第十六話 湊本家の事情
異世界アトリンで迎える朝は、これで三百七十回目――かな?
私、湊本水雲は鎧直垂姿で台所にいる。何をしているかと言えば、皆と一緒に朝食を摂っていた。
台所の中心に置かれた囲炉裏の周りには、私を含めて四人の男女が席に着いていた。
四人の男女。鎧直垂姿の男女と、ビクトリア調のメイド服姿の二人の女性。
前者は私と私の幼馴染、愛洲龍寿。私は彼を「リュウくん」と呼んでいる。
後者は超ベテランメイドのマチルダ・マチコさんと、新米メイドのアイリーン・アキコさん。二人は私達の家の家事全般を担っている。今朝の食事も彼女達が用意したものだ。
今日の料理は小麦のパン、蒸した鶏肉、目玉焼き。それから、毎食の定番となったマチルダさん特製野菜スープ。
それらを乗せた脚付きの長角膳が、私を含めた四人の前に並んでいる。因みに、私達には不文律の指定席が有る。
私は囲炉裏の北側、最上位の上座で正座している。
私の右隣(西)はリュウくん。胡坐を掻いている。
私の左隣(東)はマチルダさん。彼女は私と同じく正座。
私の対面(南)にはアイリーンさん。彼女も正座――に耐え切れず、一寸だけ足が崩れている。無理して私に合わせる必要は無いとは思う。
しかし、アイリーンさん当人は「年上の意地」と言い張って、頑なに正座に挑戦し続けている。一寸面倒な人だと思う。しかし、嫌いではない。
そもそも、この中で一番面倒な性格をしている人間は私だろう。
私は他者に対する警戒心が強い。この面倒な気質が備わった理由は、私の生まれそのものに有った。
私の母、南美奈子は基本的に地元生まれの地元育ち。しかし、そのまま地元に居続けることを、母は良しとしなかった。
母には女優になるという夢が有った。
母は二十歳になった際、夢を叶えるべく上京した。しかし、南家は裕福ではない。いつ叶うともしれない夢に費やす資産は無い。
母は、生活費を稼ぐ為に始めたバイトした。そこで、とある男性と知り合った。その男が、私の父親――名前は忘れた。脳内から削除した。
母は、その無名の男に恋をした。男も母を受け入れた。二人は愛し合い、その末に母は子を身籠った。その子が私だ。
母は、妊娠の事実を男に告げた。母は、その男と結婚することを夢見ていた。ところが、その夢は叶わなかった。
男は逃げた。母の前から消えた。男の失踪を知ったとき、既に妊娠六カ月を過ぎていた。堕胎するには遅過ぎる。尤も、母にその気は無かった。
母は、私を腹に入れたまま実家へと帰ってきた。そこで、私を生んだ。
私は母と、母方の祖父母に大事に育てられた。私としては、このまま四人で暮らすことを望んでいた。しかし、それは私の我が儘だ。母には母の人生が有る。
母の前に、彼女のことを大事に思ってくれる男性が現れた。彼――湊本海斗は、母だけでなく、私も大事にしてくれた。
そんな彼に、母は再び恋をした。その恋は成就した。
私に新しい父、いや、本当の父親ができた。その際、私の名字は「湊本」に変わった。私達は海斗さん――父の田舎で暮らすことになった。
父の実家には、父以外誰もいなかった。父の親は既に亡くなっていた。
私達は父の生家に三人で暮らした。幸せだった。本当に幸せだった。しかし、幸せは長くは続かなかった。
土木作業員だった父は、作業中の事故で帰らぬ人となった。
父が無くなったことで、父の財産は母のものとなった。その事実は、父方の親戚にも知れ渡っている。
父の遺産を狙って、私達の前に父方の弟夫婦が現れた。
「湊本家の血を残したい。その為に、兄が残したものを使いたい」
弟夫婦は「湊本家の存続」を盾にして、母に父の遺産を渡すよう迫った。それが余りに執拗で、母は精神を病んでしまった。
母は重度のうつ病を患い、自ら命を絶った。
母は、私の前からいなくなった。それでも、私のことだけは全力で守ってくれた。
母は、私の後見人として母方の祖父母を指名していた。そのお陰で、私は祖父母に保護された。
例の弟夫婦とは、キッパリ縁を切って貰った。裁判所から接近禁止令も出ている。
あの忌々しい顔を見ることは、今のところない。だからと言って安心はできない。
母方の祖父母達も、いつかいなくなる。そのときを迎えるまで、私は一人で生きていく力を身に着ける必要が有る。
祖父母は高齢だ。猶予は、自分が思っているよりも少ないだろう。その可能性を想像する度、私は母の人生を想起した。
私も、母のようになってしまうかもしれない。
私にとって、母の二の舞を踏むことは恐怖、トラウマだ。それから逃れる為に、私は生きることに執着している。例え異世界であろうと、私の考えは変わらなかった。
誰にも振り回されず、何にも惑わされず、必要なもの、目の前のことだけに集中する。だからこそ、今、この瞬間は――
「お代わり、お願いします」
目の前に有る「美味しい朝食」という幸せを存分に堪能しよう。




