の腰を折る。質問タイムを待つ余裕は、今の俺達には無かった。
俺達の声は、当然ながら女神の耳に届いている。
女神は徐に右手を掲げて、親指と中指を交差させて「パチン」と小気味良い音を奏でた。その直後、俺達の頭上に暗い円盤が現れた。
それは――巨大な円形のスクリーンだった。
画面の中に、トリコロールカラーの巨大車両が映り込んでいる。その正面、フロントガラスには〈アトリン学園中等部修学旅行〉と書かれたステッカーが貼ってある。それらの要素には覚えが有った。
俺達が乗っていたバスだ。
車両の正体を直感した瞬間、スクリーンがバスの中を映し出した。
そこには俺達の姿が有った。
俺達だけでなく、この場にいない大人達、担任の吉村先生と副担任の花鶏先生、バスガイドの初音さんやバスの運転手の姿も有る。
バスの中にいた人間は、全員揃っている。その光景を目の当たりにして、何人かの生徒が「ほっ」と息を吐いた。しかし、後に続く言葉は無い。
俺達の表情は渋いままだ。画面の中の俺達の姿に、俺は猛烈な違和感を覚えていた。その原因は、バスの中の俺達の状態に有った。
全く動いて無い。
皆、凍り付いたかのように固まっていた。息もしていない様子。俺の脳内には「死」という最悪の可能性が閃いた。しかし、それは杞憂だった。
「バスの時間を凍結して、丁重に保管しております」
時間凍結。時間が止まっているのだから、体が動くはずもない。魂が無い状態でも腐乱することも無い。だからと言って「ならば良し」とは誰も思わない。
元に戻して欲しいんですけども。
俺、及び他の生徒達の表情は一層渋くなった。渋柿を食っているかのように渋い。その表情は、女神の視界にも映っている。
「事が済めば、消えた場所に、消えた時間丁度に送り届けます」
女神は、俺達の無事な帰還を約束した。その上で、ニッコリ笑みを浮かべながら、俺達に向かって先の依頼を繰り返した。
「魔物と戦ってくれますか?」
女神の問い掛けに、俺達は――
「「「「「…………」」」」」
直ぐには答えなかった。尤も、答えの方は既に決まっている。
今直ぐ帰らせてくれ。
誰かが発言すれば、皆も続くだろう。それぞれ同じような表情をしている。想像に易い。勇気有る者が声を上げる。その機会を待つ気は、俺には無い。
俺は手を上げた。しかし、女神は俺を指さなかった。その代わり、ニッコリ微笑みながら朗らかな声を上げた。
「引き受けてくださいましたならば。貴方達に報酬を与えます」
女神の報酬。それが何なのか? 俺には想像も付かない。しかし、命に見合うだけのものとは思えない。如何なる報酬を提示されても、断る所存だ。俺の意志は固い。
しかし、俺は井の中の蛙だった。世間知らずだった。この世には、命を懸ける価値が有る報酬が存在した。それが、女神の口から飛び出した。
「引き受けて下されば、貴方達の今後の人生をアトリン財団が全力でバックアップします」
「「「「「!」」」」」
アトリン財団。アトリン学園を含めた、世界最大の複合企業体。その支援を受けるとなれば、勝ち組の仲間入りは確実。それどころか、子々孫々未来永劫遊んで暮らせるだろう。その可能性を想像した瞬間、俺を含めた全員の喉がゴクリと鳴った。
「さあ、どうしますか?」
女神は俺達に選択を迫った。
魔物と戦って、残りの人生を豪遊するか? 女神の要求を蹴って、今直ぐ地球に帰るか?
破格の報酬に迷う気持ちも沸く。しかし、俺の気持ちは後者、「元の世界へ直帰」の方に傾いている。体の方も反応して、首を横に振り――掛けた。しかし、できなかった。
俺の行為は、女神の言葉によって阻まれた。
「因みに、全員が断った場合――アトリン学園は閉校となります」
「「「「「!?」」」」」
アトリン学園閉校。アトリン学園に通う俺達にとって、世界の滅亡に等しい凶事だ。
「それはそうでしょう? アトリン(異世界)と財団は一蓮托生。これまで通りとはいきません」
アトリン財団は、異世界アトリンから希少金属を仕入れている。それが財団の財力の支柱だ。俺達が通うアトリン学園も、その柱の上に乗っかっている。
俺達の学校が無くなる。俺達の将来がヤバい。
アトリン学園は「実質的に授業料0円」という破格の私立校。しかも、中高一貫教育で受験勉強の必要無し。その上、就職はアトリン財団傘下の企業に斡旋して貰える可能性も高い。俺自身、アトリン財団傘下の企業への就職を考えている。俺だけでなく、他の生徒達も同様だろう。将来の夢と聞かれて、殆どの者がアトリン財団系の企業の名前を告げている。
俺達の夢や希望は、アトリン学園という基盤の上に成り立っている。学園が無くなれば、夢を叶えることは難しい。いや、不可能だ。
俺の脳内の「二択の天秤」が大きく傾いだ。それと同時に、俺は動いた。他の生徒達も同時に動いていた。
全員、頭を縦方向に振り抜き切った。その行為の意味が、俺達の口から飛び出した。
「「「「「やります」」」」」
俺達アトリン学園中等部三年A組一同は、自分達の将来の為に女神アトリリアの依頼を引き受けてしまった




