第二十五話 後悔する者
王都エドモンの周囲は、大洋と錯覚するほど大規模な森林地帯が広がっている。
森林地帯の名前は「エドモン樹海」。王国の名前に因んで付けられたものだ。王都にとっては無限の資材宝庫だろう。
無限であるが故に、全容は完全に把握しきれない。誰かが樹海に入った際、近隣にいない生き物に遭遇することも有る。
近隣にいない生き物、即ち魔物だ。
魔物が発見される度、僕、麦生孝雄を始めとした王都の勇者に声が掛かった。
今回は――赤い大蜥蜴。背中に蝙蝠の羽が生えているらしい。その姿を見た第一発見者、芝刈りに出た老齢の男性は、報告の際に魔物の正体を断言している。
「あれはドラゴンじゃ。この前(第二十四話)見たものと形が似ておる」
ドラゴン。その名前を聞いて、僕を含めた勇者達は色めきだった。その理由が、僕らの口から飛び出した。
「そいつを倒せば」
「わっちらも『アトリンの騎士』になる?」
「なる、なる」
アトリンの騎士。アトリン全土に貢献した英雄に与えられる最高の名誉。それを受けた者が、僕らのクラスメイトの中に二人いた。
愛洲龍寿と湊本水雲。アトリン学園中等部三年A組の中で「ぼっち」と認定されているカースト最底辺の二人。
あの二人にできたことが、僕らにできない訳がない。あの二人が僕らより評価されていること自体が有り得ない。
「行こう」
「「「「「応っ」」」」」」
今回ばかりは「サボろう」という者は一人もいなかった。全員、戦闘準備を整えるや否や、報告の有った場所へと急行した。
僕らが城外に飛び出すと、直ぐ様城門が閉ざされた。その際、城壁が軋むほどの轟音が起こっている。それを背中に受けながら、僕らは森林地帯を疾駆した。
走っていく内、木々の間に赤い何かが見えた。その事実を直感した瞬間、僕らは反射的に足を止めて体を屈めた。
僕らは茂みの中から顔だけ出して、相手の全容を具に観察した。
赤い大蜥蜴だ。報告通り、背中に蝙蝠の翼が生えている。その外観は正しくドラゴン。しかし、それを見た僕の首は斜めに傾いだ。
小さいな。
全高は二メートル強といったところ。王都で見たドラゴン(遺骸)の十分の一にも満たない。その事実を直感した際、僕の左隣にいた魔術師、相沢愛花が声を上げた。
「子ども――かな?」
ドラゴンの幼体。その言葉を聞いて、僕はコクリと頷いた。その際、僕の脳内に相手の正体が閃いていた。
愛洲達が倒した個体の子どもかも?
親を求めて遥々王都の来たのだろう。尤も、件の親ドラゴンは既に鬼籍に入っている。その巨躯も解体された。親子の再開不可能。全くの徒労だ。その可能性を想像すると、僕の胸に僅かな痛みが奔った。
しかし、僕の口角は邪悪に吊り上がっていた。
ありがとう。態々僕らの評価を上げる為にやってきてくれて。
相手が弱敵となれば、早い者勝ち。僕は直ぐ様呪文を唱えた。その際、一撃で仕留めること企図して、現時点(勇者レベル二十)で使える最強魔法「光の剣」を選択した。
因みに、レベル二十は勇者(王都限定)の中では最上位。僕の他には数えるほどしかいない。要するに、僕の呪文は最強(王都限定)の攻撃だ。
僕が光の剣を解放したら、それで今回の任務は完了する。その可能性を想像すると、僕の口箸は一層吊り上がった。
しかし、僕は失念していた。「この場には他の勇者達もいる」という事実を。
僕が呪文を唱えている間に、幾人かの勇者達が前に出ていた。
それぞれ、騎士や戦士などの近接戦闘職。その中に、黒い金属鎧をまとった騎士、野球部部長の毬栗友利の姿が有った。彼もまた、僕と同じく最高レベル(王都限定)の勇者だった。
僕が呪文を唱えている途中、毬栗の坊主頭が視界の端に映り込んだ。その事実を直感して、僕は思わず息を呑んだ。
因みに、僕ら王都の勇者達は頭部の装備を外している。それは、僕らの中では絶対的な不文律だ。顔を出していないと、周りから「ダサい」と笑われてしまう。
そもそも、僕らは敵の攻撃をほとんど受けた例が無い。必要ないのだから、態々他人の嘲りを受ける必要も無いだろう。
「一瞬で片を付ける」
毬栗は、腰の直剣を抜くや否や、ドラゴンに向かって突進した。その様子を見て、他の騎士達も彼に続いた。
戦士達も、背中に背負った戦斧を構えてドラゴンに向かっていく。その行為は、ドラゴン(幼体)も確認していただろう。
大きな爬虫類の目に、毬栗達の姿が映り込んでいた。
しかし、何故かドラゴンは動かない。木々の隙間からジッとこちらを見ているだけだ。その様子を直感した瞬間、僕は反射的に舌打ちしていた。
これでは毬栗達に手柄を奪われる。
僕は呪文を完了すべきか迷った。手柄は欲しい。しかし、毬栗達を攻撃する訳にはいかない。迷っている間に、事態は最悪の展開を迎えていた。
僕の耳に、毬栗達の声が飛び込んだ。
「「「「「電撃直進剣っ!」」」」」
「「「「「鬼の斬撃っ!」」」」」
騎士、及び戦士達が、勇者の必殺技を解放した。それが決まったならば、相手は肉片一つ残らないだろう。
今回は、アトリンの騎士の称号を諦めるしかない。
僕ら後衛組(魔術師、及び狩人)の間から、無念そうな溜息が漏れた。その直後、毬栗達の必殺技がドラゴンの巨躯を打った。
凄まじい轟音が、僕らの耳を劈いた。衝撃で周囲の木々が激しく揺れている。それらの刺激を受けて、僕は「終わった」と直感していた。
その直後、僕の目に有り得ない光景が映り込んだ。
赤い蜥蜴は健在だった。しかも、外観に変化は全く無い。
毬栗達が握っている武器は、それぞれドラゴンの赤い巨躯にくっ付いていた。その光景は、それぞれの必殺技が当たった確証だ。
しかし、ドラゴンは無傷のようだ。全身に刀剣を受けながら、平然と辺りを見回している。その光景を目の当たりにして、僕らは一様に首を振った。
「嘘だろ?」
「有り得ない」
全くの想定外の事態だ。僕は幻覚を疑った。しかし、これは現実だ。それも、絶望的なまでに最悪の。
僕らの斜めに傾いだ視界の中で、ドラゴンが背中を向けた。
逃げた訳ではなかった。軽やかに一回転している。その際、ドラゴンの長い尻尾が宙を薙いだ。
尻尾の通った個所には騎士、及び戦士の頭が有った。尻尾が通った後、そこには何も無くなっていた。
毬栗達の頭が消えた。その光景を見た瞬間、僕は「彼らは頭を引っ込めた」と思った。しかし、それは外れた。
僕の視界の中に赤い何かが映った。それは、毬栗達の首元から噴き出している、その光景を目の当たりにした瞬間、僕は赤い何かの正体を直感した。
血っ!?
毬栗達の首から大量の血が噴出していた。その光景を目の当たりにして、僕ら後衛組の中から悲鳴が上がった。その絹を裂くような声が、僕らの心の箍を外した。
僕らは――逃げた。逃げてしまった。
そもそも、人が死んだ現場に出くわしたことは、今回が初めてだ。それどころか、僕らが死ぬとは思っていなかった。
有り得ない、有り得ない、有り得ないっ!
僕は現実を否定しながら走った。殆どの者が城門に向かっている。
誰もが城内に逃げ込めば助かると思っていた。ところが、僕らの行く手を阻む者が現れた。
牛頭の大男、ミノタウロス。
城門に続く道に、ミノタウロスが立ちはだかっている。一体、どこから現れたのか? その答えは、相手の体に刻まれていた。
ミノタウロスの巨躯を見ると、その殆どがどす黒く変色していた。広範囲に火傷を負っている。
例によって、アダムス砦から逃げてきた敗残兵だ。その可能性を想像した瞬間、殆どの者が足を止めた。そもそも、相手の巨躯が邪魔で城門に近付けない。
ミノタウロスを排除すべく、狩人達が矢を射た。僕ら魔術師も何かすべきところだろう。
しかし、僕らは何もしなかった。できなかった。
僕の脳内には、今も毬栗達の最期の様子が閃いている。そのせいで体が震えた。歯の根が全く合わない。呪文を唱えようとしても、真面な言葉を紡げない。
僕は現況を見守ることしかできなかった。
僕の視界の中で、狩人達がいた矢がミノタウロスの巨躯に当たる様子が映り込んだ。
必殺技ではなかった。しかし、通常攻撃であっても、それなりに威力が有る。狩人達の平均レベルは十三だ。しかも、相手は敗残兵。一発でも当たれば絶命する――はずだった。
ところが、直後に目の当たりにした現実は、僕の想像したものとは異なっていた。
狩人達が放った矢は、全て弾き飛ばされていた。その事実を直感した瞬間、生き残っていた騎士や戦士達が動いた。全員、得物を振り上げてミノタウロスに突進していく。
騎士の直剣、戦士の斧がミノタウロルの巨躯を激しく打った。しかし、それも全て弾かれてしまった。
ミノタウロスの巨躯に、新たな傷は付いていない。その事実を直感した瞬間、僕の脳内に最悪の可能性が閃いた。
僕らの攻撃が通じ無いのか?
通常攻撃が駄目ならば、必殺技を繰り出すまで。しかし、僕の歯の根は未だに合わない。真面な言葉が出てこない。それでも、何とか声を上げようと口を開いた。
その直後、僕の視界に、より一層衝撃的な光景が飛び込んだ。
ミノタウロスは右手を高く掲げていた。そこには棍棒が握られている。右腕が限界まで伸びたところで、勢い良く振り下ろされた。
棍棒の先には同級生の頭が有った。それが、「パカン」と軽やかな音を立てて――砕け散った。
その光景を目の当たりにして、誰も彼もが悲鳴を上げた。
その騒音の中、ミノタウロスは再び棍棒を振り上げて、他の騎士や戦士達の頭を次々叩いた。
ミノタウロスの行為は、宛らモグラ叩きゲーム。ここがゲームセンターであったなら、僕らは手を叩いて嬌声を上げていただろう。
しかし、現況ではだれも手を叩かない。僕らの口から出る声は、悲鳴ばかり。
僕らは悲鳴を上げながら逃げた。城門を目指す者はいない。そちらの方向には、最悪のモグラ叩きゲームが展開されている。
僕らは蜘蛛の子を散らすように、衝動に駆られるままバラバラに森の中へと突っ込んだ。
どこに誰がいるのか? 傍に誰がいるのか? 周りの状況など全く分からない。それを気にする余裕などない。
僕の脳内には、クラスメイト達の無残な最期の光景ばかりが閃いている。
あんな風にはなりたくない。
僕は無我夢中で走り続けた。その最中、遠くから誰かの悲鳴が上がった。それが耳に入る度、僕の思考回路が短絡する。
僕は悲鳴から逃げるように、闇雲に走り続けた。そのまま限界を超えて走り続ける――つもりだった。
しかし、途中で何かに足を取られた。僕は盛大にこけてしまった。
僕は反射的に振り返り、僕の脚を掬った物体を睨み付けた。すると、僕の視界に複雑に絡んだ植物の蔦が映り込んだ。
蔦は、地面の少し上で弓の弦のように張られていた。自然のものではない。蔦自体が組み紐のように編み込まれている。
その事実を直感した瞬間、僕の脳内に最悪の可能性が閃いた。
これ――罠かっ!?
僕の直感は、残念ながら正解だった。その直後、僕に向かって小人の群れが襲い掛かってきた。
小人は魔物だ。ゴブリン――いや、スプリガンだ。
どこから現れたのか? もしかしたら森の中で繁殖していたのかもしれない。僕の脳内に様々な可能性が脳内に閃いた。しかし、今は余計なことを考えている場合ではない。
僕は直ぐ様逃げようとした。しかし、立ち上がる間も無く、スプリガン達に抑え込まれてしまった。
「放せっ!」
僕は怒鳴りながら必死にもがいた。
魔術師とはいえ、僕の勇者レベルは二十。それなりに膂力も有る。少なくとも、小鬼に後れを取るはずが無い。
実際、力ではこちらが勝った。しかし、幾ら拘束を解こうとも、直ぐ様拘束された。
相手の動きが――速過ぎる。
僕にとって、想定外の事態だ。だからと言って、諦める訳にはいかない。
僕は暴れた。もがき続けた。もがき続けていれば、いつか放して貰えると思っていた。その期待は、最悪の形で裏切られた。
いつの間にかスプリガン達の右手にナイフが握られていた。それを使って、奴らは僕の体を斬り付け始めた。
「ぎゃあああああああああっ!?」
僕の口から情けない悲鳴が上がった。その大声は、スプリガン達の耳にも届いている。
スプリガン達は「ケケケ」と笑いながら、ナイフの鋭い刃先で僕の手足を斬り付け続けた。その凶行を目の当たりにして、僕の脳内に最悪の可能性が閃いた。
このままじゃ、僕も殺される。
助かる為に、僕はプライドを捨てた。
「僕の負けだ。降参するっ!」
僕は抵抗するのを止めた。僕の言動は、スプリガン達の目や耳に入っているはずだ。しかし、奴らは凶行を止めなかった。
スプリガン達は「ゲラゲラ」と下品な笑い声を挙げて、僕の体を一層激しく切り刻んだ。その事実を目の当たりにして、僕は目を一杯に開きながら大声を上げた。
「降参すると言っているだろうがっ!」
僕の言葉は、今度もスプリガンの耳に届いている。しかし、奴らの心には届かなかった。
スプリガン達は、端から僕の言葉に耳を傾ける気は無かった。
暫くして、僕の体から腕、脚、全ての四肢が切り落とされた。
僕は泣いた。泣きながら「もう止めてくれ」と懇願した。しかし、スプリガン達の手は止まらない。
真っ赤に染まったナイフの刃が、僕の首に押し当てられた。その冷たい感触を直感した瞬間、僕は激しく後悔した。
ああ、こんな世界に来るんじゃなかった。
スプリガンのナイフが、僕の首に深く突き刺さった。とても痛い。とても熱い。
しかし、痛みも熱も直ぐに消えた。その瞬間、僕は現況の意味を直感した。
僕は死んだんだな。
僕という存在が、異世界アトリンから消えた。




