第三話 異世界アトリン
白い光の空間に、学校机と椅子が五列十組ずつ並んでいる。それぞれの席に、異国の衣装をまとった男女の姿が有った。その中に短髪痩せぎすの男子、愛洲龍寿(俺)の姿も有る。
因みに、俺の席は廊下側(正面から見て左側)、前から四番目。その位置は普段のものとは違う。始業日以来の出席番号順に座っている。この光景を見て、異国の授業風景と直感する者は存外に多い――かもしれない。
尤も、当事者である俺達は現況を授業とは全く思っていない。
そもそも、俺達、アトリン学園中等部三年A組の生徒は修学旅行だった。ほんの少し前までバスの中にいた。その際、全員漏れなく学校指定の制服を身に着けていた。そのはずだ。
ところが、トンネル抜けた途端、異国の衣装をまとって光の教室の中にいる。
「訳が分からん」
俺達は、それぞれ頭上に「?」を浮かべて首を傾げていた。現況の意味を知る者は俺達の中にはいない。しかし、幸い(?)にして俺達の前に「答えを知る者」と思しき存在が立っている。
白金色の髪をした絶世の美女。
幻想的なまでに美しい。同じ人とは思えないほどに。その美貌が目に入ったならば、誰もが見惚れるだろう。しかし、何事にも例外は有る。
無理、見ていられない。
俺を含めて、殆どの生徒達が、白金発の女性から全力で視線を逸らしていた。そのような反応をする理由が、彼女の姿(衣装)に有った。
白金髪の美女は、そのグラマラスな肢体に絹製と思しき艶やかな白いローブをまとっている。しかしながら、そのローブの形状は首を傾げるほど奇異だ。
裾が極端に短かった。後ろは背中の辺りまで開いている。今は正面を向いている為、白磁のような太腿ばかりが目に付く。その事実だけでも目の毒だ。しかし、背中は更に過激になっている。
女性が背中を向けると、大きな白桃のような臀部が丸見えだ。一応、下着は付けている。だからと言って、それを凝視する豪胆な生徒は、俺達の中には殆どいない。精々横目でチラ見する程度だろう。
俺はと言えば、女性の頭上に視線を固定していた。
これ、誰か何か言った方が良いのでは?
誰かが声を上げさえすれば、後に続くものは出るだろう。
しかし、相手の正体は不明。しかも、絶世の美女。彼女に向かって「お尻が見えてますよ」と注意する勇者は、今どきの中学三年生においては少数派だろう。少なくとも、俺達の中にはいない。
俺達は、女性の姿を目に入れないよう意識しながら女性の反応を待った。
暫くして、光の中に天然水のような清涼な美声が響き渡った。
「改めまして、私は女神アトリリアと申します」
女神アトリリア。全くの初耳の名前だ。しかし、俺は奇妙な既視感を覚えていた。それが何かと考えると、脳内に黒髪の美女が閃いた。
アトリン学園中等部三年A組の副担任、花鶏莉愛。彼女も、この世のものとは思えないほど美しい。心なしか、女神アトリリアと顔が似ているような気もする。
何か関係が有るのかな?
俺は周囲を見回して、花鶏先生の姿を探した。しかし、彼女の姿は無い。それどころか、担任の吉村先生を始め、バスに一緒に乗っていた大人達の姿が全く無い。
光の教室の中にいる者は、俺達生徒と女神だけ。
先生達――どこ?
教師不在。目の前に痴女。この非現実的な光景を目の当たりにして、俺の脳内に様々な疑問が次々閃いた。その度に、俺の視線が女神の顔に吸い寄せられる。
しかし、見ない。白金髪が目に入るや否や、全力で視線を逸らす。そんな奇行を繰り返している最中、女神の美声が耳に飛び込んだ。
「今からお話しすることは、全て現実の出来事です」
現実の出来事。その言葉を聞いた瞬間、俺の首が傾いだ。他の生徒達も一様に首を傾げている。その反応は、俺達の真正面に立つ女神の目にも映っている。
しかし、女神は全く気にした風もない。誰も聞いてもいない話をベラベラ語り出した。しかし、聞き流すことはできない。
女神が語った内容は、俺達アトリン学園中等部生にかかわりが有った。
「そもそも、貴方達が通う学園の創始者、及び学園を経営するアトリン財団の創設者は、何を隠そう、この私なのです」
アトリン財団。世界を席巻する複合企業体。平たく言えば「世界一の金持ち集団」だ。世界の経済は、彼らが牛耳っている。超大国さえも平伏す財力が、彼らには有った。
財団の財力を強力に保証している要素が、「レアアース」と呼ばれる希少金属。
希少金属の出所は、一般的には内緒にされている。世界ぐるみで秘匿されていた。俺達も、当然のように知らなかった。
しかし、今日この瞬間。俺達は希少金属の産出場所を知った。
「私が創った世界、アトリンは貴方達の世界、地球と繋がっているのです」
アトリン。俺達にとっては学園、及び財団の名前だ。それが、まさか元は異世界の名称だったとは。その真相を知らされて、一瞬だけ首が元に戻り掛けた。しかし、直ぐに傾いだ。
いや、これ本当に異世界?
そもそも、異世界の存在が信じ難い。例え受け入れたとしても、より大きな疑問が脳内に閃く。
俺達、異世界にいるの? 何で?
アトリン学園中等部三年A組。一応、学年のトップクラスだ。それなりに優秀な生徒が多い。しかし、「異世界に招待されるほどか?」と問われると、盛大に首が傾ぐ。
呼ばれた理由が、全く皆目見当も付かない。分からないので、尋ねたい気持ちも沸く。その衝動に駆られて――
「はい」
俺は手を上げてしまった。その行為は、他の生徒達の視界にも映っている。俺に続いて、次々手が上がり出した。その光景は、俺達の真正面に立つ女神の視界にも映っている。
「質問に関しましては、後ほど承ります」
今は質問タイムではなかった。女神の注意を受けて、俺も、他の生徒達も、オズオズと上げていた手を下ろした。トップクラスの優等生なので、先生の言うことにはそれなりに従う。その殊勝な態度は、目の前にいる痴女を大いに満足させたようだ。
「良い子達ですね」
女神は満足そうに頷いた。しかし、笑っていたのも束の間だ。
女神は、俺達を褒めた後、吊り上がっていた口角を下げた。口を真っ直ぐ横一文字に引き締めている。
思い詰めているかのような真剣な表情。その豹変ぶりを目の当たりにした瞬間、俺の胸中が騒めき出した。嫌な予感がした。
その直後、女神の口が僅かに開いて、そこから金属のような硬質な声が飛び出した。
「アトリンは今、滅亡の危機に直面しております」
滅亡の危機。不穏な言葉だ。それが耳に入った瞬間、場の空気が「ピィン」という擬音が見えるほど張り詰めた。その雰囲気に中てられて、俺達生徒間から息を飲む気配が幾つも伝わった。
「「「「「…………」」」」」
誰も何も言わない。息を呑んだり、固唾を飲んだりして、目の前に立つ痴女を全力で見詰めている。重苦しい雰囲気に中てられた為、痴態から目を反らす気遣いも忘れている。
皆の視線が集中する中、女神の硬い声が響き渡った。
「邪神アトリフィアの侵攻を受けているのです」
邪神アトリフィア。その名前を聞いた瞬間、俺は「女神の名前と似ている」と直感した。それは、正鵠ど真ん中を射ていた。
「アトリフィアは、大いなる上位神によって生み出された私の妹です」
大いなる上位神。また一人神様が増えた。それが何者なのかは全く分からない。分かっていることは、アトリフィアを生み出したこと。その創造目的を、姉であるアトリリアが教えてくれた。
「アトリフィアには、姉である私の補佐をする役目が与えられておりました。ところが、彼女はそれを良しとしなかった」
アトリフィアは、それなりに優秀だった――らしい。当人曰く、「自分は姉より上」とのこと。真偽のほどは不明。確認しようもない。
しかし、アトリリアのドジっ子振りに関しては、俺達も目の当たりにしている。
ドジっ子な姉と、優秀な妹。しかし、立場は姉が上。妹は姉の補佐役。その役割に対して、アトリフィアは不満を持った。その事実を、アトリリアも理解していた。しかし、彼女は妹を御することができなかった。
結果、異世界アトリンにとって最悪の事態を迎えた。
「アトリフィアは、アトリンを滅ぼすべく、多くの魔物を生み出しました。それらを用いてアトリンに攻め込んだのです」
魔物の侵攻。それを拒む力は、アトリンに住む人間には無かった。アトリン最大の陸地、「アトリア大陸」の半分が魔物の手に落ちてしまった。その際、様々な国が滅ぼされている。
「現在残っている人間(アトリン人)の国は『エドモン王国』だけ――です」
エドモン王国。アトリア大陸の東側を席巻する大国。大国であるが故に、魔物の侵攻にも耐えることができた。しかし、それも「今のところ」という条件付きだ。
「エドモン王国は防戦だけで精一杯です。何れ限界を迎えるでしょう」
限界。即ち滅亡だ。エドモン王国が滅びれば、そこでアトリンの命運は尽きる。その可能性を想像すると、造物主が必死になる理由も分からなくはない。だからと言って、同情するかどうかは別の話。俺達にとっては全くの他人事だ。
「無理じゃね?」「詰みじゃね?」
俺達の間から、無責任な言葉が次々噴出した。この期に及んで、アトリンが救われる可能性を想像することは難しい。そう思った。
しかし、救いは有った。それこそが現況の意味。その事実が、女神の可憐な口から飛び出した。
「貴方達にアトリンを救って頂きたいのです」
「「「「「!?」」」」」
異世界の救済。その使命を頼まれて、俺を含めた全生徒が目を剥いて息を飲んだ。その直後、俺たちは一様に首を真横に振った。
「「「「「無理っす」」」」」
超高速の全否定。俺達の頭は電電太鼓と化している。暫くの間、光の教室の中に「デンデン」という風切り音が響き渡った。
俺達の反応を見れば、引き受ける気が皆無であることは明白。それでも、女神は諦めない。
デンデンと響く音の中に、女神の悲痛な叫び声が紛れ込んだ。
「お願いしますっ。貴方達、選ばれし勇者だけが頼りなのですっ!」
選ばれし勇者。俺達は異世界の女神に見込まれた存在だった。その事実を知らされて、俺の鼻が少し伸びた。しかし、首の方は全力回転中だ。
俺達、ごく普通の中学三年生だよ?
俺達の方には「自分は特別な存在」という自覚は無い。そんな思い込みは、これまでの半生で木っ端微塵に打ち砕かれている。現実は、俺達の想像以上に苦い。
俺達は、自分の有用さだけでなく、凡庸さも知っている。少なくとも、世界を救う才能には恵まれていない。
しかし、異界の女神は俺達の能力、及び可能性を、俺達の想像以上に高く買っていた。
「貴方達には特別な才能が有る。それを発揮すれば魔物を倒すことができるのです」
魔物を倒すことができる。女神は断言した。神様の言葉だ。しかし、俺達は全力で首を振り続けた。その様子は、女神の視界に映り込んでいる。
「貴方達ならばできる。その為の方法も教えます。ですから――」
女神は背筋を伸ばして直立した。続け様に腰を九十度に曲げて――
「どうか、貴方達の力を貸して下さい」
深々と頭を下げた。その瞬間、俺達の視界に白い肌が映り込んだ。
女神がまとったローブは大きく破けている。俺の席からは見えないが、背中どころか臀部まで丸見えだろう。そのあられもない様子を見せ付けられて、俺達の間から盛大な溜息が漏れた。
何をされようとも、無理なものは無理。
俺を含めて、全生徒が「断固拒否」と考えていた。しかし、結論から言えば意志を貫徹した者は、俺を含めて皆無だった。
女神アトリリアには「成功報酬」という名の飴が有った。その上、「現実世界(地球)への影響」という鞭も有った。その二つが、俺達の意志を完膚なきまで打ち砕いてしまった。




