9.大勘違いの夜会
「……ああ、私は、なんという間違いを犯してしまったのだ……」
冷たく暗い塔の病床で、フローラント国王レーモンは激しい咳をしながら、涙を流していた。
実の娘であるハイディに国庫横領の罪をなすりつけられ、ここに幽閉されてから、彼の体は急速に衰えていた。
かつては最愛の妻が遺した「可哀想な末娘」として、ハイディを猛烈に甘やかしてきた。姉たちから宝物を奪っても、ギルドを奪っても、婚約者を奪っても、すべて「姉なのだから譲りなさい」とハイディを庇い続けた。
その結果が、この裏切りだ。
レーモンは死の間際になって、ようやく自分の過ちに気づいたのだ。
ハイディは愛すべき天使などではなく、自分が育ててしまった強欲な化け物だった。そして、自分が冷遇し、国から追い出してしまった上の娘たちこそが、この国を支える本当の宝だったのだと。
彼は震える手で、長女マルガレーテへ許しを乞う手紙を書こうとした。しかしその前に、三人の娘たちからカールを介して、伝言がもたらされた。
彼の元に届いたのは、新天地で歴史的な大成功を収めた娘たちからの『国交断絶』の報せだった。自分がゴミのように捨てた娘たちが世界の中心となり、溺愛したハイディのせいで自国は破滅した。
――私は、とんでもない天才を手放し、とんでもない無能を囲っていたのか。
「マルガレーテ……ロッテ……エマ……すまない……!」
己の致命的な愚かさを骨の髄まで理解した国王は、絶望の涙を流しながら、苦悶の中で息を引き取ろうとしていた。
一方、ハイディは、カールの買物禁止令から逃れるため、大国アルビオンへと向かっていた。
「お姉様たちにおねだりすればいいのよ。ちょっと泣く真似をすれば簡単よね。ふふっ、ついでにアルビオンで裕福な王子様と恋しちゃったりして……!」
妄想を膨らませたハイディは、アルビオン王宮の華やかな夜会へ突撃した。
そこには、見違えるほど美しく着飾った次女ロッテと三女エマ、そして彼女たちに寄り添うヴィルヘルム王太子とライナー王子の姿があった。
「まあお姉さま!こんなに大きな宮殿で綺麗に着飾って、素敵な王子様と一緒にいるなんてずるいずるい!」
相変わらずの第一声に、会場の空気が一瞬で凍りつく。
しかしハイディは気にせず、ヴィルヘルムとライナーの前に進み出ると、瞳にたっぷり涙を浮かべて上目遣いになった。
「ねえ王子様、お名前は?私、フローラント第四王女のハイディですの。お姉様たちにはいつも苛められて、寂しい思いばかりしていますのよ。……ねえ、私と踊ってくださらない?」
渾身の色仕掛け。
しかしライナーは紳士的に微笑み、辛辣に一線を引いた。
「あなたは超大国フランキアのカール王子殿下のご婚約者だ。これほど可愛らしい方と踊れないのは本当に辛いが……フランキアの手前、あなたと踊ることはできません。本当に、本当に残念です」
それはリスク回避の断り文句だったが、ハイディの脳内では、こう変換された。
(きゃあ!この王子様、私の魅力に落ちたわ!『本当は今すぐ踊りたいけれど、カールが怖いから、二人きりで会いたい』ってことね!)
…勘違いも甚だしい。
当初の目的である借金の申し込みなど忘れ、ハイディは「王子を狩る恋のハンター」として完全に舞い上がっていた。
そんなハイディの様子を、ロッテとエマは哀れみ混じりの冷ややかな目で、遠巻きに見つめるばかりだった。
その頃、フローラント王国では、塔に幽閉されていた父王レーモンが、ついにこの世を去った。
カールは、王位継承者である四女ハイディに急ぎ連絡を取ろうとする。しかし、当のハイディはアルビオンで男を追いかけるのに忙しく、カールからの手紙を開封もせず夜会で遊び歩き、さらに借金を増やしていた。
「……呆れたな。葬儀にも出ず、他の男に色目を使い、借金を重ねるか」
カールは冷たく溜息をつくと、すぐさまフランキアの本国へ相談の手紙を送った。
現在、フランキアの宮廷で確固たる地位を築いている王太子ジークフリートと、その妻マルガレーテの返答は、迅速明瞭だった。
「ハイディに国を治める資格はありません。カール、貴方がフローラントを乗っ取りなさい。許可します」
姉たちのゴーサインが出た。カールは即座に行動を開始した。
父王の顔色を窺うばかりだった老政治家たちを全員まとめて強制引退させ、フランキアから連れてきていた自身の優秀な部下たちで政界の主要ポストを埋め尽くしたのだ。
まずはフローラント国王代理に就任。次に、国法に則り、職務怠慢と不敬罪、そして巨額の公金横領の罪で欠席裁判。ハイディは正式に王位継承権を剥奪された。
しかし、カールからの警告の手紙を一切読んでいないハイディは、自分が廃嫡されたことなど知らない。それどころか、借金申し込みを忘れたまま「ライナー王子と恋仲になった!」と盛大な思い込みを完成させ、帰国の途につこうとしていた。
(ふふん、カールとは婚約破棄して、あっちの王子様と結婚するんだから!)
鼻歌交じりで国に戻ったハイディを待っているのは、きらびやかな王冠ではなく、厳つい格子戸のついた自室であった。




