117, 七倉さんの趣味
それにしても、守くんは七倉さんの姉弟のはずなのに、とても物静かだった。こうして僕と話している彼だけれど、実際のところ表向きは七倉家の御曹司なんだ。七倉さんの家が経営している会社のウェブサイトを調べてみると、役員を占めているひとは七倉さんのお父さんやお祖父さんや叔父さんや……要するに七倉さんと血のつながりのある男のひとだ。あと何十年かすれば、黙っていてもその名前のなかに守くんの名前が載ることは間違いない。
しかも、高校に入学したての僕だって知っていたくらいだから、七倉さんの家というのはそりゃあもう相当の名家なんだ。でもそのわりには守くんは謙虚だった。ふつう、御曹司っていったら、ものすごく自信に満ちあふれていたり、鼻に掛けていたりすると思うし、七倉家ほどの名門だったら、僕もそれで文句は言われないと思うんだけど……
こういう謙虚なところは、七倉さんにそっくりだと思う。
「司様」
「あのさ、その『司様』っていう呼び方、やめてもいいよ。京香さんは言っても変えてくれないから諦めているけど、僕は言われ慣れてないし、むずがゆいから。楓さんは……あの人に意見したくないからあのままでいいけど」
守くんはおずおずと反論した。
「でも、家族や親戚の前で姉はそう呼んでいます」
「家族の前で?」
「はい、姉はよく学校での出来事を話しますので。だいたいは姉と同じような力をもつ方の話か、そうでなければ、司先輩のことです」
いったいどんな話をしているんだろう。七倉さんは友達も多いし、オーバーな表現じゃないかなあ。
「別の呼び方にしてくれると嬉しいかなあ」
「司のお兄さん」
それはフツーの呼び方じゃないと思う。
「もうちょっと普通の呼び方でいいんだけど」
「じゃあ、司先輩」
先輩っていう柄じゃないけれど、ちょっと嬉しいです。
「先輩はどうしてこんな所にいるんですか」
「ちょっと堅苦しいのが苦手でさ、七倉さんが話し相手になってくれるから楽しいけれど、たくさんの知らない人と会わないといけないから大変なんだ」
「姉も何日も前から大掛かりに準備していたようでしたから」
あ、そうか。僕が知らない人とたくさん会っているということは、それだけ、七倉さんが苦労したということだよね。僕は感心しながら、背後に話しかけた。「柊さん。司くんって、いい弟さんだよね」七倉さんの弟だから当然なのかもしれないけれど。
「やっぱり頭も良いのかな。七倉さんは、スポーツはそれほど得意じゃないけれど、守くんも同じなのかなあ。柊さん。あれ、柊さん?」
振り返ると誰もいない。守くんがさっきまで柊さんの居た場所を見たけれど、もちろん、誰かがそこにいることを発見するわけがない。
「どうしましたか?」
「今ここに柊さんが居たはずなんだけど」
「先輩のご友人ですか」
「ううん、そうじゃなくて守くんの親戚の柊さん」
「そうでしたか。どちらかに行かれたのですか」
「ううん……? なんで居なくなったんだろう。柊さんも僕と一緒に歩いてきたのに」
いくら七倉さんの家が広くて多くの人が出入りするといっても、柊さんは七倉さんの家のあちらこちらを歩き回ることができるのだろうか?
「あれ? 守くんは柊さんのことを知らないの?」
「……? はい」
ということは、柊さんは守くんが知らないような、とても遠い親戚か、それとも、柊さんがまるきりデタラメの自己紹介をしていたことになる。
「まずいよ守くん、僕は、七倉さんの親戚だと思っていたけど、全然関係ない女の子が屋敷の中を歩き回っているかもしれない」
「先輩、京香さんがいらっしゃるので、心配しなくても大丈夫です」
「あ、そうかっ。というか、いま、七倉さんの家には何人も能力者が居るんだから、心配なんか要らないよね!」
「そうです。先輩、とりあえず落ち着いてください」
守くんはとても冷静だった。姉の七倉さんよりも冷静沈着なタイプみたいだ。考えてもみれば、ちょっと怪しい人間が紛れ込んだところで、楓さんがそれを見落とすとは思えない。とりあえず、僕が何も考えずに七倉さんの着物姿を鑑賞しながら、ご馳走を食べていても、なんにも困らないくらいには隅々まで注意してくれているはずだ。
「それに、もしその七倉柊が、僕や姉の親戚だとしても不思議ではないです」
「どういうこと?」
僕はいつの間にか、この守くんのことを、案外頼りにしていることに気がついた。
「能力に関係する出来事は、真実であるかの確認をとることができません。父や祖父もです。いえ、祖父や父だけは真実を知っている可能性はあります。七倉家の男のなかで家の古い記録を読めるのは、祖父と父だけですから。ただ、そうであるとしても僕には教えてくれません。だから、鍵開けについての正しいところは、実際には分からないんです。すべてを把握しているひとがいるとすれば、楓さんだけです」
「柊さんが親戚かどうかさえ、楓さんしか知らないということがあるということ?」
「七倉という苗字だから、全員が親戚というわけではありません。だから、父や祖父が参考にできることは、実務能力と、ごく血縁の近い家系での人間関係だけです。でも、姉や楓さんにはもうひとつの価値基準があります」
「ええと、鍵開けの能力が使えるかどうかだよね」
「はい。そもそも僕は姉が気づいていることに気づきません。まして楓さんのことは僕にはよく分かりません。だから、事実を伏せようと思えばいくらでもできると、父はそう言っていました」
あの人なら情報操作くらい笑顔でやってのけそうだ。
「そうなると、柊さんは鍵開けの能力を使えるのかな……?」
「そうかもしれませんが、そのことに意味はないと思います」
守くんは、当然のことのように続けた。
「本家本邸では、姉の能力を上回らない限り、鍵開けの能力者は迂闊に出歩くこともできません。多くの人が出入りする場所――客間などは例外ですが、実はそれ以外の部屋は見かけよりもずっと厳重に守られているんです」
守くんは、すぐ隣にある障子戸を指さした。
「開けてみてください」
僕はもう何もしなくても結果を知ることができた。
「姉の趣味です」
「趣味?」
「鍵開けの能力者は、自分の開けやすいように鍵を工夫するようです。そうすれば、鍵を開けるたびに楽しい気分になれますので。暇なときの姉は、よくそれで一人遊びしています。ですから、七倉柊がいくらか鍵開けの能力を持っていたとしても、本邸のなかでは意味がありません。もちろん、家中の扉を無理に開けようとすれば出入禁止になります」
「それだと、守くんが家のなかを歩き回るときは困らないの?」
「姉のために屋敷を大きく造っていますから。それから僕の部屋の鍵は、自社製品の最新式です。姉にはあっさり開けられてしまうでしょうけれど、不自由だとは思っていません」
僕は単純にこの守くんに感心した。なぜなら、僕よりもずっと能力者のことを理解しているように思えたからだった。守くんは七倉さんの弟なんだから。七倉さんの能力のことを、守くんはよく理解していて、守くんはそれに不満を持っているわけではなかった。




