118, 守くんの推察
「それから、姉以外の能力者が鍵を開ければ、姉には分かります。姉が勝手に自分の部屋に入れば、姉も怒ります。今のところ、姉が怒ったところを見たことがないです」
「例外は楓さんかあ……」
「そうだと思います。でも、楓さんのことは僕にはあまりよく分かりません。姉が尊敬する方だということだけしか。でも、もし、柊さんがどこに行ったか分からないようでしたら、楓さんに聞けばいいのではありませんか?」
「うーん、たぶん、楓さんは教えてくれないような気が……」
気がするもなにも、今まで楓さんが僕に、この手の質問をしてまともに答えてくれたことがないような気がする。人が急に消えたり、鏡映しのようにそっくりな人が現れたり、常識では考えられないことを起こしたり。
「そうですか? 楓さんはどのようなことでも教えてくれます」
守くんはとても意外そうに言った。
「やさしいひとです」
「まあ、やさしいことは確かだと思うけど」
それに美人だし。
「先輩は僕とは違いますから」
「どういう意味?」
守くんはそれには答えてくれなかった。
「なんとなく柊さんは怪しいとは思うんだけど、嘘をついていたわけでもなさそうなんだよね。なんて言ったって、ここは七倉家のお屋敷なんだから、嘘をついていたとしたらすぐに気づく人だって居そうだよ」
「居ると思います。姉に近づけば京香さんが感づくと思いますし、そもそも姉も僕が感じ取れないような異変に気がつくことがあります」
守くんの指摘に、僕はやっと思い出した。
「あ、そうかっ。七倉さんは能力が使用されれば直感的に分かるはずなんだよね。まして自分の家のなかでのことなら、他の場所よりもむしろ分かりやすいかもしれないよね」
「先輩が言うとおりかどうかは分かりません。でも、」
守くんは、一瞬だけ考えて、言った。
「もし誰かが異能力を使ったとしたら、姉はたぶん、今ごろ先輩に報告していると思います」
そうかもしれない……七倉さんなら今ごろ大げさに驚きながら、僕に状況を説明してくれていそうだ。そうでないということは、七倉さんは今も、宴会場のなかにいるみんなの世話を焼きながら、ひょっとすると僕がなかなか戻ってこないことを気にしているのかもしれない。反対に、ちょっと外の空気を吸いに行っただけだと思って、気に掛けていないのかもしれないけれど。
ともあれ、七倉さんの能力を押さえ込んでしまえるような状況なら、七倉さんの察知能力も及ばないことがある。けれども、ここは七倉さんの自宅だった。どこかに七倉さんの部屋もあるはずだ。七倉さんがどんな部屋で過ごしているかは……、僕だけじゃなくて、七倉さんを知る男子なら誰だって気になるはずだけれど、とにかく七倉さんがここで暮らしていることは間違いない。
そんな場所で、七倉さんの能力が及ばない、なんてことがあるのだろうか。むしろ、七倉さんほどの力の強さがなくても、自分にごく近い物事のことは、自分自身がいちばんよく分かっているんじゃないかな。
そんな常識すらも突き破れるとしたら、やっぱり、あの笑顔の下で何を考えているのか分からないひとが問題を起こしているのだとしか考えられない。
「楓さんはこのお屋敷のなかで、七倉さんを試すようなことはあるのかな」
「十五代が生きていた頃はあったと聞いています」
十五代っていうのは、七倉さんの前に、鍵開けの能力を持っていた大叔母さんのことだ。
「その頃は、七倉さんはまだ小さくて、能力も今ほど強くなかったんだよね?」
「そうみたいです……けど、姉は今と違って、人並みでない雰囲気をもっていました」
言っている意味がよく分からない。七倉さんはとても人当たりが良くて、むしろ能力者らしい雰囲気が乏しい女の子だと思うんだけれど。
「とにかく、柊さんは能力を使ったとは考えづらい。特に、鍵開けの能力者とは考えにくい、ということだよね。でも、京香さんみたいに、苗字は七倉だけど違う能力を持っている可能性はないのかな」
守くんは首を横に振った。
「それは僕も知っているはずです。誰かの苗字が変わるほどのことなら、父や祖父も知っています。家の中に、何の縁もゆかりもない人間が入ってくるなら、それは能力の使えるほうも、使えないほうも説明します。名前も能力もデタラメなひとが、自分の家を歩いているとは考えにくいです」
それはそうだよなあ。いくら楓さんがたくさんの秘密を隠し持つひとでも、七倉家の財政を握っている、司くんのお父さんやお祖父さんに何の説明もなく、柊さんをこっそり送り込めるとは思えない。
「あっ! そういえば柊さんは影が薄いって言ってた。ひょっとしたら『影が薄いこと』が能力じゃないのかな。七倉さんが感知できなかったのも、その能力のせいだとか」
「ということは、七倉姓を名乗ったのは偽名でしょうか」
「そういうことになるよね。それなら、急に姿を消してしまったことも説明がつくし、守くんが柊さんの姿を見なかったことも説明がつくよ。僕たちはお互い、ちょうど宴会が開かれている客間から、縁側を沿うように歩いてきたわけだけれど、気配さえ気取らなければ、庭先に逃げることはできるんじゃないかな」
僕たちは、ちょうど鉢合わせになる位置――つまり、縁側が互いにぶつかりあう曲がり角に立っているので、死角はほとんど無かった。お互いが庭を見渡すことができるし、守くんは僕の立っている位置よりも外側を、僕は守くんの体よりも外側を監視することができた。
はっきりと分からないのは、お互いの背後だ。背の低い柊さんは僕の後ろを歩いていたから、守くんからは姿が見えにくかった。でも、庭に出ようと思えば、僕か守くんのどちらかがその姿を目撃するはずだ。
もちろん、僕たちのいずれも柊さんが縁側から降りて庭を歩くのを見ていない。それなら、柊さんは僕たちの視界から見えなくなる能力を使ったはずだ。
「でも、先輩は柊さんにずっと話しかけていたのではないですか」
「……あれ?」
僕の目が点のようになったと思う。
「先輩はひそひそと誰かに話しているように見えました。それは、僕が見えない死角に誰かがいるからだと僕は考えました。結果的に、僕は先輩の言う『柊さん』という方がどのような方かを見ることはできませんでした。でも、先輩が話しかけていたのですから、『柊さん』は存在したのだと思います。しかし、先輩は、突如として振り返って『柊さん』がいないことに気づきました。それならば、どこかのタイミングで『柊さん』は能力を使った、ということになります。
ただ、そうだとすればひとつおかしなことがあります。『柊さん』は能力を使った瞬間に、いきなり存在感が皆無になります。常に話しかけていた相手が、急にいなくなったとしたら、先輩は気がつかないでしょうか。ただ単に、先輩の背後に立っていたというだけでなくて、会話の相手です。僕は、先輩が気がつくはずだと思います」




