116, 七倉さんの弟さん
僕は慎重に、もと来た廊下を戻った。七倉さんの家はとても広かった。この広いお屋敷の中に、東西南北の倉橋の家や、御子神さんと御子神さんのお母さんや……、そういえば久良川惣社の関係者も来ているらしかった。正直なところ高校で出会った人や、その家族じゃないとよくわからない。(ちなみに、御子神さんのお母さんは御子神さんにとてもよく似ている。能力の腕がいいので、若い頃はちょっとした有名人だったらしい)
そういえば、七倉さんは東使さんや相坂さんを、今日のお祭り騒ぎに誘ったらしい。けれども、東使さんからは丁重に断られたらしいし、相坂さんからだはものすごくイヤな顔をされて断られたらしい。ただし、ちょっとだけいじけていたような気がする、らしい。
僕は未だに相坂さんを超える能力者に出会ったことがない。
勿論、この家にはいま楓さんが居る。楓さんの能力の凄まじさは、僕にもなんとなく分かる。楓さんなら、あの「相坂さんが作り出す世界」をこじ開けられる能力を持っている。
でも、本気モードの相坂さんに、楓さんが勝てるかと訊かれると、僕はあまり自信がない……。まさか、この狭い久良川町の外に出たとしても、相坂さんよりも特別な女の子はいなかったりして?
しかも、今日の僕は七倉さんに招かれているんだ。あの相坂さんも、七倉さんのことだけはとても特別なライバルだと考えているフシがある。その七倉さんに招待されているのが僕なんだから、僕自身もちょっとだけ偉い人間になったような気分になってしまう。
「なーににやけてるのかねぇ」
「に、にやけてないですよ」
僕はとても自然なふうを装って答えた。柊さんは、楓さんのように音も立てないような歩き方をした。
「ほらほら、他のことを考えていると彼とぶつかるよっと」
「彼?」
と、確かに鉢合わせになるところだった。けれども、僕は事前に柊さんが知らせてくれたから、廊下の角を折れてきた相手とぶつからずに済んだ。僕のほうが足を止めて、やりすごすことができたんだ。むしろ、びっくりしていたのは相手のほうだった。
背は僕と同じくらい。年の頃も同じくらいに見える。ええと、誰なんだろう。宴会の参加者だったっけ?
僕はとりあえず困ったときにするような、頭を小刻みに下げる会釈を繰り返した。
「ど、どうも、お世話になっています。司です。聡一郎の孫です」
「要領の得ない挨拶だねっ、ひどいもんだっ」
柊さんは口が悪かった。そんなこと言ったって、今日は会ったこともない何人ものに挨拶をしないといけなかったんだから仕方ないじゃないか。でも、目の前の中学生くらいの男の子は、僕の言葉にキョトンとした様子でいたんだけれど。
「聡一郎?」
「あれ? 通じてない?」
「じーさんのこと分からないんじゃない?」
そのほうが当然なんだけれどさ。だいたい、著名人でもない祖父の名前をみんなが知っているだけでもおかしいんだけどさ。でも、それならどうしてこのお屋敷の中にいるんだろう。
「そうだ、柊さん、この子が誰だか分からないんですか?」
「聞いてみたらいいじゃないかっ」
「それはそうなんですけれど……」
柊さんが意地悪そうな声を出している。ひょっとしたらこの子のことを知っているんじゃないのかなぁ。ひょっとしたら、僕が知らないだけで超有名人の可能性もある。テレビに出てる有名な政治家とか、経営者とか、売れっ子芸能人なんかが、七倉家の廊下を歩いていてもおかしくない。というか、実際にそれくらいは日常茶飯事らしい。楓さん曰く「まあ、昔よりも少なくなりましたけれど」ということらしい。
歩いているだけでそんな人と出会うかもしれないんだから、七倉さんの親戚なら助けてくれてもいいじゃないか。僕はちょっと不満になりながら尋ねた。
「すみません、どちら様ですか?」
「もうちょっと気の利いた尋ね方はなかったの?」
「分からないんだからしょうがないじゃないですか!」
「七倉守です」
柊さんがさもたった今思い出したような口調で言った。
「ああ、弟くん」
「七倉さんの……弟さん?」
「はい」
僕の思考は停止した。
「そりゃそうだよね。本家の跡取りなら、廊下をぼーっと歩いていてもおかしくないよね」
柊さんがものすごく当然のことを説明してくれた。そりゃ、自分の家を歩いていても文句なんて付けられないけどさ。
僕自身、どうしてそんなことになったのかは分からない。七倉さんの弟が目の前に現れたからといって、僕が緊張する必要はないはずなんだけれど、どうしてこんなにもドキドキしないといけないんだ。いや、七倉さんの弟にドキドキしたわけじゃないんだ。いやしているけど。ああもう、そういう意味じゃなくて!
「柊さん、知ってたでしょ!」
「さあねー」
絶対知ってた。
でも、確かに言われてみれば弟くんは七倉さんに似ているような気がした。顔立ちは中性的だし、目元のあたりは優しげだった。ちょっと眠たげかもしれない。
けれども、自分からは相手に声を掛けることはなくても、積極的な女の子から声を掛けられそうなタイプだった。要するに七倉さんと同じく守くんも養子が優れていた。ただ、僕が考えていた七倉さんの弟とはイメージが違ったんだけれど。
「要するにイケメンってことだよね。ちょっとナヨっとしてるけど。今様だよね」
「今様って全然今風の言葉じゃないですよ」
「……今日は姉がとても大切なお客様を招待していると聞きました」
七倉さんの弟は平坦な口調で僕のことを言った。
「ああ、たぶん向こうの部屋でやっている宴会のことだよ」
七倉さんによれば僕が主賓だ、とは言わなかった。七倉さんが呼んだお客さんは、僕以外にも大勢いたから間違いではないはずだし。ただ、
「姉は司様にはくれぐれも失礼のないようにと言っていました」
さすがに七倉さんは弟さんにも言い含めているみたいだった。また大げさなことを言っているんじゃないかな……。でも、守くんは七倉さんよりもずっと落ち着いて見えた。それが僕には予想に外れていた。
「守くんは、何か不思議な力を持っているの?」
もちろん、僕は七倉家の不思議な能力が、女性にしか伝わらないことを知っていた。だから、七倉さんの弟は僕と同じように、何の能力も持っていないことを分かっていた。ただ、僕は尋ねたいと思った。単に会話を繋ぎたいだけだったのかもしれない。
「いえ、ぼくは何も持っていません」
「うん、そのほうがフツーなんけどね。僕と同じだ」
「姉は、司様はぼくとは違うと言っていました」
七倉さんはいったいどういう紹介の仕方をしたんだろう。
「どちらかというと変人だよね」
「フツーですよ。とりあえず七倉さんや楓さんや京香さんに比べたらよっぽど平凡な人間です。あと柊さんはちょっと黙っててください」




